最低な元カレにフラれたらイケメン医師に成長した幼馴染からの溺愛がはじまりました。

「ほんっとお前は使えねぇなぁ!」
アパートの一室に男性の怒号が響き渡って辻杏奈は身を縮めた。

「ご、ごめんなさい」
反射的にソファに座っている男の前でヒザをついて頭を下げる。

ここは杏奈が暮らすアパートの一室で、ソファに座っている男は杏奈の交際相手である青木晃司だった。

晃司はツンツンに立てた前髪と同じようなするどい目を杏奈へ向けている。
晃司との出会いはいまから半年前まで遡る。

当時杏奈は仕事仲間の飯田という女性に誘われて、ロックバンドの演奏を見に行った。

普段ロックなんて聞かない杏奈にとってはその世界がとても新鮮であり、そのバンドのギターを担当していたのが晃司だった。

晃司たちのグループはメジャーではないが、一定の人気があり、中でもギターの晃司が一番人気だった。

杏奈の好きな優しそうなタイプではないけれど、するどい目つきの奥に優しさが潜んでいる……ように、そのときは見えていた。
そのバンドを飯田さんから紹介されたあとは、あれよあれよという間に晃司との距離が縮まっていった。

何度かデートを重ねたときに『絶対デビューする』『そろそろ声をかけてもらえそうなんだ』

と、嬉しそうに夢を語る姿に胸がキュンとしたのも事実だった。
大学卒業後周りに流されるように就職した杏奈から見た晃司はキラキラと輝いていた。

……が。

今目の前にいる晃司は杏奈の入れたコーヒーが熱すぎたという理由で不機嫌になり、持ち前の吊り目を更に釣り上げて怒鳴っていた。

床に膝をついた杏奈は顔をあげることができずに、そのままうつむき続けている。

「お前さぁ、それでもバンドマンの嫁になる気があるわけ? バンドマンって、お前が思ってるよりもずっと繊細なわけ。わかる?」

「はい、わかります」
杏奈は小刻みに震えながら返事をする。
「わかってんなら最初っからやれよな!」
更に大きな声で怒鳴られて杏奈の体がビクリと跳ねた。

ここまで怒鳴っておいて手が出ないことが不思議なくらいだ。
杏奈の背中には緊張によってダラダラと汗が流れていく。

呼吸をすることも苦しいくらいの空間から、一刻も早く解放されたいと願うばかりだ。

「もういいや、お前全然使えねぇ」
ふぅと大きなため息が聞こえてきて杏奈はそろそろと顔を上げた。

こうして杏奈への文句を並べ立てた後に大きなため息を吐き出すのは、もう終わりという合図だった。

杏奈はすぐにコーヒーを入れ直すために立ち上がる。
普段はこれですべてが終わるはずだった。

晃司が怒鳴り、杏奈が謝って言うとおりにさえ、していれば。
だけど今日は違った。
「もういいって言ってんだろ」

立ち上がってコーヒーカップを手に持った杏奈へ向けて晃司が言った。

「え?」
疑問を顔に出して聞き直すと、晃司がソファから立ち上がった。

ベルトにつけている何本ものチェーンがジャラリと音を立てる。
「分かれよ。お前、何度言っても通じねぇじゃん」

呆れ声で言われても杏奈はすぐに反応できなかった。
まさか晃司から別れを切り出されるとは思っていなかった。
晃司のような人間は自分にとって都合のいい人間を、常にそばに置いておくものだと思っていたから。

つまり、自分は都合のいい人間にはなれなかった。
ということなのかもしれない。

「なに? なにか文句あるわけ?」
なにも言わずに立ち尽くす杏奈へ向けて、有無も言わさない威圧的な言葉が投げられる。

杏奈はすでに条件反射のようにうつむいて「なにも、ないです」と、蚊の鳴くような声で返事をしたのだった。
☆☆☆

とてもいい天気だったので今日は会社のビルの屋上でお弁当を広げていた。
屋上の広いスペースでバドミントンをしている女性社員の姿も見える。

みんな思い思いの昼休憩を楽しんでいる中、杏奈は飯田へことの顛末を話したところだった。

「そっかぁ。別れちゃったのか」
残念そうな声。

だけどどこかホッとしたように聞こえてくるのは、晃司のよくない噂を耳にしているせいかもしれない。

そもそもあのバンドを紹介してくれたのは飯田だから、メンバーの噂話しくらい知っていてもおかしくはないのだし。

「でも、ちょっとスッキリした気分かも」
晃司と出会って半年、付き合って4ヶ月。