自分の名前と両親の存在、育った環境、身につけた教養などは思い返せる。

だが、ここで眠っていたらしい自分が、その前に何をしていたかが思いだせない。

(朝……いつも通りに家を出た、はず)

そこからが、断片的な記憶でしかない。

通い慣れた学舎、友人、通学路。
定刻に帰宅したはずだが、狭い板の間で見知らぬ少年と何か話をした気がする。
そして、黒い大きな獣を見た───。

(他にも何か……見たような……いや、何か『あった』気がする)

自分の記憶は、所々抜け落ちている。
まるで虫食い状態だ。
抜け落ちているのは分かるのに、何が抜け落ちているのかが分からないとは。

「失礼するぞ」

聞き覚えのある少年の声と共に、障子が開かれた。

ざんばら髪と、人懐っこい瞳。そでなしの黒い道着。
記憶のなかの、少年だ。

「気分は、どうじゃ」
「私は……なぜここにいる?」
「……覚えておらぬのか?」

少年の黒い瞳に、安堵と失望の入り交じった色が浮かぶ。

「わしは、コクと申す者。おぬしはわしと“契り”を交わした“花嫁”。
ここはわしとおぬしの住まい……屋敷じゃ」
「花嫁? だが、私は───」