西日が辺りを神々しく照らしはじめた頃、コソコソと華応宮の中庭に姿を現した朱璃。
「貂々ー、来たよー」
木に向かって小声で話しかけるが、反応はない。
貂々は人の言葉を話さないから返事がないのはいつものことで、不思議に思わない朱璃は徐々に近づいていく。
木の上に視線を向け、そこでようやく貂々が不在だと知った。
「あ、あれ?」
尚華が入内した同時期に、この中庭の木の上で出会った貂々。
それからというもの、ずっと定位置から動くことがなかった貂々がいなくて、朱璃は少し不安になった。
少し用を足しに出ているだけで、待っていればすぐに戻ってくるだろう。
そう思ってその場に座った朱璃は、本日の一人反省会をはじめた。
(結局、食堂とその周辺の建物に流はいなかったなぁ……)
“視察”なので建物内への侵入も許可が下りていたが、それでも流の姿は発見できず。
たまたま見つけたあやかしたちに尋ねてみても、見かけた者はいなかった。
こうなったら、後宮内の全ての建物を順番に確認していくしかない。
それは途方もない作戦だけれど、流を心配する伯蓮を思うと早く見つけて届けてあげたかった。
(お優しい伯蓮様のため、私ならできる!)
自らを鼓舞した朱璃が、明日も頑張ろうと気合を入れる。
が、一向に貂々は帰ってこなくて、今日はもう諦めて帰ろうと立ち上がった時。
「あ、あの時の下女!」
「え⁉︎」
仕事中だった華応宮の侍女が、朱璃の存在に気づいて声を上げた。
驚いて肩を震わせた朱璃が振り向くと、その侍女は眉根を寄せてジリジリと近づいてくる。
「あんた、尚華様の初夜をよくも邪魔してくれたわね……!」
「あ、あの時は、本当に……」
ごめんなさいと声を出すより前に、侍女の手が朱璃の肩に掴み掛かかろうと距離を詰めてきた。
明らかに喧嘩腰な尚華の侍女だけど、下手に朱璃が手を出したら何を言われるかわからない。
何より自分が問題を起こせば、それは面倒を見てくれている伯蓮にも監督責任が問われるだろう。
それだけは嫌だと考えた朱璃は、侍女に触れられそうな一瞬に後ろに下がって、かわすことに成功する。
「あ、待ちなさいー!」
(ひぇぇごめんなさーい!)
侍女の制止を振り切って、朱璃は逃げるように後宮をあとにした。