みんなの覚え書き。

1、暗黙のルールがある。
(そして、みんな、それをいつ習ったのか知らないけれど、知っている)   

2、急に話に割り込んだり、話から急に抜けるとびっくりされる。

3、いろんなことに興味がある。
(私は絵を描くことくらいしか、好きなことがない。
クラスのみんなが話しているような、ファッションとか、音楽の話題とかに興味をもてない。
いろんなことに、ちゃんと触れてみようとするけど、ちっとも面白みがわからない)

4、私は、変だと思うことがあったら、ちゃんと追究したいと思う。
でも、「なんで?」って聞きすぎると、みんなは困ってしまうらしい。

5、みんなは何か作業をしていても、周りのことをちゃんと気にしつつ作業をしている。
(私は絵を描き出したら、まわりの様子が意識からとんでしまう。会話の途中だって、授業中だってそう)

7、体育で新しいことを習ったとき、みんなは私より早く覚える。
習字道具とか、家庭科の道具とか、新しい道具もすぐに使いこなす。
(みんなが器用というより、私が不器用なのかもしれない)

最近、クラスのみんなのことについてよく考える。

私とみんなはいろんな点で違う。
私は、自分とは違うみんなを、ちゃんと知りたいと思っている。
そして、みんなと違う私自身のことも知りたいと思っている。

だから、私は時々こうやってノートに気がついたことを書き出す。
それが何につながるのかは分からないけれど。

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今日、放課後にフラグの製作をした。
フラグは縦一・三メートル、横ニメートルくらいの大きさがあった。

布を板に貼り付けてピンと伸ばして、その板を教室の廊下側の壁に立て掛けて描いた。

左端に大きく縦書きで〝未来へ〟の文字。
右端には三年一組の文字。
空いたスペースに、紙に下書きした絵を写していく。

私が絵を描くのを、同じクラスの生徒がそばから眺めていた。

「船?」
「飛行船だろ? だって、空飛んでるぜ」
「未来の乗り物みたい」
「すげーな、細かいとこまで凝ってる」

月森くんと、その友達が並んで交互にしゃべっていた。

私は褒められてちょっと困った顔をした。

私は、けっして自分の絵がうまいとは思わなかった。描きたいイメージに、手が追いつかない。
それに絵の知識も技術も未熟だった。絵を描くのは好きだけれど、描き方を習ったことはなかった。

だけどーー。

私は、新たな線を描き足しながら、こう思った。

私の絵は未熟だけれど、それでも、私は私の絵が好きだった。
私の絵は、ちゃんと息づいていた。

絵に命を感じるのは、私の中に描きたいものがはっきりと存在しているからだと思う。
私の中にいるそれらのものは、無視できないくらい胸の中で生きていたし、血だって流れていた。色鮮やかな感情も持っていた。
ペンを取れば、それは目の前に浮かび上がってくる。
泉から水が湧き出すみたいに、とめどなく、どんどん、どんどんとあふれ出してくる。
私は、それを夢中で追いかけているだけだった。

絵を描くために、机は教室の後ろに寄せられていた。
その一つに晴空が腰を乗せて、私のノートーーみんなの覚え書きを書いたものーーを読んでいた。

その姿をちらりと見てから、また絵を描く。
手先に気持ちが集中していく。
そのうち、頭と手以外の体のパーツがあることを忘れそうになるくらい絵に没頭していた。

「ねー、聞いてる?」

私の横で、一条さんがちょっと不機嫌そうな声を出した。

私は絵に夢中になりすぎて、一条さんに話しかけられていることに気がついていなかった。

「ごめん、何?」

「やっぱり聞いてなかった。もういいや」

一条さんが肩をすくめた。

「まあ、絵を描いてる時に話しかけたら邪魔だよな。帰ろうぜ」

月森くんがそう言って鞄を背負った。
まわりを囲んでいた人たちも、各々、鞄を手にして教室を出ていく。

立花さんが、私と帰っていくみんなを見比べて、困ったような顔をしてから、バイバイ、と無言で私に手を振って教室を出た。

教室が急にしんとした。

それまでまわりの音が聞こえていなかったくせに、本当に静かになると、静けさをさみしく感じた。

小さくため息をつく。

みんなから話しかけてもらえるようにはなったけれど、みんなと今一つ距離が縮まらない。

一緒にいても〝みんな〟と〝私〟って感じ。
胸がスンとする。
誰か、このさみしさを共感してくれるだろうか。
一つになれないという感じ。
みんなと私の不思議な違いは、これからどう向き合っていけばいいんだろう。

絵を描く手を止めて、しばらく、みんなが出ていったドアを見つめていた。
その背中に、晴空が話しかけてきた。

「なあ、海音」

私は振り返った。

「海音はさ、このノートに書いてあるようなこと、親に相談してみたことってある?」

答えようかどうしようかためらってから、
「ないよ」
と答えた。

「学校でどんなふうに過ごしてるのか話したこともないし、聞かれたこともない」

「なんで?」

私は、手元を見つめて、小さくため息をついた。

「両親、仲悪いんだ。ケンカばっかり。
私のことどころじゃないって感じ」 

そう言って、またペンを握り直す。
絵の主題である翼を描き込んでいく。

「そうだったんだ。そういや、海音ってあんまり家の話をしないよな」

「話したって仕方ないもの。たぶん、これからもケンカを繰り返すと思う。そのうち、離婚するんじゃないかな」

「あっさり言うね」

「毎日ケンカしてるのを見るの、疲れたし。
そんなにケンカするなら別れたらって思う」

そう言った時、自分の言葉に違和感を覚えた。
私、本当にそう思ってるのかな。
疑問が心に湧いた。
突然、ペンがどちらに行きたがっているのか分からなくなった。
頭の中から、ふっとイメージが消える。
完全に、ペンが大きな布の上で迷子になってしまった。

ぴたりと手を止めたまま、絵を見つめていた。その時、晴空がすぐ隣に立って絵を見下ろした。

「それ、想像で作った乗り物?
すげーな、ファンタジーアニメに出てきそう」

絵の中には、空を飛ぶ機体の姿があった。
飛行船の下にたくさんのワイヤーで船がぶら下げられている。飛行船も船も、アンティークな雰囲気のもので、船からは木製の翼が生えていた。
機体は空に大きな翼を広げ、悠々と空を飛んでいく。

「これね、変形するの。翼と飛行船部分を外したら海も渡れるんだよ」

説明してるのを聞いて、晴空が、
「なんか、生き生きしてるな」
と言った。
「おもしろいな。俺、この船に乗ってみたいよ」

「乗ってるんだよ」

私はそう言って翼を指差した。
そこに〝3ー1〟と書いてある。

「三年一組の生徒みんな、この船に乗ってるんだ。
みんなで未来に向かってる絵なの」

頭の中では、船の窓がクローズアップされた様子が思い浮かぶ。
船体に並んだ丸い窓の内側には、三年一組の生徒みんなの顔がのぞいていて、みんな空を眺めて笑っていた。

「いい絵だな」
と晴空は言った。

私は晴空に褒められて、より自分の絵が好きになった。
そして、絵の中の船に本当に乗ってみたいな、と思った。
晴空と二人で並んで、窓から空を眺めてみたい。船の下に見える雲を見下ろしてみたい。
そう思いながら、窓辺に二つの小さな影を描き足した。

「それにしても、細かいとこまでよく描いてるな」

晴空が手元をのぞきこんでくる。そして、あっとつぶやいた。

「この窓さ、よく見たら、人影がいない?」

晴空が窓を指さして言った。

「これ、このクラスの誰かだよね? 
誰と誰?」

顔が急激にほてるのを感じた。鏡で見てみたら、真っ赤だったかもしれない。
私はさっき描き足した影を手でおおった。

「人なんて描いてないよ」

「なんか描いてたじゃん、隠すなよ」

晴空は私の手をどけようとする。

「何にも隠してないよ」

「だったら、その手を外せよ」

「どうせ見たって顔まで描きこんでないから」

「やっぱり人なんじゃん!」

「もうしつこいな。作業の邪魔だよ、あっち行っててよ」

絵のそばにしゃがみこんで、私と晴空は肩をつかんで押し合いを始めた。
そのうちに、体勢を崩して私はひっくり返りそうになった。
グラッと体が揺れた。次の瞬間には、晴空も巻き込んでコントみたいに床の上に転がっていた。

「もう、晴空のせいだからね」

転がったまま天井を見上げて文句を言うと、晴空は転がったままクスクスと笑い出した。

「何がおかしいんだか……」

唇を尖らせる私の隣で、晴空は楽しそうな顔をしていた。

そんな顔に少し戸惑って、窓の外を見ると、夕焼け空が見えた。
あかね色に染まった雲が、風で流れていく。

気がついたら、窓から差し込む夕日で、教室も赤く染まっていた。
夕焼け空の中に、晴空と二人で浮かんでいるみたいだった。

「真っ赤だね」
と私が言うと、 
「きれいだな」
と、晴空が言った。

私はこうやって晴空と二人で夕焼け空を見上げていることを不思議に思った。

去年までは、私はひとりぼっちだった。
去年住んでいた街の、ひっそりとした夕方の団地を思い浮かべた。
団地の向こうに見えていた夕空も、静かでひっそりとした空だった。
いつも一人で眺めていた景色。

「なあ……」 

晴空が隣で体を起こす。
寝転がっていた私の顔を眺めると、優しい声でこう言った。

「さっきのノートの話だけどさ、学校でなんか困ったことがあったらさ、隣に来いよ。
困ってることを話した方が楽になるなら話したらいいし、
それすらしんどかったら何にもしゃべんなくてもいいし」

私はしばらく晴空の顔を見つめたまま、黙っていた。
教室を満たす空気は、静かだった。
斜めに差し込む夕陽と、
床に映る窓枠の影。

「どうしてそんなふうに言ってくれるの?
そうしたら私は楽になるけど、晴空はそれで楽しいの?」

私は窓枠の影を眺めた。
うん、という答えを期待していなかった。

だけど、晴空が微笑む気配がして、晴空の顔に視線を戻した。
晴空の顔は夕陽にまばゆく照らされていた。

「楽しいから一緒にいるんじゃないんだよ。
もっと他に理由があるんだ」

「他の理由?」

晴空が、ちょっと困ったように笑う。 

「窓の人影が誰か教えてくれたら、答えてやってもいいけどな」

そう言って寝転がっている私の頭に、そっと手で触れた。
そして、何かを伝えようとするように、優しく私の頭をなでた。

晴空の手のひらの感触を感じながら目を閉じると、まぶたの裏に柔らかな夕日の光がさした。

夕焼け空に包まれたみたいだった。手を伸ばすとあかね色の雲に触れそうだった。
ふわふわする、と私は思った。

続く~