「おねがい! 話を聞いて……っ」
とうとう,エヴィーが自分の魔法を惜しみ無く使って足場を作り,上がってくる。
私のたつ場所と,暮らす家と,同じ高さまで。
腰の辺りまでの壁を間にはさませると,エヴィーはそこで立ち止まった。
「この間は,ごめんなさい。悪い魔女を倒せと言われていたのに,それがエルさんの事だなんて思いもしなかったの」
そうでしょうね,と。
偽物でなかった期間に思う。
もし偽物であったとしても,弟子をやっていたら分かるはずなのだ。
たとえ4人だとしても,私には敵わないこと。
「国に,戻ろうエルさん。王様との話し合いだって手伝うし,私だってエルさんの事を守れると思うの。それから,エルさんの手を借りたいことも」
「帰って」
必死に,言い募っているのは分かっていた。
けれど到底受け入れられず,私はすげなく断る。
聞くだけ無駄だと思った。
何も知らないエヴィーが,可哀想にすら思える。
昔の自分のように,都合よく利用されている。
「エヴィー。"森の魔女"を名乗ったのは,私が先なの。どうして魔導師でも魔法使いでもなく"魔女"を選んだのだと思う?」
エヴィーは小さく声をあげて,分かりやすく戸惑った。
(それはね,私が明確に。城を,国を,王家を……敵と見なしたからなのよ)
きっと,エヴィーは知らない物語。
「古の魔女と言う存在を題材にした,絵本があるの」
エヴィーがはっと息を呑む。
本の中で,魔女は得体の知れない,人間とは全く違う別の生き物で。
人間を惹き付ける魅惑の塊で。
魅力的な彼女がしたことと言えば,自分を,愛した人を守ろうとしただけで。
人を殺したことなど無く。
ただの1人の少女だったけれど。
悪い女として,奪われた。
それは魔法に関するからと,ハリーが王家からこっそり持ってきた絵本。
当時は2人して違和感を覚え,同情したものだけど。
王家にのみ残る絵本は,当然と言うべきか普通の絵本とは違うものだったと後から知った。
「その絵本はね,実際に起こったことを都合よく解釈して記録するためのものだったの」
その事実を知ったのは,本当にたまたまだった。
囚われた親族達を助けようと城に侵入し,遅かったと絶望した私は。
無事に森へ帰るために,精神を落ち着けようと図書室のような場所に隠れた。
ハリーの見せてくれた絵本を見つけ,同じくらい古い本が並んでいるのを見つけ。
懐かしさに救いや癒しを求めて,手にとって読んでみた,ただそれだけなのだ。
認識の偏りがある文章を読み解くのはエネルギーのいる作業だったけれど,大まかな内容を知るには十分だ。
私は残虐な国の歴史を知ってしまった。
魔女は同年代の男を好いていて,男が魔女の出身を知らないことを除けば,概ね良好で満更でもない関係だったらしい。
そうして逢瀬を重ねるうちに,魔女の純粋さを目の当たりにする周囲は密かに応援する空気となる。
中でも2人の入店を受け入れるbarの店主は,最初から2人を微笑ましく思っていたという。
ある日,度々訪れる魔女の存在が受け入れられつつある状況に,国の上層部で会議が開かれた。
当時の会議で,魔女の排除はすんなりと決まってしまった。
そうしてbarにやって来たのが,酔った男だ。
彼は兵士の中で有志として選ばれた,魔女を怒らせるための囮。
民意を傾けるわけには行かないと,魔女自身に排除される理由を作らせようとしたのだ。
しかし寛容な魔女は何を言っても怒らなかった。
寧ろ痺れを切らしたボーイフレンドが立ち上がり,兵士に掴みかかると,抵抗した兵士によって一般市民のはずの彼は殴られてしまう。
それを見た魔女が怒り周囲を発火させてしまったために,卑劣な作戦は概ね滞りなく進んでしまった。
直ぐに待ち構えていた兵士達がやって来て,魔女は言い訳をする間も無く武器を向けられた。
謝ったり弁解したり店の炎上を止めようと動く魔女を,兵士は市民に見えないよう取り囲んだ。
魔女の素直さや直ぐに立て直そうとする機転の早さ,そして何より魔法の威力は,国の誰の想像をも越えていた。
そこで兵士が思い付いたのが,噎せながらbarを脱出した男を人質にすることだった。
男はきつく捕らえられ,詰められた魔女は抵抗する選択肢を失った。
魔女も男も捕らわれて,魔女は国を燃やす尽くす悪役として新聞を飾った。
魔女は男と隔離され,しばらく外の状況など分からなかった。
そしてふいをついて抜け出した魔女は,目には目をと王を脅すことになる。
王を後ろから捕らえて,魔女は言った。
『もう二度と,こんな国には来ない! だから,彼を解放して。家に,返してあげて』
魔女の癖にとんだ茶番だと笑われながら,魔女は繰り返し求めたたけれど。
耳を貸すものなどいなかった。
脅しでないと伝えるために,開いた窓から見えた森の一部を燃やした。
ようやく危機感を抱いた兵士の1人は,魔女の望む男を引きずって王の場所へ戻ってくると
『王と交換だ』
横柄な態度で魔女に応じる。
魔女はつんと力強く,果敢にはねのけた。
『馬鹿言わないで。ここにいるのは一国の王よ。殺すことなど容易いのだから,黙って彼を離しなさい。話はそれからよ』
魔女はまさか,一国の王を一介の兵士が見捨てるなんてたとえ星がひっくり返ってもありえないと思っていた。
そんな魔女を,兵士が鼻で笑ったのだ。
『王の代わりは別にいるが,魔女にとってのこいつは他にはいない。最悪どちらも死ぬだけだ。それでいいのか? ……分かったら抵抗するな』
男の呻き声を聞いて,魔女は動くことなど出来なくなった。
人質が人質として機能しないのなら,こんなことなんの意味もないと諦めてしまった。
純粋で可哀想な魔女は,自分の命以上を要求される。
『魔女の村はどこにある? 国のそばにいるからこんなことになるのだ。場所さえ教えて立ち退けば,この国はもう2度と干渉しないと誓おう』
魔女の村と男。
2つを盾にされて魔女は,その言葉を信じた。
涙ながらに答えて,結果村は全焼。
けれど,魔女がその事実を知ることはない。
魔女は男の目の前で,兵士によってその命を散らした。
男は,魔女を愛していた。
魔女だと知ってなお,その後の奮闘を見て気持ちを変えることなどありはしなかった。
捕まった後ですらずっと抵抗を続けていた彼は,魔女の死後も捕らえ続けられ。
挙げ句の果てに,処刑された。
魔女を嘲笑い村を燃やした兵士は,王を危険にさらしたことを謝罪すると共に自信があったと告げることで心象をよくしようと画策し。
勇敢なる兵士への褒美として,王女と時期国王の座を手にすることが出来た。
「それが,本当の出来事。本当は静かに帰ろうと思っていたけど,それを読んでやめたわ。魔女に倣って,私も王に直接逢うことにしたの」
『ハリーが私を殺そうとするのを許すのはなぜ? 王であるあなたの許可が無ければ,こんなことにはならないでしょう。違う?』
王は私の問いに何一つ答えなかった。
その代わりに,私は魔女の名前を借りて置いていったのだ。
もっと上手く交渉する術を持っていれば。
けれど虚勢を張り王に喧嘩を売ることが,ただの小娘でしかない私に出来る精一杯だった。
『森の魔女,アリエル·アーシアは,絶対にあなた達には屈しない。その気になったら滅ぼしてやるから,今に見てなさい』
魔女の存在そのものが,哀れな私のようで。
重ねてしまった。
魔法と言う素晴らしい文化を形成していたのに,遅れていただけの王家に潰された。
そう思えば,怒りすら沸いてくるようだった。
失われた文化に敬意を払うために,私は魔女を名乗ることにしたのだ。
「でも不思議ね。ただの同情だったのに。他者から久々にそう呼ばれると,本当に自分が魔女なのかもしれないと思えてくるわ」
魔女とは,得体の知れない生物などではなく,当時の先進的な人間を指す。
魔力量が高く,魔法知識も多い。
魔力量·好奇心·探求心,そして身に降りかかり続ける災い。
どれをとっても,末裔だと言われたところで驚かない。
「エヴィー。私はね,なにもしていないのよ。本当に。でも気味の悪い人は,話を聞かないから力を持つの。秩序も倫理も無視してしまうから無敵なの。今さら話し合うことなんてない。私はただ,反撃を繰り返すだけ」
平穏に,たった独り生きていられれば良かっただけ。
唯一,売られた先で犯した殺人を,公正な手続きに乗っ取って裁いてくれると言うなら,自ら出頭しただろう。
けれどここ迄出来てしまって,これ以上償うことがあるかと言われれば分からない。
何故私が自ら向かい,許しを乞わなければいけない?
敵意を向けたのはあちらなのに,エヴィーの中継ぎを,何故私が,弁明をチャンスのように思わなくてはいけないの?
奪われた権利を取り戻すことも,一つの身体には重すぎたこの数年の罪を償うことも。
最早誰にも出来ないというのに。
全ての感情を溶け合わせ,弱火でコトコトと煮込んでいた透明の鍋が。
もうすぐ沸騰するのが分かる。
自分と同じように,絵本を読んで魔女に肩入れしていたハリーだけは,歴代の王とは違うと思いたかったのに。
自分は姿を現しもしないで,暗殺者ばかりを送り続けてくる。
気が触れそうな中,いいえ,とっくに気が触れてしまった今。
(常人のフリをして生活するので精一杯よ)
「でも,エルさん……私達が守るわ。魔女を倒すために集められたパーティーだけど。魔女はいない。ならもう関係ないもの。反抗して,逃げて。それじゃだめなの?」
(エヴィー,あなたは何も分かってない)
エヴィーの師匠をする傍らで私が何をしていたのか。