「取返しがつかないことにならなかっただけよかった」
彼が、慣れた手つきでわたしの手首を拘束していたロープを解く。
自由になった手で、制服の乱れを急いで直した。
「すい、とか、言ったな」
「は、い」
「こうなった経緯を説明しろ。できる限りでいい」
「……わたしも、あんまり、分かっていない、です。殴られて、気絶している間に、ここに連れてこられました。彼らとは、知り合いじゃないです。誰かと、取引をしているようなことを、言ってました」
「どこを殴られた」
思いがけない質問が飛んできて、今、重要なことは絶対にそれじゃないはず、と思いながらも、「鳩尾です」と正直に答える。
「まだ痛むのか」
首を横に振れば、「そうか」とその話はあっさりと片付いた。
「取引とやらについては、何か知ってるのか」
「山城組、と、その若頭が、どうこう、みたいなことを、言ってた気がします。わたしが、何らかのターゲットだったみたいです。何のかは分かりません。……山城組が何なのかも、……分かりません」
「なぜ、お前が狙われた?」
「……分かりません」
「何か、予兆みたいなものは」
「……分かりません」
「分からない、ばっかりだな」
「……本当に、分からない、から」
彼は、革靴のつま先のところに付着した血をハンカチで拭って、汚れたそれをゴミのように床に捨てた。
それから、また立ち上がり、倒れている男たちの身体を調べ、それぞれのスマートフォン等を回収してから、わたしの元へ戻ってくる。
見上げたら、月光の差し込む格子窓に顔を向け、目を細めているところだった。
美しい男は、それだけで、映画のワンシーンのような光景を生みだしてしまうらしい。
彼が、僅かに乱れた前髪を払って、煩わしそうにため息を吐くと、夜の光が髪の表面を流れた。
「すい」
流れるように視線はわたしに向かい、冷たい目で見下ろされる。
頷くと、彼はわたしに向かって手を差し伸べてきた。
おずおずとその手に自分の手を重れば、力強く引っ張られ、立たされる。
「ついてこい」
冷たい瞳をしているのに、触れた掌は思いのほか熱くて、重なった手は、立った瞬間に離れていったけれど、その熱の余韻だけはしばらく残った。