私立の中高一貫校であるこの学校は、学力の評価も低くはないが、スポーツの英才教育において名前がよく知られている。
オリンピックや各種の世界大会に選手を輩出してきたし、そうした卒業生たちが支援するから施設面や指導面においても他校の追随をゆるさない。
ことに、水泳関係の競技ではここ数回のオリンピックで立て続けに金メダリストをだしたこともあり、学校施設ではきわめてまれな、十メートルの高飛び込みの台を備えた大型プールまで保有している。
その室内プールは、竜胆《りんどう》や冬夜《とうや》の教室からもよく見えた。校舎もプールも窓は大きく開放的で、いかにも先進的な私立校、といったかたちなのである。
竜胆は窓際のいちばんうしろ、冬夜はその前の席だ。ふたりが同じクラスになった理由は明らかでない。
ただ、竜胆の家、梧桐院《ごどういん》家は古代から続く神主の家であり、政界や経済界に隠然たるちからをもっていることは学校内では有名な事実である。
ころんころんと、やわらかい鐘の音。四限がおわったのだ。みな、思い思いに弁当を取り出し、あるいは校内の休憩室へむかった。この学校には購買部があり、中高いずれの生徒も利用できる。
冬夜は教科書をしまい、弁当をとりだして、いすを後ろに向け、机をはさんで竜胆と向き合った。おもえば大胆な行動なのだが、注目するものはいない。もはや見慣れた風景であるし、最初の頃、冷やかそうとした生徒がどんな目にあったかをみな知っている。
ふたり同時に弁当箱をあける。おなじものが入っている。親指ほどのちいさなおにぎりが六個、唐揚げ、卵焼き、胡麻和え、にんじんのバター煮、杏の酢漬け。すべて竜胆の好物であり、冬夜の手作りである。
今日も朝五時におきて、弁当をつくり、町はずれのちいさな森のなかにある梧桐院の家、つまり梧桐院神社まで竜胆をむかえにいったのだ。
「……いただきます」
ふたり同時に手を合わせ、頭をさげる。竜胆はつねに礼儀をだいじにした。ただ、手を合わせるのが神道のただしいやり方なのかを冬夜は竜胆にきいたことがあるが、んん、わかんない、との回答であった。
箸をじょうずに使い、すこしずつ、くちに運ぶ。ときどき、ん、おいし、とちいさく呟く。冬夜は、竜胆の食事のようすをみるのがとても好きだった。
と、そのとき。
教室のスライドドアが、だだん、と大きな音をたてて開けられた。
「……梧桐院さん、ちょっと、いい？」
入り口で、背の高い女子が腕をくんで立っている。赤みがかった髪を後ろで引き結んでいる。気の強そうな目。隣のクラスの、高階花奈《たかしな かな》であった。
竜胆と同じ水泳部のエースで、同じように将来を嘱望されている選手。竜胆は状況や体調に影響をうけない静かな強さを評価されていたが、花奈は対照的に、感情と勢いを最大限に活かした、炎とも称される競技をする選手だった。
その背には、昨日の掃除の時間に、竜胆に水をかけた芽衣が張り付いている。
竜胆はくちに杏をふくみながらそちらをちらっと見て、また弁当に目をおとした。無視である。冬夜の心臓が高鳴った。
「あなた、芽衣ちゃんが間違って水かけたのを怒って、暴力、ふるったんだって？ 芽衣ちゃん、泣いてたわよ。幼馴染としてだまってらんない」
「……あなたがそう聞いてるんなら、そうなんじゃない？」
花奈の髪がふわっと浮き上がったように見えた。
「……こっちみなさいよ、竜胆！」
竜胆は、ふう、とため息をつき、箸を置いた。ゆっくり顔をあげて、冷めた視線を花奈たちにむける。
「……用件は？」
「あたしと勝負しなさい。今日の体育、あたしのクラスと合同で水泳だから、自由練習の時間に、高飛び込みで。あたしが勝ったら、クラス全員がみてるまえで、芽衣ちゃんに謝りなさい」
「……あ、あの……」
たまらず、冬夜が口をはさむ。
「あれは、川森さんが、梧桐院さんにわざと水を……」
「だまってて！」
花奈と竜胆が同時に声を出す。
はい、と小さくつぶやき、冬夜はくちをつぐんだ。
「……採点はどうするの。それに、わたしが勝ってもメリットがない。勝負する理由もない」
「負けたら、次の選手権、あたし、辞退する」
花奈が言うと、えっ、と、芽衣が声をだした。
「えっ、そんな、だめだよ、そんな、あたしのために……」
「だまってて！」
今度は、花奈がひとりで声を出した。
芽衣は下を向いた。
「そろそろ、はっきりしたいと思ってたの。あたしたちは同じ学校、同じチームだけど、仲間じゃない。ぜんいん、互いに、ライバル。そのことを、そこの子分連れの女帝さまに教えてやりたいの」
ぶわっ、と、竜胆の身体から闘気がわきたったのが、冬夜にははっきりと見えた。
立ち上がり、花奈たちの方に向き直る。
「……わかった、受けて立つ。そのかわり、ジャッジは冬夜くんと芽衣のふたりにお願いする」
えっ、という顔をする、冬夜と芽衣。
「ふん。いいわよ……芽衣、手抜いたら、怒るからね」
「……う、うん、わか、った……」
「そっちの、飼い犬くん。飛び込み競技、わかるの？ 忖度、しないでね？」
花奈が嘲笑《わら》う。竜胆が踏み出そうとする。冬夜はその腕をつかんで、振り返った竜胆に、くびを振った。花奈のほうを向いて、すこしためらってから、眉をそばだたせる。
「……ちいさいころから、梧桐院さんの競技、みてたから。ジャッジは絶対、手を抜かない。それに……」
声が震えているのだが、それでも冬夜は竜胆をみて、すこしだけ、片目をそばめた。
もしかすると、ウィンクのつもりかもしれない。
「りん……梧桐院さんは、そんなことをしなくても、絶対に、負けない！」
