泣いてはいないけど、今私は中々にひどい顔をしていると思う。
こんな顔と気持ちじゃ、家に帰れない。
だから私は学校を出て、家と学校の中間地点にある神社へ向かった。
平日のこんな時間なら、たぶん誰もいないと思ったから。
酸欠と疲労でひぃひぃ息を切らしながら、鳥居をくぐり、石段を上る。
何とか一番上までたどり着いたのはいいけど、神社は神様が(まつ)ってあるところ。
休憩場所なんかじゃないから、ベンチとかはない。
だから私は石段の一番上に、ヒザを抱えてうつ向いて座った。

あーぁ。もう部室、行けなくなっちゃった。
夏休みの勉強会、楽しかったな。
突然スカウトされて、半強制的に入部させられた時は、一日でも早く退部してやる! と思っていたのにね。
こんな風に、デート練習部を惜しむ日が来るなんて。
夏央先輩も鐵くんも優しくていい人で、四季坂部長には初恋までしちゃった。
今みたいな状況にならないためにも、「友情も恋も、全部は高校生になってから!」と、決めていたのになぁ。
でも仮に今私が高校生だったとしても、イケメンしかいない部活に女一人は――同じ結果になるか。
だからさっき部室で起こったことは、来るべき時が来ただけの話なんだってば。
いちいちショック受けてんじゃない、私よ。
…………。
……心のないロボットになりたい。
妥当なことが起きただけ、と割りきって納得したいけど、無理だ。
私、デート練習部のみんなのことが――四季坂部長のことが大好きだから、ずっと一緒にいたいよ!
退部するしかない状況だけど、退部したくないっ……!

「銀城さん!」

――この声って、まさか!?
歯をくいしばり、強くひざを抱え込んでいた私の耳に、大好きな人の声が響いた。

「ぶ、部長?! どうしてここが?!」

ビックリして顔を上げれば、二段飛ばしで石段を駆け上がってくる部長の姿が、目に飛び込んできた。

「僕の情報網をナメるなよ!」

そういえば部長って男女両方から支持されてる、とっても顔が広い人気者でしたね!

「銀城さん! 逃げるな、辞めるな!」

とりあえず立ち上がってはみたものの、私はこれからどこへ逃げればいいんだろう?
おろおろするばかりで動けない。

「転校の件はどうにもならないにしても、キミが花水木中学にいる間は、一緒に部活をしよう!」

私の前へたどりついた部長は、肩で息をしながら、真剣な目と声で言う。

「僕が全力で銀城さんを守る」
「そ、そんなの無理ですよ。クラスどころか学年が違うのに」

ああっ、ときめいちゃうこと言わないで!
これ以上私に、部長のことを好きにさせないで!
女の子たちからの嫉妬もだけど、告白する前から玉砕している、あなたへの初恋の処理だって大問題なんだから!

「……どうしても退部するかい?」
「はい。イジメられるの嫌ですから」

一番嫌なのは、部長との接点がなくなることだけど、それは秘密。

「そうか……分かった。キミの退部を認めよう」

自分が望んだことだけど、悲しい……。

「だけどそれには一つ、条件がある」
「条件? すでに受けてしまっているデート練習依頼をこなしてから、とかですか?」
「いいや。違う」

じゃあ何だろう?
皆目見当がつかない。

「条件というのは――キミが花水木中に来る最後の日、僕とデートしてくれないか?」

え……?
それってどういう意味? どういうこと?

「これを約束してくれるなら、退部を認めたくないけど、認める」

気のせいか、部長のほほがほんのり紅潮しているような?

「あと退部後も、毎日最低一回はメッセージ交換したい。既読無視はダメだぞ。それと週末は、五分でいいから通話したい」
「それって……」

勘違いだったら恥ずかしすぎるから、「もしかして、○○っていうことですか?」と聞けない。

「もうここまで言えば分かるだろう?」
「分かりません……」

期待が打ち砕かれるのが怖い。
でもその期待が、私の顔と心を熱くさせる。

「意地悪だな、キミは!」
「意地悪なのは部長です! 勘違いしたくないから間違いがないように、はっきり言って下さい!」

部長は口をへの字にし、顔だけじゃなく耳まで真っ赤にして、何もない真横をにらんだ。
私は早鐘を打つ心臓を、両手で服の上から押さえる。
不安と期待で胸がはじけそうな、無言の時間。
私には一時間くらいに感じたけど、たぶん現実では二分くらいたったころ。
ようやく部長は私を見た。

「……改めて言うとなると、すごく照れるな。いや、照れてる場合じゃないか」

部長はわざとらしくコホンと咳をした後、大きく深呼吸。
そして私の目を見据えて言った。

「銀城秋良さん、好きです。僕とつきあって下さい」

ぐっとくちびるを噛み、無意識に呼吸を止めた。
え、え、え……!
部長が……部長も、私のことを好き……?!
私、今ちゃんと起きてる?! これ現実だよね!? 夢じゃないよね!?

「イエスかノーか、返事はどっちだい?」
「ほ、本気で言ってます……?」
「僕はウソ告白するような人間ではないぞ!――さあ! 僕と交際するかどうかの返事を聞かせたまえ!」

そ、そんなの、答えは一つしかないじゃない!

「私も……私も、部長のことが好きですっ……!」

上ずって震える声で、叫ぶように答えた。

「では僕らは両思いで、今から恋人同士だなっ!」

部長はぱあっと喜びにあふれた笑顔で、私を抱きしめてきた。
叶わないと思っていた初恋が、四季坂部長への恋が、叶った!
信じられない! 死ぬほど嬉しい!
だけど――

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

惜しいと思いながらも、私は部長を押して離れ、一歩後ろへ下がる。

「何を待てというんだ? あ、何故僕がキミに恋をしたのかが、気になるのかい?」
「それすごく気になりますけど、そうじゃなくて……私、ズルくないかなって」

両思いになれるだなんて、思っていなかった。
だから、「もし両思いになれたとしても、遠距離になるし、すぐ音信不通になっちゃうんだろうな」で、思考が止まっていた。
でもいざ両思いだと判明したら――今さらようやくそこ(・・)まで考えがめぐって、気がついてしまった。

「何がズルいんだ?」

部長は腕を組み、不満と疑問が同居した表情で首をかしげた。

「部長にデート練習を申し込んだ人たちに対して、です」
「双方練習であることを了解してでの、デート練習だが? デート練習部とはそういうものだし、銀城さんだってそういう認識で、依頼をこなしていただろう?」
「それはそうなんですけど……申し込んだ人の中には、本気で部長のことを好きだった人がいたかも? と思うと……」
「そんな人はいないだろう。仮にいたとしても――」

反論しようとする部長の声をさえぎり、「絶対います!」と私は否定する。

「だって私、部長のことが好きだと気がついた時、『退部したら私もデート依頼できるのかな? もしそうなら申し込みたいな』と、思いましたもん!」
「おや、そうなのかい?」

部長は嬉しそうに微笑むけど、私は笑えない。

「私が部長と両思いになれたのは、同じ部活に所属して、たくさんお互いのことを知ることができたからだと思うんです。だから――私以外の、部長のことを本気で好きな子も、もし部員だったら……」

私じゃなくその子が、今私がいる場所に立っていたかもしれないわけで。

「なるほど、キミはそう考えるわけか。銀城さん、キミは本当に他人の気持ちを考えられるいい子だね」

部長は腕を伸ばし、私の頭を二回、優しくなでる。
うぅ……真面目で深刻な話をしている最中なのに、キュンとしてしまう……。
今、そんなことをしてはダメですよぅ……。

「だけどね、銀城さん。キミと同じ条件がそろったからといって、その人に僕が恋をする確率は、かなり低いと思う」
「そうでしょうか?」
「キミも知っているだろうが、僕は幼いころから老若男女、あらゆる層から人気でね。でもこれまで好きになってくれた誰にも、()かれたことがなかった。……キミが初めてなんだよ、銀城さん」

部長が照れ臭そうにはにかむ。
そそそそれって、私だけじゃなく、部長も初恋ってこと?!

「それにだ。可能性の話をするなら、全人類とお見合いをしないと、不公平ということにならないかい?」
「それはそうかもですけど……」

食い下がってしまう私って、面倒臭すぎる奴……。
そうは思ってもやっぱりまだ、「私ってズルいのでは?」という考えから、抜け出せない。

「納得できないか。よし、ではこうしよう。僕の本気を証明しようじゃないか」

部長がパチンと指を鳴らし、その手の人差し指で私を指す。

「僕はキミを、銀城秋良を待ってるよ」

意味不明すぎて、私はきょとんとしてしまう。

「一年――いやキミは十二月に転校してしまうから、正確には一年と三ヶ月くらいか。僕は待つよ」
「あの……意味が分からなすぎなんですが……?」
「キミが中学を卒業し、高校に入学してくるまで待っている、と言っているんだ」
「え?」
「銀城さんも僕と同じく、桐壺大学附属高校を目指したまえ。夏休みの勉強会の時、話しただろう。桐壺大附属には寮がある。覚えているかい?」
「覚えてますけど……」
「銀城さんが高校へ入学するまでの間、僕が銀城さんのことをずっとちゃんと好きで、一途に待つことができたなら――僕のズルさもキミのズルさも、許してはもらえないだろうか?」

まっすぐに向けられる、紳士的で情熱的な瞳から、私は目をそらせない。

「銀城さん的にこのズルは、一生何をしても許されないズルかい?」

……ごめんなさい、もうダメです。
倫理とか道徳とか良心とかじゃ、『四季坂部長を好き』って気持ち、押さえられない。我慢できない。
部長のことを好きな女の子たちに「最低だ」とののしられても、あきらめられないし、かまわない。

「一年待てたら――それで許されるか許されないかは分かりませんが……もう私、ズルい人間でいいです。ズルくても、部長の恋人になりたいですっ」

感情があふれて、私はぽろっと涙をこぼしてしまった。
ほほを伝う自分勝手な涙を、部長は白くて長い、ピアノが上手な指で優しくぬぐってくれる。

「よし、約束だぞ! お互いにちゃんと一年と少し、好き同士でいられたら、晴れて彼氏彼女だからな!」
「はい!」

私が大声で返事をすると、部長に再度――先ほどより強く抱きしめられた。
部長からは、お日様のにおいがした。

「銀城さんがズルい人間だとしても、僕もデート練習部なんていう中々にハレンチな、先生たちからにらまれている部活の創設者だからね。いい具合にお似合いだと思うよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」

私も部長の背中へ手を回し、ドキドキしながらそっと抱きしめ返す。

「待っていて下さいね。私、絶対来年、合格しますから」
「来年合格するのは僕だよ。銀城さんは『来年度』だ」
「部長、細かいです」

私たちは抱きしめあったまま、クスクス笑う。
ぴゅうと吹いた十一月夕方の風は、冬を感じさせる冷たさだった。
けれど大好きな人の腕の中は、春みたいにぽかぽかで暖かだった。



私と部長は、一年と少し後の交際を指切りげんまんでもう一度約束した後、学校に戻った。
部室へ行けば、そこに夏央先輩と鐵くん、ついでに椿くんの姿もなかった。
だけど置き手紙みたいなレポート用紙が三枚、机の上にあって。

『今日のボランティア活動は、俺たち二人と椿くんでやっておきますから、天詩は銀城ちゃんを引き止めて、絶対に退部させないこと! できなかったら、俺がもらいます』
『天詩部長へ。しかたなくゆずってやるんだから、ゼッテーにつれもどせ!!』
『銀城さん、本当の本当にごめんなさい。椿より』

夏央先輩も鐵くんもすごく優しくて、ありがたいな。
二人の書き置き、一部意味が分からないところがあるけれど、二人とも私のことを仲間だと思ってくれてるのが、伝わってくる。
椿くんは女装したまま、ボランティア活動しに行ったのかな?

「みんなはこう言ってくれてるけど、どうする?」

私が持ったレポート用紙を、横からのぞきこむ部長に聞かれた。

「厚意はありがたいですが、私もこれからボランティア活動しに行きます。だって、デート練習部の部員ですから」

当然でしょ! と、私は部長へニヤリと笑ってみせた。