涙を流したのは本当に久し振りだった。離婚の時も泣かなかった私が最後に泣いたのは、受験に失敗した時だ。

 渋谷君と同じ都内有数の進学校に通っていた私は大学でマーケティングを学びたくて上智や立教の経営学部を目標に頑張っていたが、力及ばず全滅。自分の限界を知り、悔しさのあまり涙した。

 あの時とは違う、これは安堵の涙だった。

「我慢のし過ぎは良くないって俺に教えてくれたのは春日さんなのに、こんなになるまで我慢するなんて‥‥子供の話がそんなに軽くないのは俺にだってわかるけど、だからこそ春日さんがひとりで抱え込むべき問題じゃないと思う。子供を産めないことで春日さんが引け目を感じる必要なんて絶対ないんだからね?」

 結婚してからというもの、私は子供ができないことでずっと責められ続けていた。妊娠しないことで自分が不完全な人間だと、長い時間をかけて刷り込まれていたのだ。

「もう我慢しなくていい、今までの分も一杯泣いていいよ」

 その言葉に導かれるように声をあげて泣き始めた私を、渋谷君は優しく抱き締めた。

 ‥‥‥‥しばらくして泣き止んだ私は、渋谷君に抱き締められている現状の打開について考えていた。思いの外がっちりと抱き締められているようで、冷静になってみると少し息苦しいくらいだが、振りほどくわけにもいかない。

 そんな私の様子に気づいたのか、渋谷君が腕の力を緩めることなく口火を切る。

「ところで、俺の勘違いじゃなければいいんだけど‥‥春日さん‥‥もしかして俺のこと‥‥好きになってくれた?」

 嘘でしょ!?今この状態でそれを聞く!?

「やっぱりどう考えても俺との将来を考えたからこそ子供のことで悩んでくれたんだろうなって思えるし、俺の幸せを考えて身を引こうとしてたってのもそういうことかなって思えたんだけど‥‥違う?」

 そうだけど!そうなんだけど!散々泣いて絶対酷い顔になってるから顔をあげることができないんです!

「あー‥‥ごめん、そうだよね。まだそんな気分にはなれないよね‥‥?」

 渋谷君の腕の力が弱まるのを感じた。咄嗟にストールで顔を隠し、自分の気持ちを正直に打ち明ける。

「違う!違うの!好きです!私は渋谷君のことが好き!」

「本当に‥‥?」

 顔は隠したまま、何度も頷く。

「嬉しい‥‥」

 強い力で腕を下ろされる。目の前に迫りくる渋谷君の顔‥‥

「俺も、春日さんのことが大好き」

 恥ずかしいと感じる間もなく、私と渋谷君の唇が重なった。