困惑顔の私を見て、金子ははぁっと大きなため息をついた。

「言ってなかったのか、マスター」

「何のことですか?」

「あの人、女癖悪いから、気を付けなよって話」

私は息を呑んで眉間にしわを寄せた。

「そうだったんですね……。知らなかったです。教えてくれてありがとうございました」

「うん。あのさ……」

「はい?」

「いや、なんでもない。えっと、また来週ね」

「はい。お先に失礼します」

頭を下げて休憩室を出ようとした時、金子の声が追ってきた。

「鈴木さんに捕まらないように早く帰りな。気を付けてね」

それが、金子との初めての長い会話だった。そして思った。

見た目と違って普通にいい人なんだな――。

次のバイトの日、店に入った途端、マスターから頭を下げられて私は驚いた。

鈴木の件を伝えていなかったことを、金子に怒られたのだと言う。

確かにひと言教えてもらっていれば、と思わないではなかった。けれど知っていたとしても、上手にかわせた自信はあまりない。

「とにかく」

と、金子は言った。

「もしもまたそういうことになったら、すぐにマスターか俺を呼ぶってことで。マスターもそれでいいよね」

「もちろんだよ」

二人の顔を交互に見て、私は頭を下げた。

「すみません、よろしくお願いします」

この時のことをきっかけにして、私は次第に金子に打ち解けていった。気軽に雑談を交わすようになった。冗談も言い合えるようになった。

私は彼を「金子君」と呼ぶようになった。それと同じ頃には、金子もまた私のことを、少しだけ照れ臭そうな顔をしながら「佳奈ちゃん」と呼ぶようになっていた。

そしてある時、金子から「佳奈ちゃん」と呼ばれると、くすぐったいような甘酸っぱいような感情が心に広がるようになっていることに、私は気がついた。