小鳥の鳴き声と青空に登っている眩しい太陽の光で目が覚めて、私はベッドから起き上がった。いつもと同じ朝……だと、思っていたんだけど。
 ジューっと何かを焼いている音が聞こえてきて、急いでリビングへ行ってみた。

 「……えっ、スグル?」

 「あっ、おはよう星奈ちゃん! ごめんね勝手に借りて料理してた」

 ……嘘でしょ。私まだスグルに料理を教えてないのに、ちゃんとした料理ができるのだろうか、と心配になる。
 けれどその心配はかき消されて、ジューシーな香りがふんわりと漂ってきた。

 「はい、星奈ちゃんどうぞ!」

 「……いただきます」

 ベーコンで巻いてあるアスパラガスを口に運ぶ。この料理、たぶんスグルが作ったんだろうな。
 口の中でベーコンの味が広がって、アスパラガスの程よい苦みと交わる。……予想していたよりも遥かに美味しい。

 「どうかな? 上手く出来た?」

 「……美味しい。これ、どこで教わったの?」

 「神様に聞いたんだ。冷蔵庫にある具材を教えて、こうやって作れって!」

 神様って言葉、物語の世界でしか聞かないと思ってたのに、こんな軽々と現実で聞くことができるなんて……感心する。
 やはりスグルは努力家なんだろうな、というのが分かる。

 「ご馳走さまでした。スグル、ありがと。行ってきます」

 「うん! 夜も作っておくね。行ってらっしゃい、星奈ちゃん」

 何か新婚夫婦みたいだなぁ。
 って、私は何で変なことを考えているんだろう。相手は人間じゃない、星なのに。もう、ほんと馬鹿……!

 「あぁもう、スグルと話すとろくなことがないんだからっ」

 「……スグル?」

 思わず独り言で口に出してしまうと、一人の女の子が不思議そうに私を見つめてきた。
 よく見ると私と同じ制服で、リボンの色も一緒だから同級生なんだ。

 「ねぇねぇあなた、今スグルって言った?」

 「え、えっと……あなたは?」

 「私、赤塚 遥花(あかつか はるか)です。同じクラスの綾川さんだよね? 昨日話してみたいなぁって思ってたんだ」

 赤塚さんは高い位置に結んであるポニーテールを揺らし、可愛らしい笑顔でそう言った。同じクラスにこんな可愛い子いたっけ……昨日はスグルのことばかり考えていたから覚えていない。
 それに私の存在、覚えていたんだ――。胸がぎゅーっと締め付けられる。また裏切られたら怖い……!

 「あっ、ごめんね、遅刻しちゃうよね。一緒に行こう、スグルさんの話も聞きたいし」

 さっきはあまり深く考えずにいたけれど、赤塚さん、スグルのことを何か知っているのだろうか……?
 人と関わることはなるべく避けたかったけど、スグルのことを聞きたいから仕方ないよな、とため息を吐く。

 「赤塚さん、スグルのこと知ってるの?」

 「えぇっ、綾川さん、スグルさんと知り合いなの? あの事件、十年前だった気がするけど……」

 『あの事件』『十年前』
 赤塚さんの言葉に私はピーンと来た。本当は信じたくないし、間違っているかもしれない。
 ……でも、もしかしたら、だけど。

 「――自殺事件、だよね? 確か高校一年生の男の子だったって」

 「そうそう、それ。その子の名前は、関沢 優流 (せきさわ すぐる)さん。使用されたのはナイフだったって。でもスグルさんの家庭は特別何かあった訳じゃないし、いじめもなかったらしいし……未だに原因不明なんだって」

 スグルは私のことを助けてくれるという理由で、星から人間になって私のもとへ来てくれた。でも、どうして星になったのかは聞いていない。
 その十年前の自殺事件の本人が、スグルだとしたら? ……スグルにも、何か辛い過去があるの?

 「ていうか、綾川さん、スグルさんのこと呼び捨てにしてたよね。知り合いだったの?」

 「え、えーと、知り合いにスグルって子がいて。その子のことかなぁって思ったのっ」

 勢いに乗って言っちゃったけど、声が上擦っていた。私、秘密を隠すの苦手なのだろうか。
 ……十年前の事件と、スグルは関係ないよね。そう自分に言い聞かせて、忘れることにした。


 「おはよー、遥花」

 「おはよう! 紹介するね、今日仲良くなった綾川星奈さんだよ」

 学校に着いて静かに過ごそうと思ったら、赤塚さんの友達に私のことを紹介された。
 高校生活は誰とも関わらないで平凡に大人しい人でいたかったのに……これじゃあその願いは叶わなくなってしまった。

 「へぇ、遥花に友達できるなんてね……。私、東間 優衣(あずま ゆい)。よろしくね、星奈」

 この人――東間さん、いきなり人のことを呼び捨てにするタイプ……。仲良くなりたいという気持ちは嬉しいけれど、私からしては苦手だ。
 それに『遥花に友達できるなんてね』。この言葉ってどういう意味なんだろうか。

 「え、えっと、綾川です。よろしくお願いします」

 「あぁタメ口でいいよ。星奈はしっかりしてて丁寧なんだね。遥花とは大違い」

 「ちょっと優衣、どういう意味っ?」

 二人が仲良く喧嘩しているのを見て、私も自然と笑顔になってしまう。赤塚さんや東間さんと仲良くなろうとはまだ思えないけど。
 私はきっとまた、失うのが怖いんだろうな。もし友達になれたら嬉しいけど、その分失くしたときが怖いんだ――。


 「お疲れー、綾川さん!」

 「お疲れ様、赤塚さん。疲れたね」

 「ねー、ほんとだよ。私はこれから部活もあるし、帰りたいなぁ」

 どうやら赤塚さんは吹奏楽部に所属しているらしい。平日だけでなく土日の練習もあって、疲れると言っていた。
 私は中学校の頃から部活に入っていない。お金を無駄遣いしないように気をつけているのもあるけれど、趣味という趣味がなかったから。

 「綾川さんも吹部入らないー?」

 「……ごめん、私、音符とか読めないから」

 「えぇ、そんな人いっぱいいるよ。大丈夫だよ、見学だけでも――」

 「ちょっと遥花、それくらいにして。星奈が困ってるよ」

 せっかく赤塚さんが吹奏楽部に誘ってくれているのに、どう断わればいいか分からなかった。だから東間さんが割って入ってきてくれてホッ、とする。
 吹奏楽部の音色はよく聴こえてくる。それぞれの楽器のハーモニーが重なって、とても美しい。でも自分が吹きたいとは、思えないんだ。

 「ごめんね、綾川さん。私、友達が優衣しかいないからさ、どう接せばいいか分からないんだ」

 えっ、と思わず声を出しそうになった。優しくて可愛らしい赤塚さんは、勝手に友達が多そうなイメージを持っていた。
 でも実際は、東間さんしか友達がいないだなんて。私も人のことは言えないけれど、とても驚きだった。

 「じゃあまた明日ね、綾川さん、優衣」

 「ん、またね」

 「……また明日」

 東間さんはどうやら卓球部に所属しているけれど、今日は部活がないらしい。……これ、東間さんと一緒に帰る流れな気がするんだけど。
 正直、赤塚さんも東間さんも、いい人だと思う。でも絶対に深く関わりたくない。失うのが怖いから。

 「あのさ、星奈」

 「あ、はいっ! な、なに?」

 「遥花のこと、なんだけど」

 いつもとは違って東間さんが真剣な表情で何かを話そうとしている。
 今朝の『遥花に友達ができるなんてね』という言葉が気になる。何か関係あるのだろうか。

 「私と遥花は幼馴染で、小さい頃から仲良いんだ。明るくて可愛くて人気者だった。でも遥花は体弱くて、たまにしか学校にも来なかった。それでだんだん、友達も遥花から離れていったんだ」

 「……そう、だったんだね」

 喉の奥から無理やり声を出す。なんと言えばいいのか分からなかった。
 赤塚さんが人気者だったのは確かに納得がいくけど、身体が弱いのは想像できなかった。表情がすごく……元気そうだったから。

 「遥花、きっと辛い過去を乗り越えたんだと思う。だから仲良くしてあげて、星奈」

 「……うん」

 そんな短い言葉で返すのがやっとだった。
 だって、私は今も昔もずっと辛い。過去を引き摺ったまま、過ごしているんだ。
 なのに私の『人と関わりたくない』という気持ちは無視して、勝手に友達認定されてしまった。
 それがものすごく怖い。

 「じゃあまたね、星奈。暗い話してごめん」

 ――きっと、東間さんは悩んでいることなんてないんだ。辛い過去の経験をしたことがないからそんなふうに言えるんだ。

 「大丈夫だよ。じゃあね」

 やっぱり今日一日過ごしてみて、私の答えは変わらなかった。これからも赤塚さんや東間さんとは関わらないようにしよう。
 もうこれ以上誰にも裏切られたくない、大切な人を失いたくない……。深く、強くそう思った。