「貴女を妾に買ったと、酷い男だと…思っていたんです。それに、あまり良い噂は聞かなかった。君はまだ子供なのに…。」

ブライアンは何よりも亜子の幸せを想っていた。

「司様は、私を花街から出してくれただけでなく、仕事までも与えてくれて、ちゃんとお給金を頂いています。それに、このイギリス行きだって私がお願いしたから、叶えてくれたのです。彼を悪く言うのは辞めて下さい。」
亜子は必死になって話す。

かつて花街で見た彼女は、いつだって気怠そうで覇気がなく、遠い目をして儚げな印象だった。

ところが今の亜子は誰よりも今を生きている、力強い目をしていた。

「僕は貴女がこの船に乗る事を知り、長谷川司からどうにかして助けたいと思っていたんだ。
だけど君は彼ではなく…他の男どいつも楽しそうにしていたから…。
彼は君のフィアンセか?」

「兄です。生き別れた兄と再会出来たんです。全て司様のお陰で、兄も長谷川商会の社員となり働いているんです。」

「…お兄さん…。」
ブライアンはやっと気付く。

自分が調べた全ての情報が嘘であり、見ていた全てが憶測でしかなかった事に…。

「ブライアンさん、私達の事をこれ以上見下さないでください。私達は逆境にもめげず、精一杯生きているんです今を。その事について貴方に咎められる筋合いはありません。」

亜子の鋭い眼差しが、ブライアンを非難する。

ブライアンは膝から崩れるように座り込み、両手を床について頭を下げてた。

「申し訳ない事を言いました…。私は貴女の大切な人を傷付けてしまった。許して下さい。」

そこに、息を切らせて正利が到着する。

妹が仁王立ちする前に、金髪の英国紳士が土下座しているのが見える。

何が起きたんだ⁉︎

周囲もそれに気が付き始め、ざわざわと騒ぎ始めるから、これはなんとか収拾しなくてはと緊張の面持ちで足を運ぶ。

「亜子…これはどう言う事なんだ?」
正利が近付き、亜子に理由を聞く。

「お兄様、この人がお姉様に酷い事を言ったんです。私の知り合いでした…。
お姉様に…司様にお詫びをしなくては。」

それを聞き、兄はブライアンに片手を差し出す。

「英国紳士がそのように…跪くのはいささか格好が良くない。どうぞ頭をお上げください。」

ギャラリーの目も気になるが、1番気になるのは妹に何か悪い噂が付く事だ。 

ブライアンはその手を見つめ、しばらく固まっている。

そこに司が莉子と共に到着する。

『It's not a show. Please leave.』
(見せ物ではない。立ち去ってください。)

周りに集まる野次馬にそう牽制しながら、近付いて来る司は、瞬時にその状況を把握し騒ぎを納める。

その采配にさすが!っと正利は心の中で讃える。

「ブライアン・ジョーンズ伯爵。立って下さい。ここでは一目に付く。こちらに着いて来て下さい。」

司はこの3日間、何もしていなかった訳ではなかった。実はこの男の事を探り情報収集をちゃんとしていたのだ。

ブライアン・ジョーンズ伯爵。
28歳、職業は英語教師。とある大学で教鞭を取り、今回一時帰国の途中だ。家は由緒正しきイギリスの貴族、ジョーンズ家の次男だ。

日本に興味を持ち、日本に暮らす事3年。いくつかの日本文化に関する本も出版し、成功を収めている。

地位も名誉も兼ね備えた。そして日本をこよなく愛してくれているであろう人物なのだ。