「実は、ずっと閣下にお伝えしたいことがあったのですが──これが最後の機会になるかもしれないので、今ここでお伝えしておきますね」
「な、何を……」

 コーヒー一杯に付き伝言一件。
 思えば、人の気持ちを代弁する機会は多々あるものの、自分の言葉を誰かに伝えることは多くはない。
 いや──世界一かわいい、とウィリアムにだけは頻繁に伝えてはいるが。
 それを伝えた時の、彼の困ったような、照れくさそうな顔を思い出してしまったものだから、自然と顔が綻んでしまう。
 イヴは、笑顔のまま言った。

「どこの馬の骨とも知れない女の子供ですけど、私は結構幸せですよ?」
「なっ……?」

 思いも寄らないことだったらしく、メイソン公爵が一瞬ポカンとした顔になる。
 ピンと立ち上がった彼のオオカミ耳を、イヴは不覚にも、ちょっとかわいい、などと思ってしまった。
 彼女はそれを払拭するみたいに、こほんと一つ咳払いをする。

「確かに、私は母がどこの誰なのかを知りませんし、父も教えてくれないまま亡くなってしまいましたので、閣下が私をそうお呼びになることは否定できませんが」

 イヴはそこで一度言葉を切ると、ぐるりと周囲を見回してから続けた。

「でも、家族にも友人にも、それから今は素敵なお客様にも恵まれて、私は幸せでございます」

 この時、王宮玄関での騒ぎに足を止めた人々の中には、『カフェ・フォルコ』の常連客も大勢いた。
 彼らは、イヴの言葉に心なしか誇らしげな顔をする。
 それを目の端に捉えたイヴは勇気づけられた気分になって、メイソン公爵の厳めしい顔も真っ直ぐに見据えることができた。

「ですので、どこの馬の骨とも知れない女の子供という言葉で私を傷つけようとお考えなのでしたら、それはことごとく失敗に終わっております。ええ、今さっきのは、記念すべき五十回目の失敗──残念でございましたね?」
「な、なな……何だと……」
「──ぶふっ!」

 ここにきて、イヴの言葉にたまらず吹き出したのは、離れたところで見ていたダミアンだった。
 それに釣られたみたいに、観衆にもじわじわと笑いが広がってしまう。
 一方で、衛兵やエリアスは顔を強張らせた。
 気位の高いメイソン公爵が笑い者にされて黙っているはずがないからだ。
 案の定、彼は顔を真っ赤にして怒り出した。

「こ、この小娘が……ぬけぬけと! 私を馬鹿にしているのかっ!!」

 大きな身体を奮い立たせ、自身を押し留めていた者達の手をついに振り解く。
 そうして、まさしく獣のごとく凄まじい咆哮を上げた。

「その生意気な口をきけなくしてやる──!!」