「俺、朝倉さんの名前をとき、すごく懐かしい気がしたんだ」
「私の名前?」
「うん。なにも思い出せないのに、すごくあったかい気持ちになった。はじめはなんでか分からなかったんだけど、実は会ったことがあるんだって思ったら、心が覚えているってこういうことなのかなって」
心が覚えている――。
そう聞いた瞬間、視界がだんだんとぼやけていった。
ずっと不安だった。忘れてしまうほど記憶に残らない存在だったのか。それとも忘れたい過去だったのか。悪い方にばかり考えて、苦しくて切なくて、たまらなくなった。
でも、違ったんだと分かったら、心の奥で引っかかっていたものが雪解けのようにじんわりと消えていった。
「俺、なにか変なこと……」
不意にこちらを見た高科さんが驚いたように固まって、彼の瞳には頬を伝う涙が映り込んでいた。
「違うんです。ずっと心のどこかで不安だったから」
私は鼻をすすりながら慌てて涙をぬぐう。
そしてホッとするあまり自然と笑みがこぼれていた。
「だから、嫌われてたんじゃなくて良かった」
良かったなんて、記憶をなくして苦しんでいる彼の前で言っていいのかわからない。
けれど、本当に良かったと心底思った。
きっと今、ひどい顔をしている。
手の甲で顔を覆い、間をつなぐようハハッと笑った。
「もう一度、出会いからやり直してもいいかな」
すると、高科さんの手がそっと顔の前に伸びてきた。
手をぎゅっと握る彼が、真っすぐ私を見て言った。
「ちゃんと君のことを知っていきたい。今、本気でそう思ったんだ」