しっかり約束したわけではない。それから一年間、月曜から金曜日の朝、駅前で落ち合って、一緒に列車に乗車し、途中の駅で恭子が下車するのを健士が見送るのが日課となった。
 時間にしたら二十分にもならない。それでも一日二十四時間の1/72の僅かな時間が、今の恭子にとってはかげかえのないひとときとなっていた。健士に仕事の話をして、その度に尊敬され、あこがれの眼差しを向けられる。ファッションを手放しで賞賛される。この短い時間のおかげで、今の恭子はどんなに辛いことがあっても、入社のときの理想を忘れずに、毎日を送っているのかもしれない。
 ふたりの関係について、恭子は時々、考えることがあった。
 「年の離れた友だち」。恭子は、そう解釈することにしていた。
 本当は心の奥底で、健士に対して別の感情を抱いていた。

(そばにいて欲しい人。いつだってすぐそばで、はにかみながら私のことを見つめていて欲しい。いつもそばにいて、私のファッションや髪型、仕事への取り組みを賞賛して欲しい)

 この感情は、「友だち」とは全然違った感情。果たして健士の方は恭子に対し、どんな思いを抱いているのか、期待とも不安ともつかない思いが大きくなっていくのを、今ではどうすることも出来なかった。
 そういうときは、そっと深呼吸をしてみる。

(友だち、友だち。十一歳年下の友だち。日下くんにとっては十一歳年上の友だち。無口で気も弱く、学校では「ぼっち」だと自分で紹介していたから、私と色々話せるのが単純に楽しいだけ)

 この日、ふたりはいつものように朝の挨拶をして、いつものように肩を並べて駅に入った。いつものように肩を並べて列車に乗車し、いつものように満員の車内に肩を並べて立つ。いつものように三つ目の春日井駅に着く。いつものように恭子が会釈して、列車のドアに向かう。
 ここからが今までとは違った。

「す、杉野さん」

 健士が精一杯の大声を出した。ホームに降りた恭子が振り返る。

「僕、昨日(きのう)で十八歳になりました」

 恭子は何も言えないまま、その場に立ち尽くした。列車を降りた乗客たちが、恭子の横を足早に通り過ぎていった。
 十八歳というのは成人年齢。結婚できる年齢!