ふと顔を上げると、そこには翔が立っていた。
彼は二人の言い合いをずっと聞いていたのか、話に割って入ってくる。

「斎藤さん。君の言い分は酷く一方的だ。自分で勝手に勘違いをして、相手のものを奪うなんて許されることじゃない」

すると、彩絵はやるせない気持ちを押し殺すように、拳をぎゅっと握りしめて唇を噛んだ。

「……ほら。やっぱり! 先輩は社長にチクったんだ! 私のこと!」

翔は、深いため息を吐く。

「いや。それも勘違いだ。君のことは葛西さんから何一つ聞いてない」

「嘘吐き! じゃあなんで、今ここに居るの!」

「……はぁ。だから、先ほど言っただろう。言い合ってる声が廊下に響いていると」

「だからって、こんなタイミング良く来ます? きっと裏で──」

「君は、随分と思い込みが激しい人のようだな。仕方ない。順を追って説明するか」

翔はまた息を吐いて、一度冷静になると、静かに語りだした。

「俺はついこの間、葛西さんが泣いているところに遭遇した。その時、彼女から恋人に浮気されたことを聞いた。だが、相手が誰かを伝えることはできないと言われた。だから俺も詮索はしなかった」

「……嘘」

「葛西さんは、自分がここで名前を出してしまったら、その人が会社で相応の処遇を受ける可能性があるからと、頑なに浮気相手が誰なのか教えてくれなかった。彼女はただ、君を守ろうとした。それだけだ」

すると、彩絵はふるふると首を横に振る。

「……絶対、嘘。そんなわけない!」

「嘘なわけあるか。俺は今の今まで、君が相手だと知らなかったんだから」

彩絵は呆然としたまま、全てを否定する言葉を口にした。

「嘘だよ。先輩が私を守る理由なんて、一つもない!」

「それでも、葛西さんは君を守ったんだよ。それがすべて。真実だ」