うーんと背伸びをし、ゆっくりとベッドから体を起こす。カーテンを開けると、昨日雨が降っていたとは思えないほどの眩しい日差しが目に入る。
 時計を見るとまだ六時だった。少し早めに起きてしまったけれど、二度寝すると起きれないからそのまま起きておこう、と思う。

 一階へ降りてリビングの椅子へ座り、この前買っておいた食パンを一口かじると、やわらかい食感の甘さが口のなかに広がった。
 一人暮らしというのはやはり楽だ。自分のペースで食べられるし、他の人の分の料理を作る手間もないのだから。

 私は学校へ行く準備をし、ブレザーの制服を着る。中学校のときはセーラー服だったから、何だか慣れないけれど。
 今日から高校生になるんだ、と改めて実感する。――時が経つというのは本当に早い。

 「お母さん、お父さん。行ってくるね」

 玄関に飾ってある、かけがえのない三人家族の写真に話しかける。返事は来ないと分かっているけれど、こうするのは私の日課だ。
 亡くなった二人が私のことを見守ってくれていると、そう信じて。

 「わぁ……綺麗」

 外に一歩出ると、桜が舞い散っていた。一つ一つの花びらが風に揺られて舞っていて、思わず声に出してしまうほど美しい。
 この季節は桜がとても綺麗だ。春といえば桜、と答える人がほとんどだろう。実際、私も桜は好きだ。
 でも、でも。この季節はうんざりするほど嫌いだ。大切な人を二人同時に失った春だから――。

 「痛っ」

 舞っている桜をぼーっと見つめながら歩いていると、曲がり角で通行人と鉢合わせしてしまった。
 背は私より少し高いくらいで、可愛らしい顔立ちをしている……たぶん、男性だろう。
 って、そんなことより。ぶつかってしまった人に謝らないと。

 「す、すいません。お怪我ありませんか?」

 「……人間!? やっと会えた!」

 ――いや、出会って最初の発言がそれ?
 思わず心のなかでツッコミを入れてしまった。その男性は目を光り輝かせて、私の顔をじっと見つめてくる。
 何か、関わったらとても面倒くさいことになりそう。

 「ねぇきみ、人間だよね? ここらへんに住んでるの?」

 「いや、そんな個人情報教えるわけには……」

 「えっ、そうなの? ごめん、俺まだ人間のこと全然分からないんだ」

 ――何なの、この人。この人だって、見た目からして人間じゃない。
 それに出会ってすぐ、タメ口で話す人って子供くらいじゃないだろうか。人と話すときのルール、ってものを知らないのかな。

 「……あなたは、宇宙人なんですか」

 「えっ? あはは、きみは面白いこと言うんだね。残念ながらはずれ!」

 ケラケラと面白そうに笑っている。何だか馬鹿にされたようで腹が立ってくるんだけど。
 失礼な人のはずなのに、この人のことが気になってしょうがない。人を惹きつけるオーラがこの人にはある。

 「じゃあ、何なんですか?」

 「――星だよ。夜に輝く、お星さま」
 
 頭上にどこまでも広がっている青空を指差してそう言った。
 ……やっぱりこの人頭がおかしいんじゃないの、と失礼ながら思ってしまう。
 見た目からして絶対に人間なのに、お星さまなんて言われても信じられないに決まっている。

 「……ふざけてます?」

 「えぇっ、ひどいなぁ! ふざけてなんかないよ、本当に俺はお星さまなんだよ」

 「じゃあ何かやってみせて」

 これでこの人の嘘は暴かれるだろう、と作戦を立てた。この失礼な男の子がお星さまなわけないもん。
 男の子は黙ってしまった。
 ――少し言い過ぎちゃったかな。

 「じゃあカウントダウンするから、空見ててね。三、二、一!」

 私は急いで青空を見上げる。すると信じられないことが起こったのだ。
 はっきりと目で見て分かる、七色の虹が青空に浮かんだ。
 雨なんて降っていなかったのに、急に空に虹が現れた。
 ――この人が、やったの?

 「えへへ、どう? 俺のこと信じてもらえた?」

 「……ちょっとだけね」

 「それなら良かったよ!」

 この人は感情が顔に出やすいのだろう。すごく……嬉しそうな表情をしている。
 本当に、変な人だ。この人が喜んでいると私まで嬉しく感じてしまう。

 「きみ、何て言うの?」

 「……綾川 星奈(あやかわ せな)

 「星奈ちゃんね! 俺はスグル。人間でいう、苗字? ってものはないよ」

 この人――スグルはそう言って、にっこりとした笑みを浮かべた。不意な笑顔に少しだけドキッ、としてしまう。
 こんな人でも星なんかになれるんだ、と思った。っていうか、まだ完全に信じたわけじゃないけど。

 「ところで星奈ちゃん、学校は大丈夫なの?」

 「……えっ? 待って、遅刻じゃん!!」

 スマートフォンを見ると、ここから走らないと間に合わない時間になっている。
 もう、余裕持って家を出たはずなのに。高校初日から遅刻なんて目立ってしまう。それは絶対に避けたい。

 「じゃ、じゃあ行くから」

 「あぁ待って、星奈ちゃん! 俺、星奈ちゃんを助けるために人間の世界に来たんだ」

 「私を、助けるため?」

 急いで学校へ向かおうとするも、そのスグルの言葉が気になってしまい、足を止めた。
 ……私を助ける。何度その言葉を聞いてきただろうか。そして何度裏切られてきただろうか。
 絶対に信じない。いくら星だとしても、それだけは信じてはいけないんだ。

 「……いい。私には構わなくて、いいから。じゃあね、スグル」

 スグルの悲しそうな表情を見て胸が痛くなったが、見て見ぬふりをしてもう一度歩き出した。
 そう、こうして私は何度も何度も傷ついてきた。人一倍、心を削られてきたのだ。

 だから、もう人間なんて信じることができない――ごめんね、スグル。
 何とか学校には間に合ったものの、スグルの最後の表情が気になって気になって仕方がなかった。

 「はい、皆さん初めまして。一年B組の担任となった田中 美沙子(たなか みさこ)と申します。一年間担任を務めさせていただきますので、よろしくお願いします」

 それぞれ自己紹介をしていくが、やっぱり私は人前で何かを言うことがとても苦手だ。緊張で心臓の鼓動が早くなっている。
 それにスグルのことが気になっちゃって……何だか胸がソワソワして落ち着かない。

 「……さん。綾川さんの番ですよ」

 「あっ、すみません! えっと、綾川星奈といいます。よろしくお願いします……」

 スグルのことばかり考えてしまっていて、自分の番が来たのに気づかなかった。はぁ、初日から目立つなんて嫌だったのに。
 クラスメイトが私の方を注目していて、至るところから視線が痛い。
 ――絶対に、目立ちたくないのに。


 学校が終わって帰宅の準備をし、帰り道を小幅で歩いていく。入学式と桜というのはとても似合っている。やはり春は桜が綺麗だ。
 お母さんとお父さんと、この景色見たかったな。そんな叶わない願いを心のなかで小さく思う。

 「あっ、おかえり、星奈ちゃん!」

 「……ス、グル?」

 帰り道を歩いていると、道端にある小さな花を見つめながら、スグルは座っていた。
 おかえり、って……もしかして私のことをずっと待ってくれていたのだろうか。数時間もの間、ここでずっと。

 「冷たい態度取ったのに、どうして待っててくれたの?」

 「どうしてって……俺星奈ちゃんを助けるって言ったじゃん。俺の責務を全うしなきゃ」

 ドキン、と胸が高鳴ったのが分かった。幼い子供のように無邪気なスグルが、こんなに男らしいことを言ってくれるなんて……。
 私のことを本当に考えてくれているのが伝わってくる。

 ――この人なら、信じられるかも。

 「ねぇ、星奈ちゃんは俺のことが嫌い? 俺、星奈ちゃんを助けちゃだめかな?」

 「そんなわけない。スグルに、救ってほしいと思ってる」

 そう言うと、スグルは満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに飛び跳ねた。さっきとは別人みたい。
 何だか私まで恥ずかしくなってしまうんだけど……。

 「これからよろしくね、星奈ちゃん!」

 「……よろしく、スグル」

 でもたぶん、これだけは確実に言える。過去の人たちのように、スグルは私のことを裏切らないと。
 目を見て分かるんだ。悪魔とは違う、スグルは確かに、みんなの願いを叶えてくれるお星さまのようだって。

 「ありがとう、星奈ちゃん! ところで……住むところないから、泊めてくれないかな?」

 ……は?

 こうして私とスグルの、そして人間と星の、不思議な関係に幕が上がった。