ヒヒン、という馬のいななきが、遠くから聞こえた。
 総督府に危険が迫っていることなど、この時は知る由もなかった私とネコは、一階の奥まった場所にあるカタリナさんのための部屋でベルンハルト王国軍の到着を待っていた。
 中尉は仕事に戻り、メイドの少女は私とカタリナさんにお茶を淹れてくれてから、満を持してといった様子でネコを抱っこする。

「わあ、ネコ殿の毛、ふわふわ……いい匂い……好き……」
『むふふ、くるしゅうない。しかし、お前も結構抱えとるなぁ』

 彼女はカタリナさんの侍女仲間の娘で、幼い頃から献身的に母親を支えるトラちゃんを見ていたそうだ。
 戦時中に肉親を亡くして天涯孤独となり、トラちゃんの代わりにずっとカタリナさんに寄り添ってきた彼女もまた、言葉に尽くせない思いを抱えているだろう。
 ネコがその頬をザリザリと舐め回しながら、俄然張り切り始める。

『よーしよし! 存分にモフるがよいぞ! お前の澱みも、我がみーんな食ろうとやるわいっ!』
「わああっ、ザラザラしていて痛いっ! その舌、どうなってるんですか!?」

 ついさっきカタリナさんから膨大な量を摂取してパンパンだったはずのネコのお腹は、いつの間にか引っ込んでいた。
 十数年ぶりに正気を取り戻したカタリナさんは、息子と同い年の少女がネコの舌の洗礼を受けているのを感慨深げに眺めている。
 儚げな雰囲気はそのままだが、表情はいくらか柔らかくなり、トラちゃんと同じ金色の瞳にも光が戻ったように見えた。
 彼女と並んでソファに座った私は、おずおずと声をかける。

「あの、さっきはその……差し出がましいことを言ってしまいましたけど……」

 すると、私に視線を移したカタリナさんが、ゆるゆると首を横に振った。