四季坂部長が寝息をたてはじめてから、約三十分後。
鐵くんが【着いた】というメッセージを、ようやく送ってきた。

「すまん。海が荒れて船が出なかったから、帰ってくるの遅れた」

私が四季坂邸の玄関扉を開けるなり、鐵くんに謝られた。

「自然のことだから仕方ないよ。そんなことより、早く部長の部屋へ!」

夏休み前より格段に日焼けした鐵くんをつれ、部長の部屋へ戻る。

「夏風邪はバカがひくもんだぞ」

ベッドで寝ている部長へ、鐵くんが憎まれ口を叩く。
すみません、部長が風邪をひいたのは私のせいなんです……。

「あのね、鐵くん。部長がこんな風になっちゃったのは――」

部長に濡れ衣を着せるわけにはいかないので、私は昨日あったことを鐵くんに説明した。

「――天詩部長、やっぱバカじゃねぇか。自分がまだ普通より身体弱いってこと、自覚しろってぇの!」

鐵くんは苦虫を噛み潰したような顔で、部長を小声でディスる。

「『まだ』ってことは、部長は昔、病弱だったの?」

私の質問に、鐵くんはヤベッ! という顔をした後、ハーッと大きく息をはく。

「先輩、ちょっとこっちに……」

鐵くんは部屋のドアを開けて廊下に出ると、私にも部屋から出るよう、手招きしてきた。
これは、ナイショ話をする流れ?

「これからオレがする話、絶対に部長には言うなよ」

私も廊下へ出て、ドアを閉めるなり鐵くんが言った。
予想通り、秘密の話みたい。

「もちろん。約束する」
「天詩部長には、『今の自分のキャラじゃないから秘密な』と、口止めされてんだけど――」

鐵くんの説明によると、やはり部長は幼いころ病弱だったらしい。
部長のお母さんと部長が、療養のために鐵くんが住む島を訪れたことにより、二人は知りあって友達になったんだって。
部長の虚弱体質は島での療養と、成長するにつれ改善されていったので、三年後に部長は島を出て花水木市(この街)へ帰ったそう。

「あのころと比べたら、すごく健康になってんだけどさ。だけど、やっぱりというかまだというか……風邪ひきやすいから、気をつけねーといけないんだわ、天詩くんは」

鐵くんは首をひねり、背後にある部長の部屋の扉を見る。

「自分の身体のこと、分かってないハズないんだけど、でもまぁ銀城先輩をびしょ濡れで帰すような人でもねぇしなぁ。一見トンチキ野郎だけど、実はすげぇ優しい人だからさ」
「デート練習部も、鐵くんが脱コミュ障できるように、と作ったんだよね……」
「ああ。マジで昨日のうちに、オレが帰れてたらよかったのに……」

二人同時にため息をつくと、空気を読まず、明るくピロン♪ と着信音が鳴った。
鐵くんがズボンのポケットからスマホを取り出し、メッセージ内容を確認する。

「もうすぐしたら、オレの母親がここに来るらしい」
「鐵くんのお母さんが来てくれるんだ。よかった」
「それはそうなんだけどよ……オレの親が天詩部長の母親に連絡したら、部長の親も昼すぎには帰ってくるってよ」

良い知らせなのに、何故か鐵くんは苦々しい表情。

「だから銀城先輩は、一秒でも早く帰った方がいい」
「どうして? コミュ障だから緊張するけど、部員としてご挨拶しておくべきかな、と思ってるんだけど?」
「あの人たちに捕まると、絶対に根掘り葉掘り色々聞かれまくって、好き勝手妄想されて、超絶精神削られるからマジでやめとけ。絶対に今すぐ帰れ」
「でも……」

鐵くんは渋る私に強引に荷物を持たせ、「命を大事にしろ!」と、私を四季坂邸から追い出した。
鐵くんと部長のお母さんって、そんな尋問みたいなことしてくるような方なの?
というか、好き勝手妄想って??



自宅へ向けて自転車をこぎながら、私は思う。

病弱な自覚があるのに、私に傘貸して風邪ひくなんて、部長ってば自業自得もいいとこじゃない。
もっと自分のこと大事にしなさいよ。
こうして風邪ひいて、他人に迷惑かけてちゃ世話ないじゃん。
他人に親切にして、身を滅ぼさないでよ。優しいにも程がある。
元気になったら説教してやる!
……風邪ひいた部長に私ができること、まだ他に何かないかな?
…………やだな。何も思いつかない。
知恵も力もない私ができるのは、「早く部長の風邪が治りますように」と、神様に祈るくらいしかない。

「もう……本当バカ……っ」

正午が近い八月の今日は暑すぎて、そんな言葉がつい口からでた。



部長は、風邪を引いた週をまるっと休み、翌週月曜日から勉強会へ復帰することになった。
その復帰の日、部長は誰より先に図書館の自習室へ来ていて。

「やぁおはよう。先週は迷惑をかけてしまい、すまなかった」

部長は私を見るなり片手を上げ、悪びれることなく言った。

「……元気になったなら、それでいいです」

私は部長の向かいの席のイスを引き、座る。
部長が復帰した際には、「もっと自分を大事にして下さい」と、一言目に言うつもりだった。
だけど、部長の元気な顔をみたらホッとして毒気が抜けて、「まぁいいか」という気分になっちゃった。

「合格祈願のお守り、ありがとう。――冬羽悟にももうあげたかい? 夏央の分もあるんだっけ?」
「鐵くんには先週あげました。夏央先輩は今まだ海外旅行中ですから、渡すのは二学期になってからですね」
「ふーん」

部長は頬杖をつき、少しだけ唇をとがらせた。

「急に子供みたいにふて腐れて、どうしたんですか?」
「いや別に。急にふて腐れてみたくなっただけだ。気にしないでくれたまえ」

何それ?
まぁ元々トンチキな人だし、こんなもんか。
私はひざの上に置いたカバンの中を探り、借りっぱなしになっていた、折り畳み傘を取り出す。

「これ、ありがとうございました。これからは私も、折り畳み傘を常に持ち歩こうと思います」
「うむ。――もしまた次に傘が一本しかなかった時は、風邪をひかないためにも、相合い傘で帰ろうじゃないか」

折り畳み傘を受け取った部長が、サラリととんでもないことを言う。

「なっ……!」
「コミュ障な銀城さんと、デート練習第二弾ということで」

赤面しているだろう私に気をよくしたのか、部長はニヤニヤと意地悪く笑う。

「ぶ、部長も常に折り畳み傘を持ち歩いて下さいっ!」

あの時のあの感情は何だったんだろう? と、あれから数日たった今でも思いだして、考えてしまう。
部長が風邪を引いたあの日。
差し入れを持って行った私が、早く治りますようにと、ヘッドボードの上へお守りを乗せた後。
部長が「銀城さんのおかげで少し元気がでてきた。ありがとう」と言って、微笑んだ時。
私の心に突如わいた、嬉しくて切なくてキラキラした衝撃――あの、謎の感情。
考えても考えても、いまだにその正体が分からない。
今でもあの時の部長の声と微笑みを思い出すと、胸の奥がぎゅっと甘く切なくなって、心拍数がちょっと上がるの。
どうして?