「……婆や、」
しかし最後、私たちの前に立ちはだかった存在がいた。
それは常に彼の付添人として身の回りの世話をしていた老婆。
「…もう2度と、なにがあったとしても、ここにだけは戻ってきてはなりませぬ」
「え…?」
「この場所に対する情など捨て、あなたはあなたの道を歩くのです」
そしてお婆さんは「出ていけ」と、厳しく言い切った。
きっとそうしなければ引き留めてしまうからなのだろうと、私には分かった。
彼に情を持っているのは彼女のほうで、もしかすると我が子のように思っていたのかもしれない。
「もうこの花街に……寅威坊っちゃんの居場所などありませぬ。婆やもすべてを忘れますので。…それでは」
言葉とは裏腹に震えるあたまを丁寧に下げた姿はまるで、息子の巣立ちを見送る母親にも見えた。
私に「どうかよろしくお願い致します」と、伝えているようにも。
緋古那さん、
あなたはこんなにも大切に思われていたんですね。