源氏物語(げんじものがたり)
 平安中期の小説。作者は紫式部(むらさきしきぶ)と伝えられる。1001年(長保三年)以降に執筆されたといわれるが、詳細は不明。全五十四巻。桐壺帝(きりつぼてい)の子として生まれた貴族・光源氏(ひかるげんじ)の華麗な愛の遍歴と栄耀栄華(えいようえいが)に満ちた生涯を描いた長編小説。後世の文学に与えた影響も多い。>

 配布された資料の一頁目である。表紙には『一千年前の恋 源氏物語の世界展』(帝国大学古典文学研究所・令和日報 共同主催)
とある。帝国大学は日本を代表する大学のひとつであり、大学に設置された「帝国大学古典文学研究所」は日本の古典文学の権威とされている。この研究所の研究員になること自体が狭き門であり、研究員は大学教授や講師、中学高校の教科書や参考書の監修・執筆など教育の世界での華麗な未来が約束されている。今回の『源氏物語の世界展』は帝国大学の南川繁学長、帝国大学古典文学研究所所長の大森京香教授、さらに源氏物語についての著作はもちろん、教科書や参考書の監修で知られる草壁剛研究員が、帝国大学からの代表として名を連ねていた。いかにこのフェスティバルに力を入れているかが分かる。
 「令和日報」は全国紙として知られているが、社長はもとより文化部の責任者が代表として名を連ねている。さらに令和日報では、このフェスティバルに合わせ、草壁研究員らを審査員として「源氏物語についてのエッセー、評論コンテスト」を大々的に開催すると発表していた。令和日報も社運を賭けている様子が伺える。
 「あなたの広告会社」責任者会議。三階にある第一会議室には大橋社長、本多常務、及川営業企画部長、原田部長補佐をはじめ、「あなたの広告会社」の重役が列席している。末席には恭子と松山。

「この展覧会の共同主催の話が、何とわが社に持ち込まれたのです。企画書はわが社が中心となって作成することになります。帝国大学古典文学研究所、そして令和日報と仕事が出来るとは、わが社にとっても大きな飛躍のチャンスかと思います」

 及川営業企画部部長が語る。

「わが社は共同主催者として、帝国大学と令和日報が準備した資料を元に詳しい展覧会の企画書を作成する。そこでだ……」

 大橋社長が一同を見回す。

「出来るだけ多額の利益を上げる。それがこの展覧会の一番の課題だ。幸い、平安時代を舞台にしたテレビドラマが大ヒットしており、『源氏物語』への関心が一般にも高まっている。関連グッズ、テレビドラマやアニメの企画、コミカライズ、人気歌手によるフェスティバルのイメージソング……。とにかくあらゆるジャンルを絡ませることで利益を厖大なものにする。そういう観点から企画書の第一案を、第一、第二、それぞれのグループが作成して欲しい。最終的にふたつの企画書のどちらかを正式な企画書として採用する。企画書を採用したグループの社員には全員、特別ボーナスを支給しようじゃないか? 第一グループと第二グループで、競い合って欲しい。」
「待ってください」

 恭子が立ち上がる。

「わが社の命運を賭けた企画です。グループの壁を取り払い、専任プロジェクトを組織し叡智(えいち)を出し合ってはどうでしょうか?」

 恭子は次のように考えていた。松山にはあまりにも利益を最優先するところがある。だが利益を上げるのも重要な課題である。うまく調整すれば、第一グループと第二グループの協力で展覧会の企画を最善のものに出来るのではないか?
 だが恭子のように考えない者だっていた。

「つまり杉野主任は、第二グループと競争したくないというのだね」

 本多常務が冷ややかに言う。

「なるほどあなたには無理というわけですか? それは残念だ」

 及川部長の口調は丁寧だが、嘲るような笑みが浮かんでいた。

「私は……」

 恭子は自分の意見を話そうとした。そしてすぐ、ほかの出席者が自分に向ける冷ややかな目付きに気がついた。

「私の提案に反対なのだな」
「社長、そうではありません」
「反対でないのなら、これで君の話は終わりだ」

 松山が立ち上がる。

「女性の集客を考えるべきでしょう。女性というのは、グッズとかに平気で何万、何十万使いますからね。第二グループの企画案は、このへんを重要なコンセプトにしたいと思います」

 そう言ってから、チラリと恭子の方に目を向けた。勝利の笑みだった。

「松山くん。第二グループには期待しているよ。杉野さんも、もう少し頑張りを見せてくれないか。もちろん無理なら無理と、正直に申し出てくれても構わない。君には荷の重すぎる仕事かもしれないしね。ハッハッハッ」

 大橋社長の言葉が、恭子の胸にナイフのように突き刺さった。