目をすがめて声のしたほうを見ると、黒髪をみずらに結った二十代半ばくらいの青年がいた。

麻の貫頭衣を身にまとい、手に白木の杖を持つ姿は、昔読んだ日本神話の登場人物を彷彿(ほうふつ)とさせる。

「汝の前には、ふたつの道がある」

百合子を見つめる瞳の色は赤く、その者が【普通の人間でないこと】を物語っていた。

「ふたつの道……?」

夢か現実(うつつ)か判らぬ状況のまま、おうむ返しに尋ねる。

「ひとつは、このまま黒い“花嫁”として在り続ける道。もうひとつは」

男は手にした杖を、円を描くようにくるりと振った。
とたん、まばゆいばかりの白い空間が、どこか見覚えのある室内へと変わる。

「汝が生まれた世界で【生を全うすること】」

辺りをよくよく見れば、百合子は、生まれ育った洋館の廊下に立っていた。

壁に掛けられた絵画に、床を覆う絨毯(じゅうたん)に、懐かしさがこみあげる。

「……ここは……私の……」

───が、次の瞬間。

「兄上っ……」

切羽詰まった声が聞こえ、目をやると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

黒髪の女学生が、血を流し仰向けで横たわる海軍士官の青年の側に、かがみこんでいる───あれは。