日々うだるような暑さの中、二学期がはじまった。
デート練習部の依頼受付も再開したのだけど、九月末には文化祭がある。
そちらの準備を優先するということで、部活はほぼ開店休業のような形になった。



私のクラスは文化祭で、お化け屋敷をすることに決まった。
森さんと長谷川さんは美術部なので、看板を作る係に立候補し、便乗して私もそこにまぜてもらった。
誰が何を担当するとクラス会で決まってから、五日後。
私たち三人は、さっさと自分たちの担当分を終わらせようと、遅くまで残って看板作りを頑張っていた。

「そろそろ最終下校のチャイムが鳴るから、今日はこれくらいにして、片付けよっか」

長谷川さんの言葉に教室の時計を見れば――本当だ! もうこんな時間!
気づけば私たち以外誰も、教室にいないし。
みんないつの間に帰ったんだろう。

「ねぇ銀城さん。予算から買ってもらった絵の具だけで、看板全部仕上げられると思う?」

近くの手洗い場に行き、私・長谷川さん・森さんの順に並んで、筆やパレットを洗う。

「ちょっと厳しい気がするけど……長谷川さんは足りると思う?」
「あたしもムリだと思う。足りない場合は、私物を持ち出すしかないかな。どこの班もそんな感じの雰囲気ぽいし」
「やっぱりそうなるよね」

手早く一番最初に洗い終えた森さんが、蛇口を閉めた。
一つ水音がやみ、辺りがちょっと静かになる。

「あの……わたし……好きな人ができたかも、しれない」

森さんからの、突然の告白。
蛇口をにぎったままうつ向く彼女の横顔には髪がかかり、表情はよく分からない。
だけど髪で隠れていない首と耳は、真っ赤で。

「えっ、えっ、誰?! 誰に恋しちゃったの?!」

長谷川さんが大興奮しながら、片思い相手を尋ねる。

「ハセっち声大きい! もっと小さい声でしゃべって!――……美術部の、吉岡先輩」

長谷川さんが、くぐもった黄色い悲鳴をあげる。

「やっぱし! そうなんじゃないかと、あたし思ってた!」
「ハセっち、気づいてたの?!」
「夏休みに美術部で合宿したじゃない。その時にもしかして? って。ねぇねぇ、いつから好きなの? 好きになった切っかけって何?」
「えっと……元々デッサンの相談や、進学の相談をしてたんだけど……最後の日、みんなで花火したでしょ。その時に……」
「マジかー! 聞いてるこっちがキュンキュンするぅー! 応援するね!」
「ありがとう」
「わ、私も応援する!」

森さんの片思いを叶えるためにどう協力したらいいか分からないけど、力になりたい!

「一緒に応援しよ!――銀城さんはさ、好きな人いないの?」
「そ、そんなのいないよ。いたら、デート練習部の部員なんてやってられないよ」

一瞬、心の中に誰かが浮かんだ。
だけど私は、その人物の輪郭がはっきりする前に、頭の片すみにおいやった。

「言われてみたら、それもそっか」

よかった。長谷川さん、納得してくれたみたい。
友達作りもだけど、恋も高校生になってから、と決めている。
だってもし好きな人ができても、どうせ私は三月になれば、また引っ越すに決まっているんだもん。
すでに森さんと長谷川さんとは仲良くなりすぎているから、この二人と別れることを考えるだけでも寂しいのに、片思い相手なんてできちゃったらもう……。



途中トラブルもあったけど、お化け屋敷は文化祭前日に無事完成した。
当日も大きな事故などなく、文化祭は成功し、終了した。
そしてその数日後に九月が終わり、十月を迎えた。

デート練習部も今月から本格的に再始動!
ということで、さっそく私も依頼を一件こなした。
たぶんだけど、一学期の時より、依頼者を楽しませることができたように思う。
「森さんや長谷川さん、それに部のみんなのおかげでコミュ力上がったのかも?」なんて浮かれた、その翌日のことだった。

この日の放課後、私は夏央先輩と図書室へ行き、お互いのオススメ本を借りあった。

「夏休みにした約束、やっと叶えられて嬉しいです」
「はい。私も夏央先輩のオススメ本を読むの、楽しみです!」

二人とも今日これから用事はないし、私の通学路の途中に夏央先輩の家があるので、一緒に帰ることになった。

「銀城先輩! と、葉月先輩……」

先輩と並んで歩いていると、もうすぐ校門というところで、遠くから大声で名前を呼ばれた。
この声は――と辺りを見回すと、予想通り鐵くんを発見。
自転車に乗っている鐵くんは、あっという間に私たちの側に来て、自転車から降りた。

「二人で一緒に帰ってるとか、珍しいっスね」

鐵くんは自転車を押し、私の左隣に並ぶ。

「二人で図書室で本を借りて、流れで一緒に帰りましょうか、となったんですよ」
「ふーん……二人で図書室なぁ……」

私の右側を歩く夏央先輩の説明に、鐵くんがつまらなそうな顔をする。
鐵くんはあまり本に興味がないみたいだから、まぁこんな反応よね。

「鐵はせっかくの自転車通学なのに、俺たちと一緒に歩いて帰ってくれるんですか?」

夏央先輩が、からかうような口調で聞く。

「今日はそういう気分なんで。それにどうせこの中でオレだけ方向が違うから、後数分一緒なだけだし。――お? あれ、部長じゃん」
「おや、本当だ。天詩が部活してますね」
「え? どこですか?」

私は立ち止まり、二人が「あそこ」と指差す方向を見る。
そこは車道を挟んだ向かい側にある、コンビニのイートインコーナー。
デート練習部のピンクの腕章をした部長と依頼者が、隣同士で座っている。

「相手、可愛い人ですね」

見たままの感想が口からでた。
部長の今日のデート練習の相手は、私とは真逆の、小柄で可愛らしい女の子だった。
学年を表すリボンの色は緑だから、部長と同じ三年生か……。

「普通じゃね?」
「鐵より可愛いのは確実ですよ」
「そんなの当たり前だろうが!」
「すみません。鐵は目が悪いのかと思って」
「葉月先輩、オレにケンカ売ってる?」
「いいえ、まさか」
「あっそう」
「すねないで下さい。鐵のことも可愛いと思っていますから。爪の先くらいですけど」
「うるせぇよ! オレも葉月先輩のこと、猫の額くらい可愛いと思ってんよ!」
「おやおや、ありがとうございます」
「死ぬほど棒読みだな!」

私を挟んで二人が何か話しているけど、胸の奥の謎の痛みのせいで、会話にまじる余裕がない。
何なの?
このズキズキする痛みと、ぐうっとしめつけてくる黒色のモヤモヤは?
正体の分からない不快さに、私が心臓の上で左手をにぎりしめた時だった。
ガラスの向こうの二人が、顔を見合わせて幸せそうに笑った。
包丁でも突き立てられたみたいな痛みが、心にはしる。
――嫌だ! もうこの光景を見ていたくない!

「……あの、私」
「ん? 銀城ちゃん、どうかしましたか?」
「用事を思い出したので、失礼しますっ」

私は夏央先輩と鐵くんに一礼し、全力で駆け出す。

「え?――あ、はい。銀城ちゃん、またね!」
「ま、またな!」

突然のことに戸惑っている二人を一瞥(いちべつ)することもなく、私は走る。
すぐに息があがって苦しくなったけど、それでも私は走ることをやめられなかった。
酸欠の苦しさは、部長と依頼者が顔を見合わせて幸せそうに笑いあった時に、私が心に受けた痛みを上回らなかった。ブレーキにならなかった。

「―ッ! …ハァッ、ハァッ……」

家まで残り半分弱という距離。
こけかけたことで、ようやく立ち止まれた。
本当はこの痛みとモヤモヤを、ふり切れるところまで走って逃げたいけど、さすがに限界。
……意味が分からない。
何故私は、あの光景に傷つけられているの?
分からない。この気持ちは何?
部長に対する感情で分からないものが、二つになってしまった。
一つ目は、嬉しくて甘く切ない、カラフルでキラキラした感情。
二つ目は、ささくれだつような痛みと、しめつけてくるどす黒いモヤモヤ。

――あ。

二つがそろって、ようやく今気がついた。
何てこと。
私、部長のことが好きなんだ。
私、部長に恋をしてしまったんだ。
コミュ障の友人のために、デート練習部なんていうふざけた部活を立ち上げたり、自分が風邪をひくこともいとわず傘を貸してしまうような、トリッキーだけど優しい四季坂天詩に。