「──トライアン殿下。昼間は、大変失礼しました」

 私はひゅっと息を呑んだ。
 馴染みはないが、その声には聞き覚えがあったからだ。
 昼間……というか、山に入る直前の休憩中のことである。
 トラちゃんを地面に押し付けてナイフを振り上げ、お覚悟を、と叫んだ──あの男の声だった。

「ど、どうしてここに……トラちゃんから、離れてっ!!」

 私はフォークを握ったまま、無我夢中でトラちゃんと男の間に割り込んだ。
 膝の上にいたネコが吹っ飛んだが、かまっていられなかった。

(准将に連行されて、王都へ送り返されたって聞いたのに! どうして、自由の身なのっ!?)

 そもそも彼は、ミケに諭されて復讐を断念したはずだ。
 それなのに、どういうつもりで再びトラちゃんに接触してきたのだろうか。
 訳がわからないことばかりで、心臓がバクバクと激しく脈打ち、冷や汗がこめかみから伝い落ちる。
 ところがである。

「……あれ?」

 私のとっさの行動に驚いて、ロメリアさんもメルさんも将官達もこちらに注目している。
 にもかかわらず、トラちゃんを害そうとした男が再び現れたことに、誰一人慌てる様子がないのだ。
 そればかりか当の男さえ、邪魔をする私に苛立つわけでもなく、ぽかんとした顔をしている。
 緊張しているのは、私ただ一人だった。
 その理由を、私はトラちゃんの言葉によって知ることになる。

「ああ、そっか。タマは知らなかったんだね──あれは、彼が一芝居打っただけだってこと」
「どういう、こと、ですか……?」

 呆然と呟く私を見て、ロメリアさんもメルさんも将官達も気まずそうな顔になった。

「にゃあ」

 静まり返る食堂に、ネコの声が響いた。
 飛びついてきたネコを、私は縋るみたいに両手で抱き締める。
 足下がガラガラと音を立てて崩れていく──そんな感覚に襲われていたからだ。