「あ、おはよう。すいちゃん」
廊下には、昨晩、わたしを案内した男でも、他の全く知らない人間でもなく、文庫本片手に柱に背を預けて胡坐をかく芹がいた。
制服姿だった昨日とは違って、私服だ。
白いシャツに、黒のズボンという何ともシンプルな服装だけれども、何処となく洗練されている感じを受け取ったのは、芹自身の容姿の美しさによるものなのだと思う。
「……おはよう、ございます」
「眠れた?」
「は、い。少しは」
「嘘吐かなくていいよ。眠れてないって顔してる」
芹が文庫本に栞を挟み、立ちあがる。
なんとなく、昨日の印象では本を読む人だとは思わなかったから、少し驚いた。
「……いつから、そこにいたんですか?」
「一時間ほど前? のぞいたりしてないからね。そういう趣味はないから」
「それは、……ありがとうございます」
「いいえ? 一緒に朝食でもどうかなと思って」
心許なさは、呼吸するたびに募っていく。
だけど、そんなわたしを見下ろして、芹がきれいに笑うものだから、不安を表情に出すわけにはいかなかった。
お腹はまったくすいていない。
いつも、わたしたちは、朝食は珈琲一杯で済ませてしまう。わたしたちというのは、わたしと月臣。
「ついてきて」
何も言わないわたしに、芹が手を差し出してくる。
その手はとらずに、わたしは自力で立ち上がって、頷いた。