以前は彼らの姿はティツ村周辺でもよく見かけていたのだが、ここ一か月ほど彼らの姿を見ていなかった事を俺は思い出した。

「ディリンゲンの町の冒険者ギルドで何かあった……と見るべきでしょうか?」

「その可能性が高いとボクはみているよ」

キルシュはベンチから立ち上がり、ヴィヒタと呼ばれる白樺の若枝を束ねたものを手に取ると、それで自分の体を叩き始める。

これは体の発汗を促し血流を良くすることで疲労の回復を早める効果が期待できるものだ。

白樺には減菌作用があるので、体を清潔に保つ効果も望める。

「使い鴉を“叡智の塔”に送って情報収集してみるよ。もしかすると塔の方で何か情報が上がっているかもしれない」

魔術師たちは使い鴉と呼ばれる使い魔(ファミリアとも呼ばれる)を使役し、魔術師間で連絡を取り合い、本部である“叡智の塔”にも定期的に連絡を送る事で自分たちが知り得た世界各地の情報を共有している。

「それではその連絡を待ってから行動、ですね」

「そうだね。どんな情報が上がってくるのやら……。さて、ボクは先に上がるね。シャワーのお湯を温めて直しておくから、好きなタイミングで上がるといいよ」

「ありがとうございます。……それとお願いですから、風呂上がりに裸のままでいないでくださいねキルシュ。風邪を引いたら大変ですから」

「もう、ほんとにうるさいなザイは。そんなのボクの勝手でしょ」

「いいえ。風邪を引いた貴方の面倒を診ることにことになるのは俺ですから、迷惑がかかるので止めてください。そもそも風邪を引いた魔術師なんて様になりませんからね。自分の健康も維持できない魔術師なんて、誰も信用できないでしょう?」

「はいはい、わかった、わかりましたよ。シャワーを浴びたらバスローブ着ればいいんでしょ、着れば」

いつものように俺の忠告を話半分で聞き流してキルシュはサウナを出ていき、俺はストーブにかけられた石に再び水をかける。

蒸気が室内に充満し温度と蒸気が高まるが、俺の心はそれ以上に熱く昂っていた。

キルシュの裸を見て、激しく欲情していた自分が分かる。

果たして俺はいつまで彼の側で、この気持ちを抱え続けることができるのだろうか。

蒸気が立ち込めるサウナの中で、俺はいつまでも悶々と悩み続けるのだった。
それから三日が過ぎた。

その間キルシュは訪れる村人の相談に乗り、俺は薬を処方したり薬草の採取そして家事の担当と変わりのない日々を送っていた。

そして四日目の朝が過ぎ昼になろうとしていた時、動きがあった。

カタカタカタカタ。

居間のサイドテーブルに置かれた魔道通信機“ファクシミリ”。

様々な金属製のパーツによって組み立てられた魔道機の振り子に振動が走ると、鍼の先からインクが流れ記録用に置かれている羊皮紙に次々と文字が記されていく。

“ファクシミリ”とは、魔素を文字に変換した信号に変え機器についている魔石で送信し、対となる機器の魔石が受信、送られてきた信号を文字に変換して紙に記載させる魔道具のことである。

魔道具は古代魔法帝国時代に造られた魔石と呼ばれる魔素を結晶した石を動力とする道具の総称であり、魔力が扱えない人間でも使用することができるのが大きな特徴だ。

キルシュは通信機が受信した文書に目を通しそれを読み終えると、羊皮紙にナイフを入れて文章が記された部分を切り取り俺に渡してきた。

「やれやれ漸く待ちわびていた情報が流れてきたよ。送信先はディリンゲンの冒険者ギルドからだね」

「それは珍しいですね。俺が貴方の護衛士になってから初めての事のように思いますよ、冒険者ギルドから連絡がくるなんて」

「その通りだよ。ゴルトベルクがいた頃だって滅多にボクにはお声がかかることはなかったからね。よほどの事態が起きているのだと思うよ」

古代魔法帝国は今の魔道技術とは比較にならない“魔法”と呼ばれる奇跡の業によって繁栄した国家だが、魔法が使えない一般人も魔道具によって大いなる恩恵を受けていた。

この“ファクシミリ”一つとっても、はるか遠方の地にいるもの同士がほぼ同じタイミングで情報を共有できるというとんでもない連絡手段であることから当時の繁栄ぶりが伺い知れるというものだ。

しかし魔道具を生み出す魔道技術は、その大半が古代魔法帝国が滅びると同時に失われ、五百年を経った現在もそのほとんどが喪失したままである。

稀に魔法帝国時代の遺跡から発掘される魔道具は叡智の塔が回収し復元を試みているが、動力となる魔石が不足しているため世界中に行き渡るほどの数には至っていない。

魔石精製の秘術自体も帝国崩壊時に喪失してしまっているため、遺跡からの発掘以外に手に入れる手段がないのが現状なのだ。

その魔道具の中でも“ファクシミリ”は比較的多くの数が遺跡から発掘されており、少ない魔素の消費で起動できるという利点もあることで、世界各国の王家や世界規模な組織である冒険者ギルドの各支部に緊急用の連絡手段として動力源である魔石と共に叡智の塔から貸与されている。

世界の守り手である魔術師たちの助力が必要と思われるような緊急事態の際、それらの組織と叡智の塔や各地にいる魔術師たちが互いに連絡を取れるよう協定を結んでいるのだ。

キルシュから手渡された羊皮紙の文章を俺は読み上げた。

「至急相談したい案件あり。当支部にご足労願いたし。ディリンゲン冒険者ギルドマスター“ディーゼル”……ですか」

「ディリンゲンの冒険者ギルドと所属冒険者たちに関して何かしら情報が上がっていないか本部に使い鴉で問い合わせてみたら、何かあれば連絡がいくように伝えておくという返答だったんだよ。それで少し待っていたんだけど、恐らくボクら魔術師の本部である“塔”から冒険者ギルドに直接連絡がいったお陰で向こうも頼みやすくなったんだと思うね」

人々から魔物の討伐を請け負う冒険者ギルドと世界の守り手として人類を見守り導く叡智の塔は、同じ世界の脅威である魔物と戦う組織同士ということで、表向き協力関係にある。

しかし独立不羈を旨とする冒険者たちの組織である冒険者ギルドは、国家を含めた他組織からの影響や介入を好まない。

他組織に貸しを作ることを嫌い協力要請を渋る傾向があり、極力自分たちだけで問題を解決しようとすることが多いのだ。

それゆえに各地の魔術師と冒険者ギルドは疎遠な関係であることも珍しくない。

「ボク個人としては貸しなんて作るつもりなんてないんだけれど、どうにもあちらさんは他組織の助力を好まないんだよね。まぁ、あまり手助けされるとこちら側の意見も無視できなくなるという理屈は政が苦手なボクでも分かるんだけどねぇ」

「しかしこの文面からすると、ディリンゲンの冒険者ギルドはそうも言っていられない状況に陥っているようですね」

「うん。喜ぶべきことではないけれど、素直に救援要請してくれるなら有難い。ここは問題解決を手伝って地域の治安を取り戻すとしよう。ザイ、ディリンゲンの町行き乗合馬車が出るのは今日だっけ?」

「はい、そうですね。今日の昼過ぎ……確か十四時あたりに乗合馬車が出るはずです」

俺は居間に置かれた大きな柱時計に目をやりながらキルシュの問いに答えた。

ディリンゲンの町は、テッツ村から東の街道を馬車で移動して三時間ほどの距離にある。

東の街道は比較的安全が確保されている道であり、商人たちに交易路として使われている。

ティツ村からディリンゲンの町の区間には定期的に双方を行き交う乗合馬車が運行されており、十四時にでる馬車に乗れれば日が沈む前に町に着くことができるだろう。

「いいね。じゃあ、その乗合場所に乗ろう。ザイ、準備を整えてくれるかい?」