小さい頃、女の子は誰でもいつか絵本の中みたいに幸せな『お姫様』になれると信じてた。
 キラキラとしたティアラ、ふわふわのドレス、立派なお城、素敵な王子様からの甘い愛。それらは憧れの幸せの象徴だった。

 それでも、成長するに従って、人は残酷な現実の洗礼を受けるものだ。わたし、榛名姫依(はるなひより)もそんな内の一人。

 勉強はギリギリ平均点、クラスで一番背は低くて、運動も苦手。方向音痴で、引っ込み思案で、おまけに高校生にもなって怖がりの泣き虫。
 何もしてないのに生活指導の先生からパーマを疑われるウェーブした癖っ毛がコンプレックス。
 矯正を掛けてもすぐに緩くうねり始めるこの髪は、いっそ気弱なわたしの一部にしては主張が強いと褒めるべきなのだろうけれど。
 すべてにおいて人並み以下のわたしには、特技や自慢なんてものはなくて。名前に『姫』なんて付くのに、物語なら良くて背景の町娘か、どこかのお屋敷の召使い。所謂モブだ。

 けれど、そんなわたしにも恐らく今世において唯一の、魔法のような奇跡が起きたのだ。
 それは、わたしなんかには勿体無いくらいの、世界一素敵な恋人が出来たこと。

「姫依! 待たせてごめん、帰ろっか」
「ううん、宿題して待ってたから大丈夫。生徒会お疲れ様、結斗くん」

 駆け寄ってくる姿も青春映画のワンシーンのように画になる彼が、付き合ってもうすぐ三ヶ月になるわたしの恋人、東雲結斗(しののめゆうと)くん。
 わたしよりひとつ年上の三年生で、先生からの信頼も生徒からの人気もあり、支持率も歴代最高だといわれる彼は、まさにみんなから愛される理想の生徒会長だ。
 さらには北欧系のハーフということもあってか背も高くて色素の薄い髪の毛はさらさらで、爽やかな雰囲気と柔らかな笑顔が眩しいイケメンのまさに王子様。

 擦れ違う女子全員の初恋泥棒レベルで、近所のおばあちゃんや、集団散歩中の幼稚園の女児達に求婚されるのも日常茶飯事。
 素で雨の日に捨て犬を見付けて里親探しをしたり、不良に絡まれた女の子を助けたり。優しくベタな好青年ぶりを発揮する、見た目も性格も行動も何もかも、どこから見ても完璧な人。
 そんな彼に、ただ一つだけ問題があるとすれば……

「あー……姫依からの『お疲れ様』で、明日の分の疲労も先取り回復した」
「えっ、それはさすがに……」
「それに放課後残って宿題とか偉過ぎるし、遅くなるって言ってたのに待っててくれるの健気過ぎる……今日も姫依が尊い……一生推す……」
「……、あはは」

 悪い魔女の呪いなのか、結斗くんは多分モブのわたしのことを、どこぞのお姫様か推しアイドルか何かと勘違いしています。


*****


「姫依、日曜日ってさ、空いてる?」
「日曜日……? うん、土曜日は舞桜(まお)ちゃんと約束してるけど、日曜日なら空いてるよ」
「ああ……芹沢(せりざわ)と。相変わらず仲良いな……」
「ふふ、やきもち……? なーんて」
「……多少。ダメ?」
「! だ、ダメじゃない、です……」

 女の子にまで臆面もなく嫉妬する様子は、日頃の王子様然とした姿からは想像もつかない。
 普段みんなにキラキラとした笑顔を振り撒いている彼は、わたしの前だとたまに子供っぽく表情を変える。
 わざとらしく唇を尖らせては拗ねてみせ、視線が合うとすぐに笑みを浮かべるのだ。
 ころころと変わる茶目っ気のある表情は、それこそアイドルのように目が離せない。
 恋人である以前に、幼馴染みのわたしだけが知っている、年相応の特別な顔。

「……舞桜ちゃんにも、結斗くんの話しておくね……」
「えっ、何それ、俺も聞きたい。混ぜて」
「それはダメ!」
「ちぇ。……まあいいや、日曜日は、姫依のこと独占させてね」
「……う、うん……」
「それじゃ、後で待ち合わせ場所とか連絡する」
「わかった。今日も送ってくれてありがとう……それじゃあ、またね」

 わざわざ反対方向のわたしの家の前まで送ってくれた彼に手を振って、途中何度か振り向いて笑顔で手を振り返してくれるその背が見えなくなってから、一息吐く。

「はぁ……」

 ハイスペックなイケメン彼氏から溺愛、なんて、どこぞのゲームか漫画かと友達には羨ましがられるけれど。実際この状況になると「こんな風に愛されて幸せ!」なんて簡単なものじゃない。
 今だって、ただ一緒に帰っていただけなのに、隣に並んで歩くと結斗くんがたくさんの女の子の視線を集めるのに嫌でも気付いてしまう。

 その度に、釣り合わない自分が嫌になるし恥ずかしくなって、つい歩く速度を遅くして半歩後ろからついていったり、俯いて顔を隠してしまう。
 こんなわたしのことを、彼が何でも褒めてくれるのが、いっそ居たたまれなくなるのだ。
 擦れ違った見知らぬ女の子から、心ない言葉を呟かれることだって数え切れないほどあった。

 お付き合いを始めたことは、親友の舞桜ちゃんにしか伝えてない。だから周りからすれば、わたしは結斗くんにくっついて回る邪魔な幼馴染み。金魚のフンでしかない。

「わたしは、お姫様じゃないもん……」

 部屋に戻り、着替えるのも億劫で、制服のままベッドに飛び込む。
 長い溜め息を吐きながら、無意識の内に髪に留めたヘアピンに触れた。赤くてキラキラの、女の子の好きそうなリボンの形。ずっと昔から使っているお気に入りだけど、高校生のわたしには少し子供っぽい。
 それでも、絵本のお姫様達と同じ年頃になったわたしに、ティアラが輝くことはない。

「結斗くんは、王子様なのになぁ……」

 結斗くんからの愛情はこれでもかと伝わってくる。けれど、わたしはわたしの駄目具合を一番知っているのだ。いつ愛想尽かされてもおかしくはない。寧ろお付き合いしている今の状況が異常なのだ。いっそ夢ではないかと何度頬をつねっただろう。

 だから、向けられる愛情が嬉しくなればなるほど、怖くなる。いつ捨てられるのか、いつ飽きられるのか、幸せを感じる度にいつも不安が同じだけ増えるのだ。
 与えられる愛情に胡座をかかずに、どうすれば『彼が評価してくれている姫依』に近付けるのかと、どうすればこの恋を延命出来るのかと、いつも見えない自分との追い掛けっこ状態。

「……大好き、なのに。苦しいなぁ……」

 町娘が王子様に見初められることはない。今の状況がとんでもないイレギュラー。
 それに結斗くんは、あと半年で卒業してしまうのだ。大人になって、広い世界に出れば、きっとこの魔法が解けてしまう。
 絵本のお姫様達の物語は結ばれて幸せになって終わるのに、どうして現実は違うのだろう。


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