私はテーブルを拭いていた手を止めて、困った顔をした。
「ここで働くの、楽しいんですよね……」
せっかく仕事に慣れ、金子とも仲良くなれたというのに――。
彼に対する淡い気持ちを自覚したばかりということもあって、まだ辞めたくないと思った。
金子は私を諭すように言葉を続ける。
「鈴木みたいなやつが、また現れたらどうするんだよ。この前みたいに、運よく誰かが助けてくれるとは限らないんだよ」
「それは、そうですけど……」
私は下を向いた。
金子が言うことは分かる。今回鈴木が諦めたとしても、第二の鈴木が現れないという保証はない。その度にマスターや金子に心配をかけたり、迷惑をかけたりするわけにもいかない。
「マスターもやっぱり、同じ意見なんですか?」
それまで黙って私たちの話に耳を傾けていたマスターに、私は問いかけた。
マスターはしゅんとした顔で頷いた。
「この前も言ったけど、本当はやめてほしくないんだよ。だけど、佳奈ちゃんの安全のためだから、仕方ないよね」
私はエプロンの裾をキュッと握って、うな垂れた。
「わかり、ました……」
次に顔を上げた時には、私は笑顔でマスターと金子を見た。
「バイト、やめます。これ以上、二人に心配はかけたくないですから。……ただ」
まだしゅんとした表情のまま、マスターが聞き返した。
「ただ?」
「助けてくれた《《そう》》さんですけど、たぶん私、改めてお礼を言う機会もないまま、お店をやめることになってしまいますよね。しかも私、《《そう》》さんがどんな人なのか、どんな顔していたのかも分からないままになってしまうのが、なんというかちょっと心残りというか……」