彩絵は目を細めて、一歩、また一歩と、栗花落に近づいてくる。

「え? それはですね~……」

そして、栗花落の目の前まで来ると、プハッと噴き出すように笑った。

「私、先輩のことが大嫌いだから、先輩だけは簡単に幸せになってほしくないんです~!」

「……」

すぐに言葉が出てこなかった。
(この子、何を言ってるの……?)

嫌いだから、幸せになってほしくない?

(こんなにも、優しくしてきたのに……。私の幸せを踏みにじって、それが幸せみたいな顔して……!)

何もかも、信じられない。
後輩に蔑んだ目で見られることも、罵詈雑言で詰られることも。
三年間も一緒にいた人がただ、謝罪もなしに慌てるだけの姿を見ることも。

……これ以上、この場に居たくなかった。
勝ち誇ったような、楽しげな彩絵の顔を見たくない。
困ったような、情けない勝の顔も見たくない。

(みんなして、私のこと馬鹿にして……!)

悔しい。悔しい。悔しい!!
でも、今は……何もできない。

言い返せば、彩絵はもっと強い言葉で栗花落をねじ伏せてくる。
この状況で悪いのは確実に向こうだが、今の栗花落に、その言葉に対抗しうる強い精神力が備わっていないのだ。

「二度と、私に関わらないで!!」

それだけ叫んで、栗花落は資料室の扉を勢いよく開く。
「はぁ。はぁ。はぁ……!」

走って、走って、オフィスの廊下を一人で駆け抜ける。
息が切れて、心臓がバクバクと鼓動を立て、胸が苦しくなった。

でも、今は何も考えず、ひたすらに走っていたいくらいだ。
そう思ってしまうくらい、栗花落の頭の中は、様々な感情でぐちゃぐちゃだった。

しかし、廊下は最奥で行き止まり、その足はついに止まる。

「はぁ。はぁ……。はぁ」

そこは、執務室だった。
普段はあまり寄り付かない、蓬田商事の代表取締役社長が使用している一室だ。

「いやだ……」

不意に、一筋の涙が頬をこぼれた。
それは自分でも制御することができなくて、ここは会社だと分かっているのに、止まることを知らない。

(どうして私、こんなに弱いの……。もっと強かったら、彩絵ちゃんにも言い返せて、勝の頬をビンタできたはずなのに……!)

「無理だよ……もう」

栗花落はその場にしゃがみ込み、ズズッと鼻を啜る。
ハンカチは鞄の中だ。今は持っていない。
こんな顔で自席に戻ったら、上司に心配されてしまう。

(どうしよう。どう、しよう……)


「――――大丈夫か?」