お盆が明けた月曜日。
夏休み後半戦の第一日目。
今日からの勉強会には、島から戻ってくる鐵くんが参加するはずだった。

「冬羽悟から連絡来たんだが、【海が荒れてて船が欠航してるから、そっち戻るの明日になる】とのことだ」

図書館入り口で会った四季坂部長は挨拶後すぐ、鐵くんからの連絡を伝えてきた。

「こっちも今夜から雨の予報になってますから、その雨雲が今、鐵くんがいる地域にいるんですかね?」
「そんな感じだね。雲の動きが遅ければ、明日も冬羽悟は勉強会に来られないかもしれないな」

自習室へ向かいながら、部長と私はそんな会話をして――

「天気予報、雨は夜からって言ってたのに……」

部長と二人での勉強会を終えた、十二時半。
窓の外を見ると、雨がふっていた。しかもかなり強めに。
たぶん、すぐやむタイプの雨じゃなさそう。
どうしよう、傘持って来てないよ。
濡れて帰るしかないかぁ……。

「銀城さん、これを使うといい」

肩を落とす私の手に、部長が折り畳み傘を握らせてきた。
用意がいい! さすがデート練習部部長! って、感心してる場合じゃない。

「借りられませんよ! 部長の傘なんですから、部長が使って下さい!」
「僕は部長として、部員を濡れネズミにして帰すわけにはいかん。――ということでまた明日!」
「ちょ、待って下さいよ部長!」

部長は私に折り畳み傘を持たせたまま、一人ダッシュで図書館から出て行ってしまう。

「えぇー……」

私の運動神経はそこそこ。
文武両道の部長を全力で追いかけても、捕まえることはできないだろう。
私は仕方なく部長の折り畳み傘をさし、家まで帰った。



翌朝八時。
昨日午後からの荒れっぷりが嘘のように、太陽はまぶしく輝き、空は雲一つなく晴れ渡っていた。

今日は何を着て行こうかな?
よし。白のロゴTシャツに、デニムのショートパンツにしよう。
着替えるため、パジャマのボタンに指をかけた時。
ピロン♪ と、枕元に置きっぱなしだったスマホが、誰かからのメッセージの着信を告げた。
スマホを取りあげて送り主を確認すれば、部長からだった。

【すまない! 急用ができてしまったから、今日図書館へ行けなくなった】

部長、急用で勉強会欠席かぁ。
鐵くんからは昨日の夜に、【明日戻れると思うけど、いつ到着できるかは分からないから、明日も勉強会を欠席する】と連絡があったし。
うーん……私以外誰も勉強会へ来ないなら、今日は家で宿題しよう。
大きなあくびをし、スマホを机の上へ置く。
直後、またスマホがメッセージをピロン♪ と受信した。

【冬羽悟、今日何時に帰ってこれそう?】
【帰ってきたら、ポカリ買ってうちに来てくれないか?】
【風邪ひいたんだけど、昨日から親二人とも出張で、家に僕しかいなくて困ってる】
【すまないがよろしく頼む】

次々に追加されていくメッセージ。
部長ってば、メッセージの送り先間違えてますよ!
というか、急用って風邪?!
これたぶん、風邪ひいて熱が出て、頭がぼーっとしてるせいで誤爆してるんだ。

「これって絶対、昨日の雨のせいだよね……」

部長は昨日、私に折り畳み傘を貸し、自分はずぶ濡れで帰ったんだもん。
あっ!
そういえば、私が入部した日のボランティアの時も雨に降られて、その時夏央先輩が言ってたな。
「天詩って意外に結構、風邪引きやすいんだから、本当に気をつけるんだよ」って。
四季坂部長って肌白いし、夏央先輩や鐵くんと比べたら細いんだよね……。
もぉー! そんな人が、私に傘なんて貸しちゃダメでしょうが! もっと自分の身体大事にして下さい!
今日はこれからポカリ買って、部長の家へ向かうことにします!



私は急いで身支度を整え、かき込むようにして朝ごはんを食べる。
歯磨きしながら鐵くんへ、部長が風邪をひいたことと、帰ってきたら連絡が欲しいという内容のメッセージを送る。

「行ってきます!」

カバンを持ってスニーカーをはき、玄関の扉を押し開ける。
部長の家へ行ったことはないけど、だいたいの場所は、情報通な長谷川さんから聞いて知っている。
大病院の跡取りである部長が住んでいるのは、白亜の立派な御殿らしい。
だからたぶん、見たらすぐ分かるでしょ!



部長の家は、私の家からはやや遠い場所にあるぽいので、自転車で向かうことにした。
私は自転車にまたがってぐんぐんペダルをこぎ、途中コンビニへ寄ってポカリとゼリーを買い、蒸し暑い空気をきって進む。

「見つけた……」

『白亜の立派な御殿』は、ちょっと迷ったけど、わりあいすぐに発見できた。
大きな門横の表札にも『四季坂』とあるし、ここで間違いない。
私は自転車から降り、家を囲む高い塀にそわせて停め、部長に電話をかける。
急がなきゃ! という気持ちが先走ってここまで来ちゃったけど、先に連絡しとけばよかった。
部長的には、鐵くんに【来て】とメッセージしていて、私にはしてないわけだし。

『……どうしたの、銀城さん?』

今更なことを考えていると、かすれ気味な部長の声がスマホから聞こえてきた。

「ポカリ持って来ました! 今部長の家の前にいるんで、開けて下さい!」
『は?――銀城さんがポカリ持って僕の家の前?!』
「部長が鐵くん宛に送ったと思ってるメッセージ、間違って私へ送ってたんですよ」
『僕、メッセージ誤爆してた?!――あ、本当だ……』
「そういうわけで、私がポカリを持って来ました。暑いので、早く家の中へ入れて下さい」
『……銀城さん、キミって奴は何を考えてるんだ。仕方ない、鍵開けるから入ってきなさい』

電話が切れてから、二分か三分。
カチャンと音をたて、門のロックが解除された。
この門、遠隔操作ができる電子ロック門だったんだ。さすがお金持ち。
門を開けて中へ入り、玄関ポーチまでのちょっとした距離を歩く。
玄関扉のノブへ手をかけると、こちらも解錠されており、扉が開いた。
誤爆メッセージによると、今この家の中には部長しかいないようだけど……緊張するな。

「おじゃましまーす……」

私は小声で挨拶し、玄関の内側へ入る。

【玄関上がったら、すぐ左にある廊下歩いて、つきあたりのドア開けて】

まるで見ているかのように、タイミングよく部長からメッセージが来たので、その指示通りに進む。

「おはよーございまーす……」

つきあたりのドアを開くと、そこは無人のダイニングキッチンで――

「こっち」

突然右側から聞こえた声に、ビクリとそちらを向けば、大きなソファーへ力なく座る、パジャマ姿の部長がいた。

「部長! 寝てないとダメじゃないですか!」
「門と玄関の鍵を操作できるリモコンが、ここにしかないのだよ」
「そうなんですね、すみません……。あ、ポカリどうぞ!」

コンビニの袋の中からペットボトルを取り出し、部長へ渡す。

「ありがとう。助かる」

ペットボトルのふたを開け、それに口をつける部長の顔は赤い。
熱のせいかどこかぼんやりしているし、目はとろんとしている。
いつもの覇気にあふれた部長と違いすぎて、心配と後悔が心の中でかさを増す。
折り畳み傘、絶対に部長が使うべきだった……。

「薬は飲みましたか?」
「飲んだ」
「朝ごはんは?」
「食欲がなくて……」

風邪薬って、胃への刺激を軽くするとかの理由で、大抵食後に飲むものなのに!
お腹まで具合悪くなったらどうするんですか!

「ゼリー買ってきたので、食べて下さい」
「えー……」
「『えー……』じゃないです。栄養とらないと、治るものも治りませんよ!」

私はゼリーのふたを開け、店員さんがつけてくれたスプーンも、ビニール袋から出す。
強引にそれらを部長へ持たせると、観念したのか、部長はノロノロとだが食べはじめた。

「――これで一応食事は終わり。では次は睡眠です」

リビングのすみにあったゴミ箱へ、空になった容器を捨てる。
部長は何も言わないが、私へ向ける目は「早く帰れ」と言いたげ。

「部長が寝たら帰りますよ」
「キミ、僕の思考を読むのをやめたまえ」

部長はため息をついた後、ソファーから立ち上がり――よろける。
私は慌てて駆け寄って部長を支え、セーフ!

「ほら! こういうことがあるから、部長がベッドへ入るまで帰りません!」
「風邪、うつっても知らないぞ」
「私、健康優良児なんで、大丈夫です」

パジャマごしに知る部長の肌の熱さに、私は心の中で盛大に舌打ちした。



熱でふらつく部長を支え、二階にある彼の部屋へ入る。
広っ! たぶん私の部屋の二倍くらいある。
グレーと白を基調としていてオシャレだし、家具も全部高価そう。
さすが大病院の跡取りのお部屋だなぁ。

「本当にうつるといけないから、もう帰りたまえ」

部長は支える私の手をはずすと、大きなベッドへ崩れ落ちるように倒れこむ。

「あぁもう、ちゃんと布団の中入らなきゃですよ。夏で暑いけど、エアコンきいてるし、風邪治すために我慢です!」

私は部長を引っ張ったり押したり色々して、ブルーグレーの布団の中へ、何とか入れる。
お! ローテーブルの上に、開けっ放しの薬箱がある。
覗き込んだら冷えピタを発見したので、部長の額へペタリとはった。

「手間をかけさせてしまい、すまない……」
「そういうのは元気になってから聞きます」

仁王立ちで腰に手をあててそう言うと、ポケットへ入れていたスマホが鳴ったので、取り出して見る。

「今、鐵くんから【もうすぐそっち着く】って連絡来たんで、鐵くんがここに来たら私帰ります。――あ、そうだ!」

私はカバンの中をあさり、手のひらサイズの白い紙袋を取り出す。

「お盆におばあちゃん家へ行った時に買った、お土産のお守りです」

白い紙袋の中から水色のお守りを取り出し、寝ている部長へ見せる。

「合格祈願と書いてあるが?」
「部長と夏央先輩は今年受験なので。鐵くん用には、対人関係運アップのお守りを買いました。――合格祈願お守りですけど、まぁたぶんイケますよ、健康祈願も」

部長の頭の上にある、ヘッドボードの上へ、お守りをちょこんと乗せる。

「大雑把すぎないか?」

部長がフフッと笑う。

「でも、何もないよりマシかなって……」

神様に通じるものだから、健康祈願でなくてもイケるって! と思って出したけど……無理がありすぎる気がしてきた……恥ずかしい。

「いやいや、うん。キミの言う通りだ」
「え?」
「実は昨日からこの家に一人でね。少々弱気になっていたんだが、銀城さんのおかげで少し元気がでてきた。ありがとう」

面白いじゃなく、嬉しいっていう様子で、部長が微笑んだ。

「それなら、よかったです」

え、何?
今、心の中にぶわって広がった感情、何?
何ていう名前がつく気持ちなの、これ?
嬉しくてキラキラしてて、でも切なくて。
胸の最奥をぎゅっとつかまれたような――この感情って何?

「うん。ちょっと寝るね」

未知の感情に動揺する私のことなど知らず、部長は長いまつ毛にふちどられた目を閉じる。
間もなく部長からは、穏やかな寝息が聞こえてきたけど――私の心臓は、まだ普通より幾分か早い鼓動を打っている。