輝く未来の国王は 愛する妃と子ども達を命に代えても守り抜く【コルティア国物語Vol.2】

部屋に戻って着替えると、ソファでお茶を飲みながら休憩することにした。

「ふう、無事に終わってなによりね」
「ああ。誰かさんが居眠りしている間にね」

フィルの嫌味にギクリとしながら、クリスティーナは素知らぬフリで話題を変える。

「ホッとしたらなんだかお腹が空いちゃった」
「寝てただけなのに?」

うぐっと言葉に詰まり、クリスティーナは唇を尖らせる。

「だってあんなに堅苦しい言葉を長々と述べられたって、頭の中に入ってこないんだもの」
「ヤレヤレ。王太子妃よ、頼むから今夜の舞踏会でそんなこと言わないでくれよ?」
「分かってるわよ。心配しなくても、美味しいお料理を食べるのに夢中で、居眠りしてる暇はないわ」
「そっちの話じゃないってば!」

フィルが頭を抱える隣で、「あー、楽しみ!たくさん食べよう」と、クリスティーナは満面の笑みを浮かべていた。
「コルティア国王太子、フィリックス=アーサー殿下と、王太子妃、クリスティーナ=アンジェ妃殿下にあらせられます」

夜になり、着飾った紳士淑女が集まる中、フィルとクリスティーナは腕を組んでにこやかに大広間に足を踏み入れた。

「まあ、なんて麗しいお二人ですこと」

うっとりとした感嘆のため息の中、二人は優雅にお辞儀をする。

早速グラスが配られ、皆で乾杯すると、軽やかに音楽が奏でられ始めた。

「王太子様、クリスティーナ様。どうかお二人のダンスをご披露くださいませ」

年配の婦人に前のめりに話しかけられ、フィルとクリスティーナは少し苦笑いしてからグラスを置いた。

「いいの?クリスティーナ。お腹が減って動けないんじゃない?」
「ちょうどいい準備運動だわ。あとでお腹がはち切れるまで食べるから」
「うわー、目が本気だな」
「当然よ」

小声でやり取りしながら、フィルはクリスティーナの手を取って、中央にエスコートした。

向かい合ってお辞儀をすると、周りの人達が二人に場所を譲って注目する。

フィルはクリスティーナのウエストをグッと抱き寄せ、軽快なワルツに合わせてステップを踏み始めた。

クリスティーナも微笑みながらフィルを見つめ、軽やかに息の合ったワルツを踊る。

クリスティーナのブルーのドレスがフワリと揺れて、皆はうっとりとその美しさに見とれていた。
「クリスティーナ。君がこんなにダンスが上手いなんて思わなかったよ」

フィルの言葉に、クリスティーナは首を傾げる。

「あら、どうして?」
「だって君は筋金入りの不器用で、女の子らしいことは全部苦手じゃないか。料理も刺繍もからっきしだし、読書もしなけりゃ勉強だって…」
「フィル?かかとで足を踏んづけて差し上げましょうか?」

ヒエッ!とフィルは首をすくめた。

クリスティーナはピタリとフィルに寄り添ったまま、華麗なステップでドレスを美しく揺らす。

「身体を動かすのは得意なのよ。乗馬や剣術と同じで」
「なるほどね。でも初めて君の女性らしさを垣間見たよ」
「ちょっと!さっきからもう…。褒めてるの?けなしてるの?」
「恋に落ちてるんだよ。改めて君にね」
「は?!もう、バカ!」

真っ赤になったクリスティーナは、恥ずかしさに思わずフィルの胸に頬を寄せる。

周りからより一層、うっとりとしたため息が聞こえてきた。

「ティーナ。俺の可愛いプリンセス」

耳元でフィルがささやき、クリスティーナは顔から火が出そうになる。

「ちょっと…。絶対面白がってるわよね?フィル」
「んー?違うよ。愛してるんだよ」
「何言ってるのよ、まったく」
「だって可愛いドレスを着たティーナがこんなに俺にくっついて、優雅に踊ってくれるなんてさ。俺、今夜はティーナに惚れ直したよ。心から君を愛してる」

真っ直ぐに告げられる言葉に、クリスティーナは何も言えずにうつむく。

「どうしたの?ティーナ」
「ど、どうしたって、その…。恥ずかしくて」
「なにが?」
「だから、フィルが、そんなこと言うから」

消え入りそうな声でそう言うと、フィルは嬉しそうに笑う。

「照れちゃって可愛いね。今夜のティーナは愛しくてたまらない。もうずっと俺の腕の中に閉じ込めておこう」

フィルは身を屈めてクリスティーナにささやき、優しく頬にキスをする。

「大好きだよ、ティーナ」

クリスティーナはもはや顔を上げられずに、ひたすらフィルの胸に額をくっつけていた。
舞踏会が終わり、部屋に戻ってソファで休憩していると、ノックの音がした。

「はい、どうぞ」
「失礼いたします」

入ってきたのは、いつもの年配の男性執事だった。

「お疲れのところ恐れ入ります。こちらは本日ご署名頂きました、平和友好条約でございます。どうぞ大切に祖国に持ち帰られますように」
「ありがとう」

フィルが受け取ると、執事は後ろに控えていたケイティの持つトレイから、ワイングラスを二つ取り上げた。

「それからこちらは、明日お二人がお帰りになる際にお持ち帰り頂く予定のワインなのですが。2種類のうち、どちらを差し上げようか迷っておりまして。よろしければテイスティングして頂けませんか?」
「いえ、そんな。お気遣いなく」

明るくフィルが断ると、執事は一歩前に踏み出してきた。

「そうおっしゃらずに、どうかひとくちだけでもお試しくださいませ。せっかく差し上げるのですから、お好みの物を選んで頂きたいのです」

穏やかな笑顔を向けられて、仕方なくフィルとクリスティーナはグラスを受け取った。

深みのある赤ワインのかぐわしい香りが鼻孔をくすぐる。

フィルがゆっくりとグラスに口をつけるのを見て、クリスティーナもグラスを傾けた。

次の瞬間ーーー

フィルが大きく目を見開いたかと思うと、「飲むな!」と叫んでクリスティーナの手からグラスを払い落とす。

パリンと床でグラスが割れる音がした刹那、フィルがその場に一気に崩折れた。

「フィル!」

クリスティーナが慌てて手を伸ばしてフィルを抱きしめるが、勢い余ってそのまま二人でソファに倒れ込んだ。

「フィル、フィル?どうしたの?フィル!」

ぐったりと目を閉じ、荒い息をくり返しているフィルに、クリスティーナは必死で呼びかける。

フィルの顔色はみるみるうちに青ざめ、額には大粒の汗が滲み出ていた。

「どうしてこんな…。フィル!お願い、返事をして」

するとフィルがほんの少し目を開けた。

「…毒だ」

ハッとクリスティーナは息を呑む。

恐る恐る顔を上げると、ニヤリと不気味にほくそ笑む執事がこちらを見下ろしていた。
「ほう、3秒で息の根を止める劇薬を口にしながら、まだ息があるとは。さすがはコルティア国王太子。普段から毒に身体を慣らしていたのだな?」

冷たい口調の執事に、クリスティーナはワナワナと震え出す。

「あなた一体、フィルに何を飲ませたの?!どうしてこんな…」

込み上げてくる涙をこらえ、フィルを胸に抱きしめながら、懸命に口を開いた。

「助けて!フィルを死なせないで!」
「そうおっしゃられてもねえ。私だって並々ならぬ覚悟で、こんなことをしたのですから」
「どうしてよ?フィルがあなたに何をしたって言うの?一体、何が目的なのよ!」
「目的ですか?強いて申し上げるなら、これまで虐げられてきた己を救う為、でしょうか」

クリスティーナは、訳が分からないとばかりに首を振る。

「いいから、早く!フィルを助けて!お願い、フィルを死なせないで…。何でもするから、フィルの命だけは…お願い」

涙を溢れさせながら、胸にフィルをかき抱いてクリスティーナは懇願する。

「これは美しい夫婦愛ですな。なるほど、分かりました。王太子を死なせるより、苦しませる方が見ものだ。この場は助けましょう」

クリスティーナはパッと顔を上げる。

「本当に?」
「ええ。ですがその代わり、あなたが囚われの身となるのです。それで良ければ、これを差し上げますよ」

そう言って、懐から小さな瓶を取り出した。

「解毒剤です」

差し出された小瓶を、クリスティーナはすぐさま奪い取る。

蓋を開けると、胸に抱いたフィルの口に持っていった。

「フィル、飲んで」

フィルは苦しそうに顔を歪めながら、首を振る。

「どうして?これを飲めば助かるのよ。さあ、飲んで」
「ダメだ…、代わりに、君が…囚われる」

息も絶え絶えに呟くフィルに、クリスティーナは語気を強める。

「私のことはいいから!お願い、フィル。飲んで。ね?」
「ダメだ…」

フィルはかすかに目を開けると、クリスティーナを見つめた。

「行かないで…ティーナ」

苦しそうに、切なそうにささやくフィルに、クリスティーナはとめどなく涙を溢れさせる。

「ずるい…。こんな時に、そんな呼び方…」

だがグッと唇を噛みしめると、クリスティーナは手にした小瓶を自らの口に当て、一気に中身をあおった。

「何を?!」

執事が驚く中、クリスティーナはフィルを抱きしめ、深く口づける。

「…んっ」

フィルが身をよじるが、クリスティーナはギュッと強くフィルを抱きしめ、更に深くキスをした。

やがて、コクンとフィルの喉が動き、クリスティーナはゆっくりと身体を起こす。

しばらくじっと様子を見守っていると、ほんのわずかだが、フィルの呼吸が静まってきた。
「あと30分もすれば、楽になりますよ」

声をかけてくる執事を、クリスティーナはキッと睨みつける。

「本当でしょうね?」
「嘘は申しません。ですが睡眠作用が強いので、24時間は眠り続けるでしょう。それよりあなたこそ、嘘をついた訳ではないでしょうね?」

意図することが分かり、クリスティーナは頷いた。

「今、行きます」
「よろしい。さすがはコルティア国王太子妃だ。コルティアは本当に良い国ですね」

何を空々しく褒めるのかと、クリスティーナはグッと奥歯を噛みしめる。

そしてもう一度フィルの顔を覗き込んだ。

「フィル、もう大丈夫よ。ゆっくり休んでね」

小さく呟くと、そっと頬にキスをする。

またしても涙が込み上げそうになるのをこらえ、フィルをソファに横たえると、クリスティーナは迷いを振り切るように立ち上がった。

ツカツカと歩き出すと、執事がうやうやしく頭を下げながらドアへと促す。

クリスティーナは振り返ることなく、フィルを残して部屋を出た。
長い廊下を歩き、小さな扉の先にある石畳の螺旋状の階段を上がると、殺風景な部屋に押し込まれた。

(ここは、今朝外から見えた塔?)

クリスティーナは、冷たい石の壁が広がる部屋を見渡して考える。

ベッドと小さな机と椅子があるだけの、生活感のない部屋。
しばらくはここに幽閉されるのだろう。

「ケイティ、しっかり手枷をつけて見張っておけ」

執事はそう言い残し、部屋を出ていった。
ケイティと二人で残されたクリスティーナは、どうしたものかとケイティを見る。

執事に手渡された手枷を握り、じっとうつむいたままのケイティに、クリスティーナは近づいた。

黙って両手を差し出すと、ケイティは驚いたようにビクッと身体をこわばらせる。

「手枷、つけないと叱られるわよ」

クリスティーナがそう言うと、ケイティは震える手でクリスティーナに手枷をつけた。

「申し訳ありません…」

絞り出すような声で謝るケイティに、クリスティーナはため息をつく。

「ケイティ。私、あなたのこといい子だなって思ってたわ。だからこんなことをされて、とても悲しい」

ケイティは、カタカタと身体を震わせながらうつむいている。

「でもやっぱり、あなたが理由もなくこんなことをする子だとは思えないの。なぜこんなことをしたの?って本当は責めたいけれど、やめておくわ。ただ一つ、お願いがあるの」

え…、とケイティは視線を上げる。

「明日、フィルが無事かどうか確かめてきて。ただそれだけ。お願いね」

そう言うとクリスティーナは、窓の近くにある椅子に座った。

(それにしてもケイティったら。こんなにゆるゆるにつけたら、簡単に手首が抜けちゃいそう。手枷っていうのはね、ただはめるだけじゃなくて、グッと輪っかを縮めなきゃ…)

心の中でブツブツひとりごちていると、ケイティが涙声で、申し訳ありません!と大きく頭を下げた。

「わたくしの父は病気がちで、母が五人の子どもを育てながら働いています。貧しいわたくしの家族を助ける代わりに、あの方にここで働くように言われたのです。逆らえば、家族は見捨てられます。それでわたくし、か弱い王太子妃殿下にこんな恐ろしいことを…。本当に申し訳ありません。こんなことをわたくしが申し上げるなとお怒りかと存じますが、どうかお気を確かに…」

なるほどね、とクリスティーナは頷いた。
それなら悪いのはやはりあの執事だ。

「ケイティ、もういいわ。あなたこそ気をしっかり持つのよ」
「まあ、お妃様。ご自身こそお辛いのに、わたくしのことなど…。お優しいクリスティーナ様、ありがとうございます」

ケイティは涙を拭って頭を下げる。

「大丈夫よ、私そんなに…」

か弱くないわよ、と続けようとして、ふと思いついた。

(そうか、私がじゃじゃ馬だってこと、この国の人は知らないんだわ。それなら、か弱いと思わせておいた方がいいわね)

クリスティーナは急にシュンとしおらしくうつむき、悲しげな雰囲気で涙をこらえるフリをした。
(あそこに見える離れのような建物は、使用人達の部屋なのかしら。それなら、コルティアから一緒に来たお付きの人達もあそこに泊まっているのかも)

暇を持て余し、ひたすら窓の外を見ながらクリスティーナは思案する。

コルティアからここまでは、四人の付き人と共にやって来た。
到着してからは、スナイデルの侍女達にお世話になっている為、コルティアの付き人とは顔を合わせていない。

(なんとかして彼らに知らせられたらいいのに)

そう思いながら、頭の中で様々な作戦を立てる。

確かな時刻は分からないが、今はおそらく夜半過ぎ。

明日の午前中にはフィルとクリスティーナはここを発ち、コルティアに帰ることになっていた。

朝から二人の姿が見えなければ、何かがおかしいと気づいてもらえるだろう。

コルティアを出発した時から、クリスティーナは左足の太ももに短剣をベルトで留めて忍ばせていた。
いざとなればその短剣で戦える。

問題は、このドレスだ。
舞踏会の時に着ていたドレス姿のままだったのだが、これではさすがに動きづらい。

(ケイティに着替えを頼む?いや、最初はあまり下手に動かず、様子を見た方がいいわね。失意の中にいる王太子妃って芝居をした方がいいわ)

クリスティーナはわざと肩を落とし、途方に暮れている王太子妃を演じていた。
一睡もせずに夜を明かすと、空が明るくなってきた頃、執事がパンと水を持って部屋に戻ってきた。

「食事だ」

クリスティーナは、差し出された皿に一瞥もくれずに首を振る。

「安心しろ。毒は入っていない」

執事がそう言うが、クリスティーナは顔を背けたままだった。

本当は少しでも力を蓄える為に食べておきたかったが、今はとにかく悲しみに暮れる演技をして、相手を油断させなければいけない。

頑なな態度のクリスティーナに執事は小さく息を吐くと、机の上に皿とコップを置き、衝撃の事実を告げた。

「コルティア国から使者が来て、急ぎ国に帰らなければならなくなり、夜明け前に王太子夫妻はここを出発した、と国王陛下に報告した」
「…なっ、なにを」

クリスティーナは呆然とする。

「コルティアの付き人達には、王太子の体調がすぐれない為、これよりスナイデル王国の馬車で送ると告げ、先に出発し、道中の宿の手配をせよと命じてある。間もなく出発するだろう」

慌てて窓の外を見ると、見覚えのある付き人達が慌ただしく馬車に乗り込み、去っていくところだった。

(待って、行かないで!)

心の中で叫ぶ声も虚しく、馬車はあっという間に見えなくなる。

今まで冷静さを保っていたクリスティーナも、とうとう心細さに涙が込み上げてきた。

「そんなに悲しまなくとも悪いようにはしない。ただ少し、利用させてもらうだけだ」

クリスティーナは執事を振り返ると、鋭い視線で睨みつける。

「どういうつもり?」
「間もなく声明を出す。コルティア国王太子夫妻を人質に取ったと。そしてスナイデル王国はコルティアを支配下に置き、一気に諸外国に宣戦布告する」

目を見開いたクリスティーナは、次の瞬間ワナワナと身体を震わせた。

「何をバカなことを!執事一人にそんなことができるはずは…」
「そう、執事にはできない。だが、国王ならばどうだ?」
「…どういうこと?」

クリスティーナの声がかすれる。

(もしかして、この人…)

ずっと胸の中にくすぶっていた違和感が、徐々にはっきりと浮かび上がってきた。

昨日、塔の窓からクリスティーナを見下ろしていたのは、おそらくこの執事。
60才くらいに見えるこの執事の面影が、妙に誰かと似ている気がしてならなかった。

「あなたは一体、誰?」

クリスティーナは目を細めてじっと様子をうかがう。
執事はゆっくりとかけていた黒縁の眼鏡を外した。
視線を上げた執事に、クリスティーナはハッと息を呑む。

(この顔立ち、スナイデル国王と似ている…)

遂にクリスティーナは、疑問の答えにたどり着いた。

この執事こそ、現スナイデル国王の兄なのだと。