空間のゆがみがある学校の奥に進んだ。人の気配がしない。
澄矢は、ゆっくりと足を運んだ。誰もいないとわかっていても、
何かに誘われるように歩いた。カラスが飛んで、鳴いている。
真っ暗な校舎にいつもなら不気味さを感じて入りたくない。
引き寄せられるように1人で奥に入る。鍵が閉まっているはずの昇降口の端の扉が
開いていた。鍵の閉め忘れだろうか。長く続く青い床の廊下をまっすぐと見た。
そちらに向かえと言われている気分だ。薄暗い奥に行くとそこは、屋上につながる
階段があった。さっきまで快翔と一緒にいたところだ。ぼんやりと電気がついている。上を見上げると、屋上の出入り口が開いていた。ドアからひょこっと顔が見えた。手を振って、こちらを見ている。
「澄矢くん」
 にこにこして元気のよさそうな雫羽だった。やっと会えた。やっぱり、ここの世界にいたんだと安心した。ゆっくりだった足を急いで、階段を駆け上がる。屋上の重いドアを開けた。
「やっと会えたね。久しぶり。元気だった」
 いつも河川敷で見る白いワンピースじゃなく、学校の制服だった。初めての姿で新鮮だった。澄矢は頬を赤らめる。ワンピースよりもミニスカートで、白のふわふわなルーズソックスを履いていていかにも女子高校生だというような恰好だった。
「俺、雫羽の制服姿、初めて見るかも」
「そうだっけ。学校で会ったことなかったもんね」
「うん、今日が初めてか。学校で会うの」
「そう、初めて。ううん、初めてじゃないよ。会いたかったんだ。本当はずっと前から」
「え?」
「うん、知っていたよ。私、澄矢くん、ここの学校の生徒って。私のこと知らなかったでしょう」
「う、うん。ごめん、知らなくて……」
「無理もないよ。私、学校で目立たないし、静かに過ごしていたから。でも、私は澄矢くんのこと知ってた。教室から中庭を見てたんだよ。澄矢くん、環境委員だったでしょう。花壇の手入れの」
「あ、ああ。そうだね。あまり乗り気じゃなかったけど、じゃんけんで負けたから、
 決まったんだ。マリーゴールド植えてた」
「それも知ってる。可愛いよね、マリーゴールド。麦わら帽子かぶっているみたいで」
「あ、確かに。あれ? 雫羽もかぶってた」
「そう、気づくかなぁと思ってさ……」
 雫羽は、背中に両手を組んで笑顔で振り向く。澄矢は、ベンチに座って、雫羽を眺めていた。
「え?」
「声かけたんだよ。知らなかったでしょう」
「うん、気づかなかった」
「消しゴム、教室から落としたのを拾ってくれたでしょう」
「あー、あの時の。なんで消しゴムなんか落とすだよって
 不思議に思ってた」
「話、したかったから。昼休み返上で頑張ってる澄矢くんを応援したいっていうのもあったし。慌てて投げてみた」
「消しゴム、投げるもんじゃないよな」
「ご、ごめんなさい」
 ふぅとため息をつく澄矢は、当時のことを思い出す。花壇に水やり中に突然上から消しゴムが落ちてきて、頭に当たった。地味に痛かったのを覚えている。でも顔が思い出せない。雫羽の前髪が長かった気がする。
「でも、うれしかったな。女子と話したことなかったから。ちょっとだけ会話しただろ」
「うん」
「どうぞって言われて、ありがとうって終わった」
「すっごい普通だな」
「河川敷での澄矢くんと全然違う。めっちゃおしゃべり。なんでかな。学校でいるときの自分とほかの場所だと私もだけど、全然違うんだよ。緊張してるのかな」
「そんなものだよ」
「でも、やっぱり学校でもっと会いたかった。制服デートしたかったな」
 その言葉を発すると、目の前が一気に真っ白になった。時空が乱れた。
 今の話じゃなく、過去の話をしただけで何か問題が起きたらしい。雫羽が画像が乱れたように崩れていく。ビデオが流れているようだ。雑音へと変化する。
 眩しい光に耐えられなくなって、澄矢は目を思いっきりつぶった。
 走馬灯のように記憶がぐるぐるとまわっていく。