しかし、朱璃の中で“自分が妃になる”可能性がないことが今の会話でわかってしまい、伯蓮自身も傷を負う。
 どうしたらこの想いが届くのか考えて、朱璃の耳を自身の胸にそっとあてがった。

「……お前といると、いつの間にか胸がこんなにも騒ぐようになった」
「っ……!」
「この意味がわかるか? 朱璃……」

 優しく問いかける伯蓮の心臓音が、朱璃の耳奥に届けられた。
 それは自分の心臓と比べても圧倒的に速く、そして大きな音を立てていて苦しそう。
 こんなふうになるまで伯蓮を心配させた、ということなのかとも考えたけれど。
 もっと特別な、簡単には言い表せない現象であることが、さすがの朱璃も感じ取った。

(……伯蓮様は、本気で私を妃に……?)

 ただ、自分を妃にしたいということは、あまりに飛躍しているようにも思う。
 朱璃は実家の借金を返済するために王宮にやってきた、元下女という身分。
 次期皇帝の伯蓮にはどう頑張っても相応にはなれないし、王宮内の誰もが認めるはずがない。
 一時の気の迷いが、伯蓮の印象に傷をつけてしまうと危機感を覚えた。
 だから、そっと伯蓮の胸を押し返して笑顔を浮かべながら答える。

「……私は、伯蓮様からいただいたお仕事を精一杯頑張りたいです」
「……朱璃……?」
「あやかしが視えるという共通点で伯蓮様によくしていただいていることも、重々承知しています」
「それは――!」
「流の捜索はこれにて終了ですが、またお困りの際はお声かけくださいね」

 それではおやすみなさい。と言いながら、朱璃は深々とお辞儀をする。
 そして伯蓮の顔は見ないまま背を向けると、すぐそばの入母屋造りの建物まで歩みを進めた。
 音を立てないように、寝静まった侍女用住居の板扉を開けて中に入る。

「ふぅ……」

 皇太子付きの侍女は六帖ほどの個室を与えられている。
 自分の部屋に入るや否やため息が漏れた朱璃は、そのまま牀に横たわった。
 長い一日をようやく終えようとする中、伯蓮との最後の出来事が頭をよぎる。
 疲れているはずの脳が休まらず、心臓はドキドキと鼓動を奏で続けた。

(……伯蓮様と、同じ音……)

 男性にあれほど強く抱きしめられたのが初めてな上に、なんだか今でも忘れられない温もりに包まれている。
 微かに残る蓮の香の匂いが、何度でも伯蓮の姿と声を蘇らせる。
 これが何を意味するのかまだわからないけれど、今夜は眠れそうにないことだけは理解した朱璃だった。