お盆直前の金曜日。
今日の昼食は、夏央先輩と二人きり。
四季坂部長は家の用事があるとのことで、勉強会が終わってすぐ帰ってしまったから。

「明日から夏央先輩は、海外旅行へ行くんですよね?」

図書館からほど近い場所に、無料で解放されていてエアコンがきいている、公共施設がある。
私たちはそこで向かいあって座り、それぞれが持参したお弁当を食べていた。

「ええ。姉が海外挙式するので、そのついでに」
「海外で結婚式だなんて素敵ですね! どこの国で挙げられるんですか?」
「モルディブ。インドやスリランカの近くにある島です。お土産買ってきますね」
「ありがとうございます。でも、お気遣いなく。楽しんできて下さい」
「楽しむ、かぁ……」

いつもおだやかな夏央先輩の顔に、影が差す。

「何か気がかりなことでも?」

軽い気持ちで聞けば、夏央先輩は無言でじっと私を見つめてきた。
うわ、聞かない方がよかった系?

「俺には三人姉がいるんですが、今回結婚するのが一番上の姉なんです」

心の中で冷や汗を流していると、先輩は視線の先を私から弁当箱へと変え、ぼそりと言った。

「両親は共働きで忙しいので、俺はその一番上の姉に育ててもらったようなものですから……寂しくなるな、と思いまして」

それは確かにお祝いしたい気持ちと、寂しいと思う気持ちで複雑ですよね。
私がそう言おうとした時、夏央先輩はハッとした顔になり、「違いますから!」と慌てた様子で言った。

「今言った通り一番上の姉は母親みたいなもので――って、そうじゃなくて! とにかく俺はシスコンでもマザコンでもないので、そこのところは勘違いしないで下さいね!」

常に余裕があって優雅な夏央先輩が、赤面してアワアワしてる姿なんて、はじめて見る。

「心配しなくても、そんな風には思いませんよ。長年一緒にいて、よくしてくれた人と離れるのを寂しく思うのは、普通ですもん」

一年間だけの友達と離れるのですら寂しいし、悲しいんだもの。
産まれた時からお世話になっている相手なら、その比でなくへこんじゃいますよ。

「そっか。――うん、そうですよね」

ほっとする夏央先輩を見て、私は察した。

「もしかしてこのことで、誰かに心ないこと言われたりしました?」
「……従兄弟にね。からかわれて、ムキになってしまいました。カッコ悪いですね」

自嘲気味に夏央先輩が言う。

「カッコ悪くなんてないです! 従兄弟さんは『もし自分に同じことが起こったら……』って、一度考えてみたらいいと思います! 絶対に寂しく思うに決まってるんですから!」

鼻息荒く私が言うと、夏央先輩は一瞬呆気にとられた顔をした後、くしゃりと笑った。

「――本当、そうですよねぇ。従兄弟の奴、ムカつくなぁ」
「ムカついて当然です!」
「でも、銀城ちゃんに正しく理解してもらえたから……気持ち、楽になりました。聞いてくれてありがとうございます」
「お礼を言われるほどのことでは……」
「いいえ。本当にありがとうございます」

夏央先輩は弁当箱のふたを閉め、箸箱へ箸をしまう。

「さて。食べ終わったわけですが――銀城ちゃんの午後からの予定は?」
「私は図書館に戻って、本借りて帰ろうかなって思ってます」

この『午後からの予定』は、今日がはじめてじゃない。
私は先輩たちとお昼ご飯を食べた後、週に二回か三回は、本を借りに図書館へ戻っている。

「では俺も、それに同行していいですか?」



夏央先輩と一緒に図書館へ戻ると、館内は午前中より混んでいた。

「銀城ちゃんて、どんな本読むんですか?」
「怖い話の本とか好きですね。あまり怖すぎるのは夢に出ちゃうので、ダメですけど」
「本当に?! 俺もホラー好きなんですが!」
「えっ、夏央先輩も?!」

古典や純文学、エッセイとかを好みそうなイメージだったから、意外すぎる!

「はい。ホラーが好きって言うと、『苦手だから絶対怖い話しないで』と言われることが多いので、自分だけで楽しんでいたのですが……お仲間発見で嬉しいです!」

夏央先輩が今とてもウキウキしているのが、分かりやすく伝わってくる。

「スティーブン・キングとか読みます?」
「外国の作家のは、まだあまり。読んでるのは、学校の怪談とかホラー度低めのが主です」
「うんうん、そのあたりもいいですよね! 七不思議はロマンです! ホラーへの入り口としても優秀ですし!」

こぶしを握りやや早口でしゃべる夏央先輩は、そこではたと口を止め、気恥ずかしそうにほほをかいた。

「すみません。同士を見つけた嬉しさから、テンションを上げすぎてしまいました」

今日二つ目の、はじめて見る、夏央先輩の意外な表情。
いつもの優雅な先輩も素敵だけど、慌てたりテンション爆上げしてるレアな先輩も、いいなって思う。

「謝る必要なんて全然ないですよ。夏央先輩はどういうの読むんですか?」
「俺は外国のホラー作家のや、黒い背表紙の文庫とかを読みますね。他にも、ミステリーや図鑑なんかもよく読みます」

夏央先輩は貸出カウンター近くにある本棚の前へ行き、しばらく本の背表紙を眺めると、一冊の本を抜いて私へ見せてきた。

「この本、オススメです」

青色を基調とした表紙で、おしゃれな雰囲気の本だった。
タイトルに『探偵』が入っているから、ミステリーだろう。

「読書家なんですね」
「読書家ってほどは読みませんよ。……俺がホラー好きって、意外でした?」

悪い意味で『俺らしくないでしょ』と、夏央先輩は言いたげで――私はそれを否定したくなった。
私もやっちゃってるかもだけど、他人からの『あなたらしくない』の押しつけ、嫌いだから。

「先輩がホラー好きかどうかなんて考えてもみませんでしたが、ホラー好き仲間が身近にいてくれて、私嬉しいです」
「俺もです。――では、俺と銀城ちゃんはこれからホラー好き仲間、ということで!」

夏央先輩がはにかみ気味に笑う。
あ、またまた先輩のレアな表情ゲットしちゃった!

「はい! 夏央先輩オススメのこのミステリー、今日借りてみることにします」
「銀城ちゃんの推し本も、俺に教えてくれませんか?」



私と夏央先輩は夕方まで、お互いのオススメ本をお腹いっぱい読んだ。

「明日から旅行で、返却期限内に返しに来られないから、銀城ちゃんの推し本を借りられないのが残念です」

貸出カウンターで、職員さんが貸出手続きをしてくれているのを見ながら、夏央先輩が言う。

「本は逃げないから、また来ればいいですよ。学校がはじまれば、学校の図書室もありますし」

私は手続きが終わった本を受け取り、カウンターを離れる。

「そうですね。じゃあ、約束」

夏央先輩が左手の小指を立て、にっこり笑う。
ううーん! 図書館行くだけの約束に、ときめきはいらないんですが!
でも、「次また一緒に」という約束、嬉しいよね。



夏央先輩が海外へ行った翌日。
私は森さんと長谷川さんと一緒に、地元商店街が主催する夏祭りへ行った。
友達と一緒に行く久しぶりの夏祭りは、とても楽しかった。
新しく人間関係を作るのに疲れてしまっていたし、別れがつらくなるからなるべく浅いつきあいで……と思っていたけど、やっぱり友達と遊ぶのって楽しい。

夏祭りの次の日からは、母につれられて祖母の家へ行った。
祖母の家の近くには、学問の神様が(まつ)られている有名な神社があった。
そこで自分を含む部員全員分と、森さんと長谷川さんにあげるお守りを、お土産として買った。
先輩たち用に買ったのは、もちろん合格祈願のお守りだよ。