私は嫌悪感を隠しながら、やんわりと鈴木の手から逃れた。愛想笑いを浮かべながら言う。
「すみません。そういうのは断るようにって、マスターから言われているので、教えられないんです」
嘘だった。マスターからそんなことを言われたことはなかった。けれど、他に適当な断り方が思いつかなかったのだ。
鈴木は納得していなかった。
「マスターに内緒にしておけば大丈夫でしょ。ね?」
彼はそう言いながら、私の腕に手を伸ばしてきた。
今までにこやかだと思っていた笑顔が、にやにやとしたいやらしいものに見えてきて、私はぞっとした。
マスターが私と鈴木の間に割って入ってきたのは、その時だった。
「はいはい、うちの店でお触りは禁止ですよ~。佳奈ちゃん、もう上がる時間だよ。後は俺と金子でやっておくから」
早く行けと言うように、マスターは私に片目をつぶってみせた。
助かった――。
「それでは、お先に失礼します」
私は引きつった笑顔を浮かべながら二人に頭を下げると、カウンター奥にある小さな休憩室に向かった。
ドアを開けると、金子が椅子に座っていた。ペットボトルに口をつけて水を飲んでいるところだった。
「すみません、休憩中失礼します。少し早いですけど、私、今日はこれで上がりますので」
私はそそくさと帰り支度を始めた。
金子はそんな私をしばらく黙って眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「早瀬さんさ、もしかして今、鈴木さんにからまれてた?」
「え?」
金子は、振り返った私の表情を伺うようにじっと見た。
「マスターの声が、ここまで聞こえた」
金子は腕を組んだ。
「もしかして注意事項、聞かされてなかった?」
「注意事項、ですか?」