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 夜を迎えた華応宮に、いよいよ皇太子の伯蓮がやってきた。
 前回の茶会時よりも少ない宦官を従えて、ゆっくり廊下を歩いてくる。
 しかしその足取りは重く、伯蓮自身も終始神妙な面持ちを浮かべていた。
 そして初夜のために用意された部屋の手前で立ち止まると、すぐに部屋へは入ろうとはせず。
 しばし沈黙したまま、静寂の中を立ち尽くしていた。
 すると、扉前で待機する二人の侍女のうち、見覚えのある人物を一人発見して、伯蓮は目を丸くする。

「ッ⁉︎」
「伯蓮様、どうされましたか?」
「……っなんでも、ない」

 その様子を気にして宦官の一人が尋ねるも、伯蓮は軽く首を横に振って再び沈黙。
 用意された部屋の中には、尚華がまだかまだかと待ち侘びているはず。
 その扉を、伯蓮の合図で開ける役目を任されたのが、体調不良となった侍女の代理として急遽呼ばれた朱璃だった。

(……今、また伯蓮様と目を合わせてしまった……かも?)

 一週間ぶり、奇跡的に再び会える機会を与えられたのだから、先日の言いそびれたお礼をしたい。
 しかし、初夜を目前に余計なことはできず、今は黙って自分の役目を果たすのみ。
 いつでも扉を開けられるように待機している朱璃は、頭を下げたまま伯蓮の指示を待った。

「…………開けてくれ」

 振り絞るような伯蓮の声を初めて聞いて、さすがの皇太子も初夜は緊張するものなのだと朱璃は思った。
 指示通りにゆっくりと扉を開けると、中で待機していた薄着の尚華が姿を現した。
 艶やかで長い黒髪は後ろに束ねられ、煌びやかで豪華な花の簪が飾られているが、これでも初夜用に控えめな方で。
 愛らしい目元とぷっくりとした唇が色っぽい美女の、歓迎する喜びの声が響き渡った。

「伯蓮様! お待ちしておりました!」

 しかし、それに応える伯蓮の返事は聞こえないまま、更に部屋の奥へと進んでいった。
 その背中を見届けた朱璃は、先日会った時よりも遥かに寂しそうで可哀想な印象の皇太子に心を痛める。

(……だけど、これが皇太子としての務めなんだ……)

 侍女や宦官が外で待機する中での初夜。
 好きでもない相手との閨事なんて、自分だったら絶対嫌だと考えた。
 伯蓮の苦悩を少し理解した気になった朱璃は、複雑な感情を抱えたまま、
 それでも自分にはどうすることもできないとわかっていて、静かに扉を閉めようとしたその時。