急に声をひそめられて、悪いことをしているみたいな気分になった。
 ドキドキする胸を両手で押さえて、シュゼットは硬直する。

(唇に、ダーエ先生の、指が!)

 触れられた部分が、火でも付いているように熱い。

 男性に触れられるのが苦手なシュゼットだが、エリックの指は平気だった。
 恥ずかしいけれど、急に終わらせられたらそれはそれで残念な気がする。

 複雑な気持ちに引っ張られて百面相するシュゼットは、エリックの笑いをさそった。

「すまない。そんなに動揺されるとは」

 指が離れて、唇が涼しくなる。

「あ……」

 名残惜しく指を目で追うと、エリックに眉を下げられてしまった。

「そんな顔をしないでくれ。苦しくなる」

 エリックは、ソファに立てかけていた鞄から手のひらサイズの細長い箱を取り出した。
 箱にはピンク色のリボンがかけてある。

「これを君に」
「私に、ですか?」

 手渡されたシュゼットは、エリックに勧められてリボンを解いた。

 蓋を開くと、中には万年筆が納められていた。
 軸は淡いピンク色で、大理石のようなマーブル模様。キャップやクリップには金が使われていて上品なデザインだ。

「可愛いですね。本当にいただいてもよろしいんですか?」
「もちろん。いつも俺が持ち歩いている物の色違いなんだ」

 エリックはベストの胸ポケットに入れた万年筆を見せてくれた。
 碧色の軸は大理石のようなマーブル模様で、キャップは金色。金髪と碧眼を持つ彼によく似合っていた。

「これで俺への手紙を書いてほしい。できたら、またこの喫茶店で落ち合えないだろうか。君と、もっと話がしたいんだ」

 エリックの方から逢いたいと言ってもらえて、シュゼットは嬉しくなった。

(でも……)

 若葉が芽を出すように、ためらいが浮かび上がってくる。

 シュゼットがひんぱんに宮殿を出るのは難しい。
 今日も仮病を使ってしまったが、あまりにも病欠が多いとメグが心配するだろうし、王妃教育の教授たちから医者に連絡が行くだろう。

(これ以上、逢ってはいけません。同じくらいもっと逢いたいです……)

 本音と現実の間でぐるぐるする。
 どちらに従うべきなのか分からなくて沈黙するシュゼットを、エリックは碧の瞳でじっと見つめてくる。

「シシィ?」

 呼ばれてはっとした。

(そうでした)

 エリックが逢いたがっているのは、宮廷録を探す約束をしたシシィなのだ。
 彼に平気で嘘をついている、卑怯者のシュゼットではない。

 このまま逢い続ければ、きっと彼を傷つける。

「……次はいつ来られるか分かりませんが、それでもよろしければ」

 シュゼットは、王妃として磨いた愛想笑いでそう答えた。
 エリックの方は残念そうな顔で、「楽しみにしている」と社交辞令を返してくれた。