✳︎✳︎✳︎綟side✳︎✳︎✳︎



「婚約するのはわかった。……けど、姉さんはそれでいいの?」
「いいのって……どうして?」

 夕夜との婚約が決まった綟は、まずはじめに一番歳の近い弟、紡葉に話した。紡葉は綟の自慢の弟だ。紘杜や絺雪の世話をしてくれる紡葉に、綟は深く感謝している。
 いつもは架瑚と夕夜と共に屋敷で過ごしているのだが、今日は真菰家に帰ってきた。久しぶりの再会に喜びを感じるものの、紡葉の不安げな顔を見ると素直に表情に出せない。

「別に、美琴様が嫌いとか、そういうことじゃないんだろうけど……やっぱり自分の好きな人と結婚するべきだよ」
「美琴様はとてもお優しい方よ?」
「そうじゃなくて……」

 紡葉はうまく伝えられないことに悩む。

「……あのさ、美琴様のことを姉さんは好きなの?」
「そう言われると難しいわね。恋愛感情でないのは確かね。けれど、嫌っているわけでもないの」
「普通ってこと?」
「まあ、そうなるわね」

 紡葉はまた「うーん……」と悩む。

「好きな人と結婚できたらそれが一番いいのはわかる?」
「そうね」
「でも中には家と家の関係を強めるため、地位を高めるために嫁ぐ人もいる」
「えぇ。半分くらいはそうじゃないかしら」

 結婚というのはそんなものだ。駆け落ちする人もいるらしいが……それほどの想いを寄せる相手は綟にはいない。

「でも姉さんはそういう結婚をしなくてもいい人だ」
「……何が言いたいの?」
「利害の一致で結婚するのはやめてほしい」
「私は美琴様との結婚を嫌がっているわけじゃ……」
「それでも!!」

 紡葉は珍しく大きな声を出した。

「っ、それでも、姉さんには他に選択肢があるだろ……っ」
「紡葉……」

 紡葉は家族思いの子だ。自分を犠牲にしても家族を守ろうとする、優しい子だ。それは綟も同じ。
 紡葉は綟が自分たちを守るために夕夜と婚約したのだと思っている。利害の一致による婚約、と聞けばそう捉えてもおかしくはない。綟もそれをわかっていて、誤解を解こうとしている。

「……ごめん、もう寝る」
「ううん。……おやすみ紡葉」
「うん、おやすみ姉さん」

 紡葉が自室に戻ったのを確認すると、綟は深いため息を吐いた。

『っ、それでも、姉さんには他に選択肢があるだろ……っ』
「……そうね。私はとても恵まれている」

 紡葉たちを守るために婚約した。それを全面否定することはできない。少なからず、それも要因だったから。

『別に、美琴様が嫌いとか、そういうことじゃないんだろうけど……やっぱり自分の好きな人と結婚するべきだよ』
「好きな人と、か……」

 綟は、夕夜に対して恋愛感情を抱いていない。それは、将来的に結婚する上で良くないことなのだろうか。

「……私も寝よ」

 綟は答えが出せないまま眠りについた。



「あ〜〜っ! この人が夕夜の婚約者!?」
「!?」

 今日は夕夜の家族と顔合わせをするために美琴家にやって来た……のだが、美琴家に入って早々、見知らぬ誰かに綟は会った。

夕莉(ゆうり)! すまない真菰。愚妹の夕莉だ」
「夕夜ひどくない!? 愚妹って何よ!?」
「そのままの意味だ」
「はあぁ〜〜っ!? 可愛い妹に対してそれはないよ!!」
「自分で可愛いって言うな」

 夕莉はふわふわとした髪にセーラー服姿の少女だ。見た目はすごく可愛らしいのだが……口が、その、まあ、そういうわけで。残念美少女と言われるタイプの人間である。
 夕莉はくるりと綟を向くと、先程の夕夜への態度を一変させ、興奮気味に話した。

「てか、めっちゃ美人じゃんっ!! 真菰さん、だっけ? こんな夕夜と婚約していいの? 美人なんだからもっと夕夜よりもまともな人と結婚しなよー」
「夕莉、兄に向かってそれはなんだ」
「事実だも〜ん。さっきのお返しだよーだ! ね、私とお話ししよ!」
「えっ、えっと……」
「決まり! こっちだよ!」
「えっ……!?」
「おい、夕莉!!」

 綟は夕莉に引っ張られ、屋敷を走った。

「ちょっ、あの、私……」
「いいからいいから〜」

 全く良くない。

「えっと、夕莉、ちゃん?」
「うん! 私は夕莉! 真菰さんは……えっと……」
「綟です。真菰綟です」
「綟! 素敵な名前! 綟姉さんでいい?」
「っ、はい。構いません」
「やったぁっ!」

 可愛い人だな、と綟は思った。
 それにしても広い屋敷だ。夕莉は一番奥の部屋に辿り着くと綟を入れて勢いよくふすまを閉じた。
 そんなに夕夜が嫌いなのか?と思わせるほどだった。

「綟姉さんは夕夜のこと好きなの?」
「えっ……!?」

 突然の質問に綟はうろたえる。キラキラとした目で見られ、返答に困っていると、夕莉は少し違う話をしてくれた。

「夕夜さ、ひどいんだよ。綟姉さんのこと全然教えてくれないのっ! ね、ひどいでしょ?」
「……き、きっと私に配慮してくれたんだと思います」
「あ、そっか! 初めて会う人が自分のことめっちゃ知ってたらびっくりするよね! 納得した!」

 前にあったんだ〜、と夕莉が言った。同じようなことをしたのか、または、されたのかもしれない。不思議な子だ。
 明るく、元気に振る舞っているが、どこか本来の自分を隠しているような。そのように綟は感じた。

「夕莉ちゃんは美琴様のこと、好きなんですね」
「え!? なんで??」

 夕莉はとても驚いた。

「だって、美琴様と話している時すごく楽しそうなんだもの」
「えー、うっそぉ。でも、綟姉さんが言うならそうなんだろうね」

 やけにあっさり受け入れる。

「夕莉ちゃん」
「ん? なぁに?」
「私たち、初対面ですよね?」
「そーだけど?」
「どうしてそんなに信頼してくれているんですか?」

 兄の婚約者というだけでそこまで信頼するものだろうか。綟は疑問に思った。

「うーん……、夕夜が選んだ人だからってのもあるけど……やっぱり勘、かな」
「勘……?」
「うん。私、その人のことを見れば大体のことはわかるの。どういう人で、何が得意で、何を考えているか。……まあわからないやつもいるけど」

 直感的なものらしい。

「綟姉さんのこと、当ててあげようか。お人好しで、自分よりも他人を大事にする人でしょ。よく言われない? あと、結構思ったより強いね」
「!」

 そのほかにも「誰とでも話せる」「自分よりも年下と接するのが上手い」「身分重視」など、言い当ててみせた。

「どう? あってるでしょ」
「……どうしてわかるんですか?」
「むふふんっ。その人の仕草とか言葉でわかるんだ。綟姉さんは私と話すの苦じゃなさそうだし、私に引っ張られた時、夕夜のこと気にしてたからね。あとは私の名前の呼び方気にしてた時悩んでたでしょ、様付けするかで。でも私は綟姉さんより歳上じゃないし気にしなさそうだったからちゃん付けなんだよね。あとは話してれば誰にでもわかるよ」

 すごい観察力だ。
 少しの間でこんなにも綟のことを見抜いたのは夕莉が初めてだ。

「で、どうなの? 夕夜のことは」
「え、えっと……」
「あっ。夕夜のこと嫌いだったらすぐに教えてね。夕夜の妹だからって気にしちゃだめだめ。私は綟姉さんの方が好きだから」

 兄よりも未来の義姉を味方するのか?
 夕夜がいたらそう言いそうだと綟は思った。

「……私、は」

 夕夜のことを好いてもいなければ嫌ってもいない。普通、よりは上だが……なかなか難しいものである。

「…………美琴様のことを尊敬しております」
「どのへんを?」
「一つ一つ丁寧に教えてくださるところや、全体を見て動けるところなど、様々です。若の従者仲間として尊敬してます」
「ふうん……。じゃあ、綟姉さんの好きな男のタイプって何?」
「え!? そ、そうですね、うーん……」

 優しい人。思いやりのある人。努力家。
 思いつくものは全て当てはまっている。
 だか、恋愛感情の「好き」とはまた違う気がするのだ。特別クラスの前に所属していたクラスの同級生によると、一緒にいるとドキドキする相手なら「好き」なのだと言う。
 別にドキドキしないし、これは「好き」ではないのだろうか。

「……じゃあ綟姉さんは夕夜を人として好きってこと? 恋愛感情抜きで」
「! そうですね。そうだと思います」
「そっか。でも、そういうのもいいね。何かすっごい大きいことがない限り、人間、嫌いにはならないじゃん? いい夫婦になれそうだね。人間の感情の中でもっとも罪で起伏が激しいのは愛だから」
「そうなのですか?」
「そりゃそうだよ。愛は実ればすぐに増殖するけど、その分一度欠ければドミノ倒しで崩れるの。だから友達でいる方が幸せだったりするかもね」

 自分が望んで結婚するのであれば、恋愛感情などなくてもいいのかもしれない。不満を抱いているわけでもなく、幸せを感じているのだから。

「ありがとうございます。夕莉ちゃん」
「こちらこそ! お話できて嬉しかった!」

 あ、と夕莉が言った。

「夕夜のこと美琴様って言うのやめた方がいいよ。ここにいるのはみんな美琴だからね」
「! そういえばそうでした」

 ここは美琴家なのだから。



「初めまして、真菰さん。夕夜の父、弦木です」
「夕夜の母、麗です」

 弦木は温厚な、麗は厳格な印象を受けた。
 弦木は架瑚の父、翁真の弟だ。
 現当主の翁真は威厳のある人だと噂があるが、弦木はその反対を行く人だ。麗の方が兄妹だと思ってしまう。
 ふわふわした家長とそれを支える厳しい妻。あまり見かけない組み合わせである。

「夕夜の婚約者になってくれてありがとうね、綟さん。ちゃんと夕夜から聞いていた通り、素直で誠実な女性だね」
「! ありがとう、ございます」

 まさかそんなふうに夕夜が綟のことを見ていたとは、初めて知った。婚約に反対している様子もない。

「綟さんは夕夜と利害の一致で婚約すると決めたと伺いましたが、それは本当ですか?」
「っ」

 麗の質問に綟は迷う。利害の一致で婚約を決めるのはやはり良くないことかと思ったのだ。だが、決めたのは綟だ。後悔も、妥協も、一切していない。

「はい。私は夕夜様と利害の一致で婚約することを決めました」

 ためらうことなど、一つもない。
 弦木と麗は互いに顔を見つめ合い、そして頷いた。

「これからも夕夜をよろしくね、綟さん」
「私たちは二人の婚約を認めます」
「!」

 こうして二人の婚約は決まったのだった。



「……真菰」
「なんでしょうか美琴様」

 家に帰る道中、綟は夕夜に送ってもらうことになった。

「……その真菰様っていうの、やめろ」
「えっ」
「ずっと歯痒かったんだ。周りの奴らは下の名前で敬称もつけずに呼んでるのに、婚約者の俺には名字で敬称ってのも変だろう?」
「ですが美琴様は……」
「ゆ、う、や」
「……夕夜、は私の先輩です」
「? 同い年だろう?」
「いえ、そっちではなくて、従者としてです。若に仕えている時間は圧倒的に上ですから」

 そこを気にしていたのか、と夕夜は初めて知った。綟がなかなか夕夜を「夕夜」と呼ばなかったのは身分だけではなかったのだ。

「……架瑚と一緒にいる時間が長いだけで、従者としての出来は真菰の方が成長速度が速い。気にするな」
「そうでしょうか……?」
「ああ」

 夕夜に言ってもらえると安心する。
 綟は嬉しさが込み上げるのを感じた。

「……あの、夕夜」
「なんだ?」
「私のことも、真菰ではなくて綟とお呼びください」
「……いいのか?」
「もちろんです」

 夕夜は少し躊躇う様子を見せるも綟の名を紡いだ。

「綟」
「っ……」

 夕夜に呼ばれると特別に感じるのはなぜだろう。綟には答えがわからない。

「これからもよろしくな、綟。従者としても、婚約者としても」
「はい。よろしくお願いします、夕夜」

 特別な想いを抱いているわけでも、
 親同士の許嫁でもない。
 二人には二人の形があり、
 信頼と利害で結ばれた婚約だ。
 決して悲しいものではない。
 これは二人が望み、手に入れた関係の形。

 二人が結婚するのは、この三年後の話。