あちこちから蝉の鳴き声が聞こえてきて、額の汗が前髪についてベタベタして気持ちが悪い。
 七月に入ると、六月よりも更に暑さが増した。まだ夏になったばかりなのに、早く夏が過ぎないかな、なんて考えてしまう。

 「おはよー、星奈ちゃん!」

 「遥花ちゃんおはよう」

 「今日も暑いねー、やばい」

 「ほんとにね。熱中症に気をつけよ」

 あの日――スグルに想いを伝えて、星に帰ってしまった日。私はあの後遥花ちゃんと優衣ちゃんに無事に想いを伝えたことを報告したけれど、信じられないことに、二人はスグルの存在を忘れてしまっていた。
 たぶん、そういう規約なのだろう。人の記憶を消すようになっているんだと思う。でも、もしそうなら――私は、スグルと過ごした日々の記憶が全てある。
 それはスグルが残してくれたのかもしれない。

 「星奈ちゃんさ、覚えてる? 私と優衣に過去のことを伝えてくれた日のこと」

 「……うん、覚えてるよ」

 その日はスグルが帰ってしまった、ある意味想い出深い日だ。
 遥花ちゃんはどうやら記憶を失くしているようだけど、私は鮮明に覚えている。

 「あの日さ、星奈ちゃんが誰かに気持ちを伝えた人がいるって言ってたような気がするの」

 「えっ」

 「んー何だろう。何でかは分からないけど、何か……大切な人だった気がする」

 驚いた。何となくだけど、遥花ちゃんもスグルのことを覚えていてくれている。
 私の心だけでなく、遥花ちゃんの心のなかでもスグルは生きているんだ。もしかしたら、優衣ちゃんも同じかもしれない。
 それを知れただけで、本当に嬉しい気持ちになった。

 「ごめんね、気のせいかな?」

 「……ううん。確かに、私は想いを伝えたい、好きな人がいたんだ」

 素直にそう言うと、遥花ちゃんは目を丸くしていた。好きな人、って言うと少しだけ恥ずかしくなる。
 でも遥花ちゃんはきっと、信じてくれるだろう。

 「遥花ちゃんと優衣ちゃんも、実は会ったことがあるんだよ」

 「えっ、私も!? ごめん、全然分からなくて」

 「うん、分からないよね。その人は……星になって消えてしまった」

 「……亡くなった、ってこと?」

 その言葉に私ははいとも言えず、いいえとも言わず。返答に迷った。
 スグルは消えた――としか、言いようがないんだ。

 「私がその人に想いを伝えた途端、消えちゃった。すごく辛くて悲しかったけど、後悔はないの」

 「でも……好きな人がこの世にいないなんて、私には想像できない」

 「うん、すごく辛いよ。けれど、想いを伝えられて両思いになれた。それだけですごく嬉しい。もちろんもっと願い事はあったけどね」

 スグルとやりたかったこと、言ってほしかったことはたくさんある。でもそれは叶わないって最初から分かってた。
 それでも好きという気持ちを伝えたかったんだ。

 「何ていうか……星奈ちゃんはやっぱりすごいね。本当に尊敬しかない。てか憧れです!」

 「えぇ、私なんかまだまだだよ。遥花ちゃんのほうが可愛くて明るくて、一生懸命で。私が尊敬する方だよ」

 「もー、星奈ちゃんはすぐ褒めてくれるね! だから私調子乗っちゃうって〜」

 きっと遥花ちゃんは私のことを本気で好きになってくれた。そのことがとても嬉しい。
 やっぱり男の子は女の子を好きになって、女の子は男の子を好きになるのが普通なのかもしれない。――でも、私たちは普通じゃない。

 「星奈ちゃん、私頑張るね。最高にかっこよくて、一途に私のことを好きになってくれる人に出会ってみせる! はぁ、彼氏欲しいなぁ」

 「うん、遥花ちゃんならきっと彼氏できるよ。私応援するから」

 私はきっと、当分恋人を作るのは不可能だと思う。確かに欲しいとは思うけれど、スグルのことしかいまは頭にないから。
 ――スグルのことを考えると無性に会いたくなる。会いたいなぁ、スグル……。


 「おはよー、遥花、星奈」

 「優衣、おはよ!」

 「おはよう、優衣ちゃん」

 学校に着いて教室へ入ると、涼しくて爽やかな空気が漂っていた。ずっと外を歩いていたからか、物凄く快適な感じがする。
 ――そういえば、スグル、私の隣の席だったっけ。スグルがいなくなってから、私の空いている隣の席は謎に包まれてしまい、幽霊生徒という噂が渡ってしまった。

 「星奈ちゃんの隣の席、結局何だったんだろうねー。未だに残ってるし」

 「もしかして、ほんとに幽霊生徒がいて、いまここに座ってたりして」

 「あはは、まさか。そんなことあるわけ――」

 そう言いながらもう一度隣の席を見ると、一瞬、スグルの面影が重なった。
 透明なスグルの口が動いて、何かを言っている。……何が起きているの、スグルは私に何を伝えようとしているの?

 ――七月七日。きっと彼はそう言っていた。
 七月七日は七夕の日。織姫と彦星が一年の中で唯一会うことができる、特別な一日だ。

 「ねぇ、遥花ちゃん、優衣ちゃん。七夕の日って星を見ることができるよね?」

 「えっ、うん。晴れてたら絶対見れると思うよ」

 もしかしたらスグルは星空を、私にプレゼントしてくれるのかもしれない。何かの景色を見せてくれるのかもしれない。そう思った。
 いつの間にか隣の席に座っていた透明なスグルは消えてしまっていた。きっとそれを伝えるためにまた私に会いに来てくれたんだ。
 ――ほんと、気まぐれな人だなぁ。

 「それがどうかしたの?」

 「うん。今朝言ってた、大好きな人に会えるかもしれないの」

 「えっ!? 好きな人に!? 何で!?」

 「まぁ会えるっていうか、もしかしたら特別な景色が見れるかもしれないんだ」

 遥花ちゃんがとても驚くのに無理はない。私の好きな人は、きっと亡くなったと思っているのだから。
 でもきっとスグルはいまも星になって生き続けているのだろう。人間の私のことを見てくれていると信じている。
 だから、七夕の日だけでも。少しだけでいいから、スグルの姿を見たい。

 「なになに、星奈、好きな人がいたの?」

 「んーまぁ、そんな感じかな。でももう会うことはできないんだ」

 「……亡くなった、ってこと?」

 「ううん、そうじゃなくて。えーっと」

 やっぱり生きているとも、亡くなっているとも説明がし難い。
 でもスグルはきっと、星になって役目を果たしていると思う。ううん、そうに違いない。

 「きっと星になってると思う。きらきら輝いていて、私たち人間のことを見守ってくれてるの」

 そう言うと、二人はぱちぱちと瞬きをした。私の言っていることがよく分からないだろう。
 私は慌てて訂正した。

 「ごめん、何言ってるか分からないよね。バカみたいだよね」

 「あっ、違うの! 星奈ちゃんの話は本当なんだなぁって、分かってるよ!」

 「私も。だって星奈の気持ちには嘘がないもんね」

 ――私は、気持ちに嘘がない。
 二人はスグルがいなくなる前も、そう言ってくれた。きっとスグルのときの記憶だから覚えていないと思うけど。
 とても嬉しかった。いまもそう言われて物凄く嬉しい。

 「きっと星奈ちゃんの好きな人は、星になって星奈ちゃんのことを見守ってくれてるね!」

 「星奈、七夕の日会いに行ってきなよ。きっとその人のこと、見れるはずだから」

 「……うん。二人とも、ありがとう」

 約束の七夕の日。絶対にスグルに会いに行く。
 何ができるかは分からない。話せるかどうかも、会えるかどうかも、第一星が見れるかも分からない。
 でも行動してみないと、何も変わらないから。
 ――スグルに、もう一度会いに行かなきゃ。