「なかなか座り心地がいいな。これが玉座というものか」
グラハム2世は黄金の肘掛けに手を置き、真紅の椅子にゆったりと背を預けた。
弟である現国王とその家族は、ダイニングルームに閉じ込めてある。
コルティア国王太子夫妻を幽閉したと告げたが、実際にこの目で確かめるまでは信じられないと言い出し、仕方なくこれから国王だけを王太子妃のいる塔に連れて行くことにした。
「さてと、そろそろ行くとしよう。あいつも手枷を付けられた王太子妃を見れば、即座に俺に王座を空け渡すだろうな。ククッ」
自然と笑いが込み上げてきた時、大変です!と、手下が部屋に駆け込んできた。
「何事だ?」
「はっ!コルティア国王太子妃が、塔から抜け出した模様です」
なんだと?!と、グラハム2世は立ち上がる。
「バカ者!見張りは何をしていた?!」
するとまた慌ただしく、別の手下が部屋に飛び込んでくる。
「コルティア国王太子に逃げられました!」
なっ…!と、グラハム2世は絶句する。
ワナワナと身体を震わせると、血走った目を見開き、大声で叫んだ。
「すぐに捕らえろ!絶対に逃がすな!」
「はっ!」
手下達がバタバタと部屋をあとにすると、グラハム2世は拳で玉座の肘掛けをガツンと殴る。
「くそっ、あの王太子どもめ。生かしておいてやったというのに」
ギリッと奥歯を噛みしめるが、気持ちを落ち着かせてゆったりと座り直した。
二人に逃げられたことは、国王達に知られる訳にはいかない。
「なあに、すぐに見つけてまた牢屋にぶち込めばいいだけの話だ。今度こそ鎖でがんじがらめにしてな」
焦ってはいけない。
この日の為に何年も我慢してきたのだ。
今こそ国王にふさわしい威厳と落ち着きを持って対処しなければ。
グラハム2世は、鋭い視線で宙を睨みつけながら、作戦を練り始めた。
「いたか?」
「ダメだ。そっちもか?」
「ああ。今度は西の庭園を見てくる」
「分かった。俺達は城の中をもう一度探す」
兵達が大勢行き交い、互いに短く言葉をかけてまた走り出す。
その様子を柱の影から見ていたフィルとクリスティーナは、一旦顔を引っ込めて小声で話し出す。
「これからどうする?どこに向かうの?」
クリスティーナの問いに、フィルは、そうだなーと軽く答える。
「とりあえず国王陛下達の居住スペース辺りを片っ端から見て回ろう。見つけたら保護する。先にグラハム2世にバッタリ会っちゃったら戦う」
「それだけ?」
「それだけ」
クリスティーナは、はあ…とため息をつく。
「単純明快で分かりやすいこと」
「なに?単細胞って言った?」
「言ってないわ。思っただけよ」
オブラートに包んで言い換えたが、フィルにはお見通しだったらしい。
「考えたって思い通りになんて行く訳ないさ」
「確かにそうね。予想外の展開になって焦るよりは、行き当たりばったりの方が性に合ってるかも」
「だろ?さ、行こう」
「ええ」
二人はもう一度そっと顔を覗かせて辺りの様子をうかがってから、一気に走り出して城の階段を駆け上がる。
3階まで行き、最初の夜に晩餐会に招かれたダイニングルームを目指した。
曲がり角まで来て顔だけ出したフィルが、廊下の先の見張り役を見て、ビンゴ!とクリスティーナを振り返る。
「恐らく一家四人ともあそこに軟禁されてるな」
「入り口の見張りは二人…。中にもいるでしょうね」
「ああ。何人いるかは入ってからのお楽しみ。行くぞ」
どこまでも軽い口調のフィルに半分呆れてから、クリスティーナもすぐあとを追う。
「ヘイ!」
フィルが素早く入り口に駆け寄り、こちらを振り向いた見張りの兵に、ポケットに入れてあった鍵の束を投げる。
咄嗟に鍵を受け取った兵に、フィルは一気に体当たりした。
「ねえ、フィル。今のダジャレ?」
もう一人の兵が慌てて剣を構え、クリスティーナはそれに応戦しながらフィルに尋ねる。
「何が?」
フィルは、倒した兵を縛り上げながら聞き返した。
「だから、さっきのオヤジギャグ。兵に向かってヘイ!って」
「はっ?違うわ!それに俺はオヤジじゃないぞ」
「オヤジでしょ?だって父親なんだから」
クリスティーナは、兵と剣を交えつつ淡々と答える。
フィルは呆れ気味にクリスティーナを見た。
「クリス、真面目に戦え。舌噛むぞ」
「確かに。油断は禁物よね。そろそろキメさせて頂くわ」
キン!と敵の剣を頭上で受け止めると、即座にクリスティーナは身を屈めた。
相手に背中を向けたと思いきや、その勢いのままクルリと回り、右足を高く上げて踵で敵の頭を蹴り飛ばす。
グエッと兵が妙な声で倒れ込むのと、フィルが、あーー!!と叫ぶのが同時だった。
「びっくりしたー。なあに?」
床にうつ伏せに倒れた兵の手を背中に回して縛りながら、クリスティーナが怪訝な面持ちでフィルを見る。
「なあに?じゃない!そんな格好で回し蹴りするな!見えるだろ?」
「何が?」
「な、何が?って、それは、その…」
フィルが赤い顔でアタフタしていると、ガチャリと扉が開いて、ダイニングルームの中から兵が現れた。
「どうした?騒がしいな。お、お前は!コルティアの王太子?!どうしてここに…」
「知るかよ!それより、見るんじゃないぞ!」
フィルは、クリスティーナがまたミニスカートを翻して戦うのを回避しようと、さっさと敵を倒しにかかる。
「このこのー!見るんじゃなーい!」
何事かと、続々と部屋から出てくる敵を、フィルは目にも止まらぬ速さで仕留めていく。
「すごーい!さすがね、フィル」
フィルは敵の剣を弾き飛ばしては、みぞおちを肘で打ち、次々と兵を倒していく。
その傍らで、クリスティーナはせっせと兵を縛り上げていった。
「国王陛下、ご無事ですか?」
全ての兵を縛って廊下に転がすと、フィルとクリスティーナはダイニングルームに駆け込んだ。
「おお、これは王太子殿。ご無事でしたか」
「はい。私も妃も無事です」
「良かった…。あなた方の身を案じていました。この度は、我がスナイデルのクーデターに巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」
「お話は後ほど。今はとにかく、皆様を安全な場所までお連れします。行きましょう」
フィルとクリスティーナは、国王と王妃、そして二人の王子を外へと促した。
その時…
「おやおや、皆様お揃いでしたか。探し回る手間が省けて何より」
不気味な低い声と共に、グラハム2世がゆらりと扉から姿を現した。
フィルは左手を横に伸ばしてクリスティーナ達をかばい、右手で剣を構える。
クリスティーナは国王達四人を守って、部屋の片隅に誘導した。
「ここに伏せていてください」
そう言い残してフィルのもとに戻り、クリスティーナも隣で剣を構える。
「とっとと逃げればいいものを。愚かな王太子夫妻だ。私に刃向かった事を後悔するが良い」
グラハム2世がニヤリと笑うと、大勢の兵が一気に部屋になだれ込んできた。
これはさすがに多勢に無勢だと、クリスティーナは顔をしかめる。
チラリとフィルを横目で見ると、神経が研ぎ澄まされたように集中しているのが分かった。
(やるしかないのよね)
クリスティーナも覚悟を決めて、両手で剣を握り直した。
「かかれ!」
グラハム2世のかけ声を合図に、兵達が一斉にフィルとクリスティーナに向かって来た。
キン!と振り下ろされる剣を払いのけては、また別の兵と相まみえる。
先が見えないが、今はとにかくやり過ごしてチャンスを待つしかない。
ひたすら剣をさばいていると、やがてクリスティーナの剣が刃こぼれし始めた。
「なんてもろい剣なのよ。どういう工程で作ってるのかしら、この不良品!」
「ちょっ、クリス。国王陛下に聞こえるってば」
「だってこれじゃあ、ろくに戦えないもの。勝手に拝借しておいて文句は言えないけれど」
「充分言ってるよ!」
国王に聞かれないかヒヤヒヤしながら戦っていると、フィルの剣もガツンという衝撃と共に真ん中まで刃が欠けた。
「あー、こりゃダメだ」
「でしょう?」
クリスティーナは、いつも身に着けているコルティアの短剣を使いながらフィルを振り返る。
「フィル、他に武器はあるの?」
「んー、俺の剣は取られちゃってない」
そう言うと、フィルは素早く部屋の中に視線を走らせ、壁に掛けられていた何やら豪華な鞘の剣を見つけた。
「国王陛下。この剣をお借りしても?」
フィルがスナイデル国王に声をかけると、戸惑うような声が返ってきた。
「あ、ああ。使えるなら構わないんだが…」
フィルは剣を交えながら後ずさると、思い切り敵の剣を振り払ってから、壁の剣を手に取る。
アンティークのように古い剣だが、グリップも握りやすく、鞘から引き抜いてみると、ブレードはカッティングやエッジも見事なまでに美しい。
一瞬見とれてから、間髪をいれずに襲ってくる敵の剣を受け止めた。
「おっ、何だこれ?」
フィルは思わずまじまじと剣を眺める。
敵の剣を受け止めた時の衝撃が、驚くほど手に伝わりにくく、かつ安定している。
それに重さはしっかりあるのに、とても扱いやすい。
まるでずっと探していた相棒に巡り会えたような感覚になるほど、その剣はフィルの手に馴染んだ。
これならいけると、フィルは確証に似た感覚を覚え、兵を軽々とかわしながら一気にグラハム2世に詰め寄った。
「全員動くな」
グラハム2世の背後から首筋に刃を当てて、フィルが鋭い声を上げる。
「動くとボスの命はないぞ」
ピタリと兵達が動きを止めた。
「武器を捨てて手を上げろ」
一人、また一人と、兵は剣を床にポトリと落としてゆっくりと手を上げる。
全員が降参したのを確認した時、すぐ目の前で不気味な声がした。
「クッ、私を見くびるなよ」
そう呟いたグラハム2世がスッと振り返り、マントの下からキラリと光る剣を抜いた。
だが、構え方からして剣の腕前はさほどではないと分かる。
フィルが軽く剣を振り払おうとした時だった。
グラハム2世は、剣を持っていない方の手でマントの中から何かを取り出すと、フィルに向かって投げた。
ピシャッと音がして、フィルの腕に液体がかかる。
なんだ?と思った次の瞬間、焼け付くような痛みが走った。
(化学薬品?!)
熱傷の痛みに顔を歪めると、クリスティーナが、フィル!と叫ぶ。
「来るな!クリス」
クリスティーナにまで薬品をかけられてはいけない。
フィルは痛みに耐えながら、グラハム2世のマントを剣で切り裂き、みぞおちを剣の柄で打った。
膝から崩れ落ちたグラハム2世を床に組み敷くと、クリスティーナが手早くロープで縛る。
それを見届けたフィルは、ウッとうめいて両膝を床についた。
「フィル!」
クリスティーナは悲痛な叫び声を上げて、フィルを抱き留める。
「早く手当を!」
誰にともなく助けを求め、クリスティーナは涙をこらえてフィルを抱きしめていた。
「これを。火傷によく効く薬草じゃ」
ベッドに寝かされたフィルは何度も流水で手を洗われたあと、神の遣いとされる『シャーマン』と呼ばれるおばあさんの手当を受けていた。
薬草を塗り、その上から包帯で巻くと、シャーマンはクリスティーナを振り返る。
「しばらくすれば痛みはなくなる。傷もほとんど残らんじゃろう」
「ありがとうございます、シャーマン様」
クリスティーナはホッとしながら、目を潤ませて頭を下げた。
「それにしても、この剣を抜いたというのは真か?」
え?と、クリスティーナは首を傾げて、フィルの横に置いてある剣に目を転じる。
「あ、はい。この剣が壁に掛けてあったのをお借りしました」
「なんと!では、この剣で戦ったというのか?」
「ええ、そうですが…」
なぜそんなに驚かれるのだろう。
ひょっとして、勝手に触ってはいけないほど大事な剣だったのだろうか?
「あの、申し訳ありませんでした。手元に武器がなかったものですから…」
クリスティーナが深々と頭を下げると、シャーマンは首を振った。
「謝ることはない。この剣はこの王子の物なのだから」
「え?それはどういう…」
ますますクリスティーナは首をひねる。
「この剣はその昔、私の祖先がまじないをかけて作った剣なのじゃ。これを鞘から引き抜けるのは、太陽の王となる者だけだと」
「太陽の王…でございますか?」
「そうじゃ。天からの祝福を受けて生まれ、人々を幸せへと導く、光輝く王。その王の為にこの『太陽の剣』は作られた。何百年も経つが、今まで誰一人としてこの剣を抜くことはできなかった。私はいつかこの目で、太陽の王がこの剣を抜くところを見たいと願っていたんじゃよ。それがまさか、この国の王ではなく、他国の王子だとは思いもよらなかったがの」
「それが、フィル…」
クリスティーナはシャーマンの言葉を噛みしめながら、ベッドで眠っているフィルを見つめた。
病み上がりで戦った疲れもあってか、フィルはしばらく眠ったままだった。
クリスティーナは片時もそばを離れず看病していたが、王妃に促されてドレスに着替え、少しの食事を取った。
半日ほど経って、ようやくフィルは目を覚ます。
クリスティーナはすぐさまフィルの顔を覗き込んだ。
「フィル?大丈夫?」
「…ティーナ」
フィルは優しく微笑むと、クリスティーナの頬に右手で触れる。
「無事で良かった、ティーナ」
「フィルは?まだ痛む?」
「いや、もう平気だ」
「薬草が効いたのね、良かった」
クリスティーナは涙ぐんで、頬に触れられたフィルの右手をそっと両手で包み込む。
「どれ、腕を見せてごらん」
後ろからシャーマンの声がして、クリスティーナは場所を譲った。
フィルが身体を起こすと、シャーマンは包帯を取って傷を確かめる。
「赤みも引いてるね。これならもう大丈夫じゃ」
「ありがとうございます」
礼を言うフィルを、シャーマンは感慨深げに見つめた。
「そなたが太陽の王か…。もはや古い言い伝えは、誰にも信じられずにいたというのに。私の祖先は、やはり正しかった。私はずっとこの時を待っていたのじゃよ」
…は?と、フィルはポカンとしている。
国王が歩み寄り、フィルに詳しく話して聞かせた。
「私ですら、信じていなかったのだよ。何度も抜こうと試みたが、剣はびくともしなかった。私だけではなく、父も祖父もね。だから飾りのように、ダイニングルームに掛けておいた。それがまさか、目の前でいとも簡単に引き抜かれるとは…。驚きのあまり夢でも見ているのかと思ったよ。だが改めて考えてみると納得した。そなたは我がスナイデル王国を救ってくれた英雄だ。この剣を持つにふさわしい。いや、そなたしかこの剣を持つことは許されないのだ」
そう言って、スナイデル国王はフィルに太陽の剣を手渡す。
「我々は未来永劫、あなたに感謝するよ。太陽の王」
国王が頭を下げると、王妃や王子達、その場にいた全員がフィルに深々と頭を下げた。
ダイニングルームでご馳走を振る舞われたあと、フィルとクリスティーナは身支度を整えて帰る準備をした。
「もう少し休んでいかれた方が…」
心配する王妃に、クリスティーナは微笑んで首を振る。
「子ども達が待っていますので」
「そう。それなら早く帰ってあげないとね。でも本当にあなた達がご無事で良かったわ。わたくし達のことなど助けずに、すぐにここを去ることだってできたのに」
そう言われて、確かに…と、思わずクリスティーナはフィルと顔を見合わせた。
牢から脱出したあと、そのまま馬に乗って立ち去ることもできたのだが、二人にはそんな発想はまるでなかった。
「こんなに酷いことをしたこの国を助けてくださって、本当にありがとう。心から感謝いたします」
お礼はまた改めて。今はとにかく早くお子様達のところへ、と、二人は豪華な馬車を用意される。
フィルはしっかりと太陽の剣を腰に差し、最後にクリスティーナと共に見送りの人達を見渡した。
クリスティーナは、遠くからそっとこちらの様子をうかがっているケイティを見つけると、真っ直ぐに歩み寄る。
「ケイティ」
「クリスティーナ様…」
ケイティは目に涙を溜めて深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。どのような罰も受け入れる所存でございます」
「罰なんて、何もないわ」
牢屋に入れられたグラハム2世はこれから然るべき処罰を受けるだろうが、ケイティに非はないと、クリスティーナは国王と王妃に話してあった。
「ケイティ、ご家族のことで困ったことがあったら、いつでもコルティアに手紙をちょうだいね。力になれたらと思っているから」
「クリスティーナ様…」
ケイティは驚いて目を見開いてから、ポロポロと涙をこぼす。
「もったいないお言葉でございます。クリスティーナ様、本当に申し訳ありませんでした。お優しいクリスティーナ様のことは、一生忘れません」
「ありがとう、ケイティ。またいつか会いましょうね」
クリスティーナはケイティの背中に手を添え、優しく微笑んでから馬車に乗り込んだ。