学園王子の彗先輩に懐かれています



 ○プロローグ

『たった1人の人との出会いで、自分の人生がこんなにも変わってしまうなんて思ってなかった──』


 ○夜の9時。小さい定食屋の裏口・外

 
 母「なこーー! ついでに看板も下げてきてーー」
 奈子「はーい!」
 
 
 ゴミ袋を持ち、裏口から外に出る白井奈子。
 大きなゴミ箱にゴミを捨てて、店の前に出ていたスタンド看板を片付けようとしたとき、店の前にある公園のベンチで男の子が寝ていることに気づく。

 
 奈子(あんなところで寝てる……。高校生くらいだよね? 大丈夫かな?)

 
 寝ている男の子に気づいた若い男2人組が、男の子に近づいていく。


 奈子(ん……?)

 男1「おい。完全に寝てるぞ」
 男2「サイフどこだ。サイフ」
 奈子「!!」

 奈子(あの人たち、おサイフを盗む気だ! どうしよう!)


 周りを見渡すけれど、道にも公園にも人がいない。
 男たちが寝ている男の子のポケットを探ろうと手を伸ばした瞬間、奈子は店のスタンド看板の裏に隠れて大声を出した。


 奈子「ド、ドロボーーーーッ!!!」
 男1「!! やべっ」
 男2「行くぞっ」


 奈子の大声で、うっすらと目を開ける男の子。
 男2人組は慌てて走ってその場から逃げていく。
 足音が聞こえなくなってから、恐る恐る立ち上がる奈子。


 奈子(行った……?)


 公園のベンチを見ると、起き上がっていた男の子──宇月彗(うつき すい)と目が合う。
 フード付きのパーカーを着たラフな格好、サラサラの髪、整った綺麗な顔。
 特に驚いたり動揺した様子もなく、ボーーッと奈子を見ている。


 奈子(うわ……! とんでもないイケメンさんだった!)


 さっきの状況を説明するべきか悩んでいると、店から母の声が。
 

 母「なこーー! どうしたのーー?」
 奈子「あっ! なんでもないよ!」


 とりあえず彗に向かってペコッと軽く頭を下げて、スタンド看板を片付けて店に戻る奈子。
 彗は微動だにしないまま、ずっと奈子を目で追っていた。


 彗「…………」


 ○定食屋(奈子の母が経営)の中

 調理場には母と奈子の2人。
 カウンター席には常連のおじさん1人。小さいテーブル席には常連の夫婦が座っている。
 カウンター側を向いてお皿を洗っている奈子。


 奈子(あの人、起きてたからもう大丈夫だよね?)


 ガラガラ……
 ゆっくりとお店のドアが開く。


 母「あっ。ごめんなさい。今日はもう閉店なん……」
 奈子「……!」


 入口に立っていたのは、先ほどの男の子、彗。
 背が高くモデルのようなイケメンを前に、母も常連のお客さんたちもみんな見惚れて動きが止まっている。


 奈子(あの人だ。なんで……)


 彗は、奈子に気づくなりスタスタとカウンターの前に歩いてくる。
 常連さんやカウンターの中にいる母と奈子は、ポカンとしながら彗を見つめる。
 明るく近いところで見ると、彗の美麗すぎる顔がよりハッキリと見えた。


 彗「さっき……なんでドロボーって叫んだの?」
 奈子「え……あの、男の人たちがあなたのおサイフを盗もうとしてたから……」
 母「えっ!?」
 常連「盗まれたんか!?」


 彗はまったく焦る様子もなく、パーカーのポケットに両手を入れた。


 彗「サイフ持ってないから大丈夫」

 みんな(えっ? サイフ持ってないの?)


 一瞬みんなの時が止まり、遠慮がちに母が確認する。
 

 母「スマホとか、他の荷物は……?」
 彗「スマホも持ってない」

 みんな(えっ? スマホも持ってない?)


 さらにみんながコメントに困ったとき、彗のお腹がぐるるるるーー……っと鳴った。
 恥ずかしがる素振りもなく、彗がボソッと呟く。


 彗「……腹減った」

 奈子(この人……もしかして)
 みんな(お金がない人!?)


 見た目はキラキラでお金に困ってなさそうなだけに、サイフもスマホも持っていないというギャップにみんな驚く。
 母は、そんな彗を見てうーーんと悩んだあとに叫んだ。


 母「うん! わかった! お腹すかせた子をこのまま帰せないわ! 何か作るから、座って」
 奈子「お母さん!?」


 母の提案を素直に受け入れ、無表情のまま奈子の前に座る彗。
 常連さんたちも少し同情するような目を彗に向けている。


 母「そうは言っても、ここであなたにだけ無料で提供したら他のお客様に申し訳ないから、私じゃなくて奈子が作ったものでもいい?」
 奈子「えっ!?」


 すぐにコクッと無言で頷く彗。
 ジッとまっすぐに奈子を見つめる。


 奈子「お母さん!」
 母「仕方ないでしょ。お友達に作ってあげるつもりで作ってあげて。お願い奈子!」
 奈子「でも……」


 チラッと常連さんを見ると、みんなウンウンと頷いていた。母と同意見のようだ。
 それに、奈子もお腹を空かせた彗に同情していた。


 奈子(もーー……しょうがないな)

 奈子「オムライスでいい?」
 母「ありがとう! なこーーっ」


 母が奈子を後ろから抱きしめる。
 奈子がコンロの前に移動すると、彗がボソッと尋ねた。

 
 彗「……ネコって名前なの?」

 奈子(え?)


 彗の質問を聞いて、母や常連さんたちがあははっと吹き出す。
 奈子はまたか……と呆れ顔になった。


 母「それ、他の人にも言われたことあるのよ〜。私の滑舌が悪いみたいで、ネコって聞こえちゃうときがあるみたい」
 奈子「ネコじゃなくて、奈子です」
 常連「俺にも時々ネコって聞こえるよ」
 奈子「奈子です」
 彗「ネコじゃないの?」
 奈子「奈子です」

 奈子(もーー。猫っ毛なの気にしてるのに、名前まで猫って言われたくないよ)

 
 口を尖らせて適当にあしらいながら、手際良くオムライスを作っていく。
 ほんの数分で作ったオムライスを彗の前にそっと差し出す。

 
 奈子「お待たせしました」
 彗「…………」


 想像以上に綺麗な出来のオムライスを見て、少しだけ目を見開いて驚く彗。


 常連「奈子ちゃんは料理上手だから、安心して食べなよ。イケメンさん」
 彗「……すごいな。ネコちゃん」
 奈子「!? だからネコじゃなくて奈子ですってば」
 常連「あははっ。もうネコちゃんでいいんじゃないか?」
 奈子「嫌ですよっ」
 彗「なんで?」


 そう聞いた後に、初めて笑顔になる彗。カウンターから上目遣いで奈子を見つめる。


 彗「可愛いじゃん。ネコちゃんて」

 奈子(!?)


 あまりの輝くイケメンぶりに、奈子だけでなくみんな顔が赤くなる。
 彗は、そんなみんなの反応には我関せずでオムライスを食べ始めた。


 彗「……うま」
 奈子「そ、そうですか」


 やけに照れくさくなり、奈子は洗い物を再開した。
 母や常連さんはニコニコと嬉しそうに彗を眺めている。


 彗「ごちそうさまでした」

 
 綺麗に完食した彗は、丁寧にお辞儀をして店から出て行った。


 母「モデルみたいな子だったわね!」
 常連「アイドルかと思ったよ」
 常連2「本当に綺麗な顔した子だったねぇ」

 
 彗がいなくなったあと、母や常連さんたちはわいわい盛り上がっている。
 

 奈子(なんか……不思議な人だったなぁ)


 ベンチで寝ていた姿や笑った顔を思い浮かべる。


 奈子(ああいうのを魔性の人っていうのかな? もう私と関わることはないと思うけど……)


 閉店前の片付けをしている奈子に気づき、母が声をかける。


 母「奈子。お手伝いありがとう。明日から学校でしょ。もう大丈夫よ」
 常連「おっ。明日から奈子ちゃんも高校生か」
 母「今日が入学式だったのよ」
 常連「おめでとう、奈子ちゃん。高校生活がんばれよ」
 奈子「うん。ありがとう」


 エプロンを壁にかけて、裏の階段から2階に上がる。
 お店の2階が奈子と母親が2人で暮らしている家。


 ○奈子の部屋

 部屋にかけてある制服を見て、思わず笑顔になる奈子。


 奈子「ふふっ。高校生活、楽しみだなぁ」


 オシャレに制服を着こなし、放課後は友達と一緒に買い物行ったりご飯を食べに行ったりカラオケに行ったりして遊んで、恋やオシャレの話で盛り上がる。
 そんな憧れの高校生活を、奈子は夢見ていた。


 奈子(友達もたくさん作って、楽しい学校生活が送れるといいな)


 明日からの生活に期待で胸をワクワクさせる奈子。


 ○次の日の朝。学校の校門前。

 中学からの友達、小林瑠美が奈子を見つけて笑顔で駆け寄ってくる。


 瑠美「奈子〜! おはよ〜」
 奈子「おはよう、瑠美」


 瑠美と腕を組みながら、校門から校舎までの道を歩く。
 新生活にワクワクしているのか、朝からやけにテンションが高い瑠美。


 瑠美「ほんと奈子と同じクラスでよかった〜」
 奈子「ね〜」
 瑠美「あっ。そういえば、昨日先輩から聞いたんだけど、この学校って王子が3人いるんだって!」
 奈子「王子?」


 キョトンとする奈子に、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら得意げに話す瑠美。


 瑠美「みんな、顔が超絶イケメンで家もお金持ちなんだって!」
 奈子「へぇ〜」
 瑠美「ファンクラブがあるくらい人気らしいよ」
 奈子「ファンクラブ!?」


 奈子の頭の中に、ウチワを持ってキャーキャー言っている女子集団が浮かぶ。


 奈子(普通の高校でもそんなのあるんだ……)

 瑠美「人気3位の先輩はね、通称『ストイック王子』!」
 奈子「ストイ……?」
 瑠美「陸上とバスケを掛け持ちしてて、ものすごい運動神経がいいんだって! どちらも手を抜かずに真剣にやってて、女の子に興味を示さずただただ自分を鍛えることだけ考えてる、クールなストイック王子!!」


 目をキラキラさせながら興奮気味に話す瑠美を、少し引いた目で見守る奈子。


 瑠美「人気2位の先輩は、通称『スマイル王子』!」
 奈子「スマイル……」
 瑠美「まるで現役アイドルのように、笑顔を振りまく爽やかで優しい人! 近づきにくいストイック王子と違って、スマイル王子は声がかけやすいから人気も高い!!」
 奈子「へぇ〜」


 奈子の横から目の前に移動した瑠美は、人差し指をピンと立てた。


 瑠美「そして、人気第1位の先輩は、通称『アンニュイ王子』!!」
 奈子「なんて?」
 瑠美「いつもボーーっとしたマイペースな王子だけど、その見た目の麗しさはレベル違い!! 遠くからそっと見つめていたい王子No.1で、女子たちの中で勝手に話しかけたらいけないっていう暗黙のルールがあるくらい崇拝されているんだって!」

 奈子(……すごいな)
 ドン引き状態の奈子。

 瑠美「しかも、この3人は親友らしいの! そんな素敵すぎる3人組いる!? すごいよね!」
 奈子「う、うん」
 瑠美「ああ〜〜早くその王子様たちを見てみたいなぁ〜」


 期待に胸を膨らませている瑠美を、生温かい目で見つめる奈子。


 奈子(ファンクラブとかいろいろめんどくさそうだし、私は特に王子たちの話題には触れないようにしよう)


 そのとき、校門のほうからキャーーッという女子の悲鳴が聞こえた。
 芸能人でもいたのかと思うほどの歓声に驚いて、振り向く奈子と瑠美。
 校門近くには、3人の男を囲って女子の団体が一斉にこちらに向かって歩いてきていた。


 瑠美「ちょ、ちょっと、あれ、もしかして……!」
 奈子「…………」


 王子かもと期待して、赤い顔で目を見開いている瑠美。
 女子に囲われている男3人は、どの人も高身長でスタイルが良く、遠目でもかなりのイケメンなのがわかった。
 周りがキラキラと輝いているオーラが見える。
 奈子は、その中心人物を見て目を丸くした。


 奈子(あの人は……もしかして……)


 その人は昨夜の彗だった。バチッと目が合う。
 無表情で周りの女子なんて見えていないような顔をしていた彗は、奈子の前でピタッと立ち止まった。
 突然止まった彗にみんなの視線が向く中、彗が口を開いた。


 彗「……ネコだ」
 奈子「!!」


 ニコッと小さく笑った彗の反応を見て、周りにいた女子と他の2人の男子が奈子に注目した。
 もちろん女子からの視線は『誰、あんた!?』というような、迫力のある視線だ。
 刺々しい視線に晒されて、真っ青になる奈子。


 奈子(あれ……? 私の高校生活、もしかして前途多難……?)


 ○朝。学校の校門から校舎までの道の途中

 奈子の前には昨夜の男の子、彗。その少し後ろに、王子2人とそれを囲っているたくさんの女子。
 王子2人からは興味深そうな視線、女子たちからは恨みの視線、隣にいる瑠美からは羨望の眼差しを向けられている奈子。


 彗「……ネコだ」
 嬉しそうにクスッと笑う。

 全員「!!」


 笑った彗を見て、王子2人と女子たちが衝撃を受ける。
 瑠美はあまりの尊さにほぼ意識を失っている。
 奈子はそんな眩しい笑顔よりも、周りからの視線が怖くて怯えていた。


 奈子(も、もしかして……この人が噂の王子!?)


 頭の中で、さっき瑠美から受けた説明を思い出す。

 
 奈子(『ストイック王子』……違う!『スマイル王子』……違う! ということは……『アンニュイ王子』!?)
 

 空想の瑠美「いつもボーーっとしたマイペースな王子だけど、その見た目の麗しさはレベル違い!!」


 奈子(当てはまる! って、待って。たしか……)


 空想の瑠美「遠くからそっと見つめていたい王子No.1で、女子たちの中で勝手に話しかけたらいけないっていう暗黙のルールがあるくらい崇拝されているんだって!」


 瑠美の説明を完全に思い出し、さらに顔が青くなる。
 周りにいる女子を恐る恐る見ると、みんな敵意むき出しの顔で奈子を見ていた。


 奈子(私からは話しかけてないけど、これって絶対ダメなやつだよね!?)


 周りにピリピリとした空気が流れていることに気づいていない彗は、一歩前に出て奈子に近づいた。
 そして、奈子の薄茶色のふわふわな猫っ毛に優しく触れて、顔を近づけてくる。


 彗「ネコ、この高校だったんだ?」
 奈子「…………」
 あまりの近さに硬直。

 ストイック王子「彗が……」
 スマイル王子「女の子に話しかけた!?」
 女子の集団「ぎゃああああーー」(阿鼻叫喚)


 外にいた女子だけでなく、校舎の中から王子たちの登校を見守っていた女子たちも全員叫ぶ、カオスな空間。
 迷惑そうに顔を歪めて周りを振り返る彗。


 彗「……うるさいな」

 奈子(今のうちにっ)
 ダッと校舎に向かって走り出す。

 彗「あっ……」
 瑠美「奈子!?」
 彗「…………」
 走っていく奈子の後ろ姿を見つめる。


 奈子がいなくなった途端、スマイル王子──草藦湊斗(そうま みなと)とストイック王子──音石律之進(おといし りつのしん)が彗の肩に腕を回す。

 
 彗「!」

 
 湊斗は穏やかそうな顔でいつもニコニコしている人当たりの良い見た目。そしてイケメン。
 律之進はスポーツマンっぽい短髪で、目つきが悪く怖がられやすい見た目。そしてイケメン。
 

 湊斗「ちょっと、彗! 誰? あの子」
 律之進「知り合いか?」
 彗「まあ」
 湊斗「本当に? 思いっきり彗から逃げてたじゃん」
 彗「…………」


 ムスッと不機嫌そうな顔をする彗を見て、めずらしい反応に驚く(おもしろがる)湊斗と律之進。
 彼女ではないみたいだけど、いまいちどんな関係かわからずモヤモヤした顔で彗を見つめるファンの女子たち。


 ○教室(奈子のクラス)

 席に着いていた奈子のところへ、興奮した瑠美がやってくる。


 瑠美「奈子!! さっきのどういうこと!?」
 奈子「……え?」
 瑠美「彗先輩のことだよっ! あの人が1番人気の彗先輩だと思う! 知り合いだったの!?」

 奈子(あの人、彗って名前なんだ)

 奈子「知り合いじゃないよ。お店に……」


 そこまで言ってハッとする。
 ここで自分の家の定食屋に彗先輩が来たと言ったなら、そのファンが店に押しかけてくるかもしれない。
 お客さんとしてならいいけど、店の前で待ち伏せされたりするのは困ると考える奈子。


 奈子「えーーと、前にちょっと会ったことがあるだけ」
 瑠美「ネコって言ってたのはなんなの?」
 奈子「私の名前を聞き間違えて、ネコって覚えてるみたい」
 瑠美「じゃあ、知り合いってほどじゃ……」
 奈子「ないない! ただの顔見知りだよ」
 瑠美「なーーんだ」


 ガッカリと肩を落とす瑠美。
 前の席の子がまだ来ていないのをいいことに、勝手に椅子に座っている。


 瑠美「でもさ、本当にかっこよかったよね! 3人とも!」


 落ち込んだはずの瑠美は、また瞳を輝かせて話し出した。


 瑠美「王子様って言われてるだけあるよね。みんなキラキラしてて、アイドルみたいだった……!」
 奈子「まあ……たしかに」

 奈子(ファンクラブがあるのも納得……)

 瑠美「あんな風に話しかけてきてくれるなら、仲良くなれるんじゃないかな?」
 奈子「え……」

 奈子(彗先輩と仲良く?)


 顔を近づけて「ネコ」って呼ばれたのを思い出しドキッとすると同時に、ものすごい目で睨んできた女子たちを思い出しゾッとする。
 奈子の中で、『王子と仲良くなる<<<<平穏な高校生活』の図が出来上がる。


 奈子(ないないない!! あの人には近づいちゃダメだ!!)
 首をフルフル横に振りながら、心の中で決意する。

 奈子(私は友達をたくさん作って、楽しい高校生活を送りたいんだから! できるだけ関わらないようにしよう!)


 ──と思っていたのに。


 ○夜。奈子の母の定食屋。

 いつものように店のお手伝いをしていた奈子は、入口に立っている男3人を見て呆然とした。
 そこには、学校の王子様3人が立っていた。


 奈子「…………」
 湊斗「こんにちは! ネコちゃん!」
 彗「空いてるとこ、座っていい?」
 律之進「…………」
 
 奈子(なんで、この人たちがここに……!?)


 昨夜もカウンターに座っていた常連さん(おじさん)と、昨日はいなかった常連さん(おばさん)が目をチカチカさせてイケメン3人組を見ている。
 同じくあまりのイケメンぶりに目を眩ませていた母が、ハッとして会話に入ってくる。


 母「あっ、どうぞ! 好きなところに座って!」
 湊斗「じゃあ、ここでいっか〜」


 3人席に大人しく座る王子3人。
 普通の小さな定食屋さんに似つかわしくない光景で、現状がまだ把握できていない奈子はポカンとしたままだ。


 奈子(……すごい。この3人がいるだけで、オシャレなカフェに見える……!)


 メニューを見ていた彗が、顔を上げて奈子を手招きする。
 戸惑いながらも席に向かう奈子。


 奈子「あの……」
 湊斗「俺、唐揚げ定食で!」
 奈子「え」
 律之進「生姜焼き定食大盛り」
 奈子「え、あの」

 奈子(えっ? 本当にお客さんとして来たの?)

 彗「俺、オムライス」
 
 奈子(また?)


 テーブルに肘をつき、頬杖をついて甘えるように奈子を見上げる彗。
 顔は無表情なのに、どこか気を許してくれているオーラを感じる。


 彗「ネコが作って」
 奈子「えっ?」


 奈子と同じように驚く湊斗たち。


 奈子「でも、今日はお母さんがちゃんと……」
 彗「ネコのオムライスが食べたい」

 奈子(ネコのオムライスって……)
 可愛い猫がオムライスを作っている姿を想像してしまう奈子。

 彗「だめ?」
 奈子「うっ」

 
 少し首を傾げて聞いてくる彗の破壊力にキューーンとする奈子。
 男としてではなく、捨てられた子犬に見つめられたときのような胸のときめきである。


 奈子「……私の作ったものでいいなら」
 彗「うん。ネコのがいい」
 奈子「…………」

 奈子(この人……天然のたらしだ……!)

 湊斗「何何〜? ネコちゃんのご飯、そんなに美味しいの? じゃあ俺のもネコちゃんが作ってよ」
 奈子「え……」
 彗「だめ」
 奈子・湊斗・律之進「!」
 彗「ネコは俺のだけ作って」
 奈子「…………はい」
 湊斗・律之進「…………」


 奈子が調理場に戻ったあと、ニヤけそうになるのをこらえた湊斗が小さい声で彗に尋ねる。


 湊斗「なんか……思ったよりも執着してる感じ?」
 彗「何が?」
 湊斗・律之進「…………」


 本気でわかっていない彗を見て、それ以上何も聞けなくなる2人。
 いろいろ察した湊斗は、呆れたようなため息をついた。


 湊斗「まあ、彗はあまり人と関わらない分、懐くと一気に距離感が近くなるからなぁ……」
 律之進「女相手だと危険だけどな」
 湊斗「でもあの子は彗から逃げてたくらいだし、大丈夫かもね。今も特にキャーキャー言ったりしなかったし」
 律之進「言うような女に彗は懐かないだろ」
 湊斗「たしかに」


 そんな2人の会話に入ることもなく、ジッと料理をしている奈子を見てる彗。


 ○定食屋の外。

 食事と会計を終え、外に出る3人と見送りをする奈子。


 湊斗「はーーっ、食った! ごちそうさまでした〜! 唐揚げほんとにうまかったよ」
 律之進「生姜焼きもうまかった」
 奈子「ありがとうございました」
 彗「また来る」

 
 そう言って、少し離れたところに停まっていた高級車に乗り込む3人。
 誰の家の車かわからないけれど、運転手らしき人が乗っていて改めて瑠美の言っていた『みんなお金持ち』という言葉に納得する。


 奈子(昨日はおサイフもスマホも持ってないって言ってたからお金がない学生なのかと思っちゃったけど、ただ何も持たずに外に出てただけだったみたいね。彗先輩っぽい……)


 店に入ると、母と昨日もいた常連さんがすぐに話しかけてくる。


 母「ねえ! あの子、昨日の子だよね? お金たくさん払ってたみたいだけど大丈夫なの?」
 奈子「あの人、昨日はたまたま何も持ってなかっただけみたい。昨日のオムライスの分も払ってくれたよ」
 常連男「なんだ。そうだったのか〜。それにしても、イケメンの友達はイケメンなんだな」
 常連女「本当に目の保養だったわ〜」

 奈子(あ。そういえば、学校では話しかけないでくださいって言うの忘れちゃったな。……まぁ、学年も違うし会わないように気をつければいっか)


 ○次の日。学校の廊下。

 移動教室のため、教科書を持って瑠美と歩いていた奈子。
 たまたま廊下を歩いていた王子3人組とバッタリ会う。


 湊斗「あっ、ネコちゃんだ〜! 昨日はどうもっ」
 律之進「移動教室か?」
 彗「……ノート落ちそうになってる」


 王子3人から声をかけられている奈子を、隣にいる瑠美は神を見るような目で見つめてきた。
 廊下にいる先輩女子や、教室から顔を出して王子を見ていた先輩女子たちは、昨日よりさらに激しい憎悪の目で奈子を見ている。


 奈子(あれ……? 私の高校生活、さらにピンチ……?)
 半泣き状態のまま固まる奈子。
  


 ○学校の廊下(2年生の教室がある階)休み時間。

 王子3人に話しかけられた奈子を、2年女子がジロジロ睨んでいる。


 奈子(ああ……っ! アンニュイ王子だけじゃなくて、スマイル王子とストイック王子のファンの方々にも睨まれている気がする……!)

 湊斗「もしかして次音楽室? さっきまで俺たち使ってたよ」
 奈子「…………」
 彗「ネコ?」

 奈子(ど、どうしよう! 会話していいのかな!?)


 ここでどう答えればいいのか迷っていると、ちょうどチャイムが鳴った。
 キーンコーンカーンコーン


 奈子(!! ナイスチャイム!!)

 奈子「あのっ、遅れちゃうので失礼します」
 

 王子3人と目を合わせないよう、ペコッとお辞儀してから横を通り過ぎる。
 そのまま小走りでその場から離れた。


 奈子(まさかいきなり会っちゃうなんて。敵が増えた気がするし、どうしよう!)


 まだ廊下にいた同じクラスの女子たちも、奈子や瑠美に続いて音楽室に入ってくる。
 教室とは違って音楽室は自由席なので、奈子は瑠美と並んで座った。
 あとから入ってきた女子3人が、どこに座るかとキョロキョロしていることに気づく奈子。


 女1「どうしよう。前しか空いてないよ」
 女2「前はやだよね」
 女3「どうする?」

 
 奈子の隣がちょうど3席空いている。席もわりと後ろのほうだ。


 奈子「こっち空いてるよ」
 女子たち「!」
 3人でコソコソと目を合わせている。

 奈子「?」
 女子たち「あっち行こ」
 奈子「!」


 女子3人は、奈子を無視して前の席に座った。
 チラッと奈子を見た女子たちの目には、恨めしい気持ちが入っていた気がする。


 奈子(え……?)

 瑠美「何あれ。せっかく奈子が親切に教えてあげたのに」
 奈子「…………」


 ムスッと唇を尖らせて怒る瑠美。
 奈子は、さっきの3人以外のクラスメイト(女子)からも冷たい目で見られていることに気づく。


 奈子「……あのさ、瑠美」
 瑠美「何?」
 奈子「1年生って、まだ王子のファンクラブとか入ってないよね?」
 瑠美「え? みんなもう入ってると思うよ」
 奈子「えっ!?」

 奈子(一昨日入学したばっかりなのに!?)

 瑠美「あ、そっか。昨日奈子は早く帰っちゃったもんね。実は、昨日の放課後に各ファンクラブの入会説明会があったんだよ」
 奈子「にゅ、入会説明会?」
 瑠美「そう。それぞれの王子の特徴やアルバムを1年生に見せて、誰のファンクラブに入るか決めるやつ」

 奈子(何それ!?)

 瑠美「もちろん入らなくてもいいんだけど、ほとんどの子が入ったって聞いたよ〜」
 奈子「瑠美は……?」
 瑠美「私はまだ入ってない。誰にするか決められなくて……って、それよりさっきのは何!? 彗先輩だけじゃなくて、湊斗先輩や律之進先輩とも知り合いなの!?」


 すでに授業は始まっているため、小声でコソコソと話しかけてくる瑠美。
 瑠美にだけはちゃんと説明したいところだけど、近くにいる他の女子も2人の会話に耳をすませていることに奈子は気づいていた。


 奈子(ここじゃ話せないよ)

 奈子「ごめん。あとで話すね」
 瑠美「うん? わかった」

 奈子(はぁ……。まさか、先輩たちだけじゃなくて同級生までもファンクラブに入っちゃってるなんて)


 みんなの顔を見る限り、奈子を敵視しているのは一目瞭然だ。
 

 奈子(まだ瑠美以外の友達、できてなかったのに……)


 前途多難すぎる自分の状況に、奈子はガックリと肩を落とした。


 ○女子更衣室。

 体育の授業のため、体操着に着替える奈子と瑠美。
 半袖を着たあとに長袖の体操着を探したが、見つからない。


 奈子「あれ? 長袖のジャージがない」
 瑠美「忘れた?」
 奈子「ううん。絶対にあるはず……なんだけど」
 瑠美「ごめん、奈子。一緒に探したいけど、私当番だから先に外行かなくちゃ」
 奈子「大丈夫だよ」
 瑠美「ごめんね! じゃあ先に行ってるね」
 奈子「うん」


 瑠美に笑顔で手を振り、再度ジャージを探す。


 奈子(おかしいなぁ……)


 奈子の様子を半笑い顔で見ていたクラスメイトの女子たちが、奈子に近づいてくる。


 女1「白井さんのジャージ、さっき女子トイレで見たよ」
 奈子「えっ?」

 奈子(女子トイレ?)

 奈子「なんでそんなところに……」
 女2「さあ。知らな〜い」
 女子たち、クスクスと嫌な笑いをしている。

 奈子「……教えてくれてありがとう」


 そう小さな声で言うなり、奈子は更衣室を出た。


 ○女子トイレ。洗面台の前。

 洗面台に置かれて、上から水を流されビシャビシャになった自分のジャージを発見する。
 たまたまトイレにいた他のクラスの女子たちは、そんな状態を見ても無視だ。
 ニヤッと笑ったりする子もいた。


 奈子(ひどい……。こんな嫌がらせをしてくるなんて……)


 今まで友達と揉めたことのない奈子は、初めての嫌がらせに涙目になる。
 水を止め、ジャージを絞るけど濡れすぎていてとても着れそうにない。
 4月とはいえ、今日は気温も低く長袖なしでは結構寒い。


 奈子(どうしよう……。半袖で行くしかないかな)
 ※真面目なのでサボるという考えはない。


 濡れたジャージを更衣室に干し、奈子は震える体を抱きしめるようにして昇降口に向かった。


 ○学校の廊下。


 奈子(うううっ! 寒いっ!!)


 生徒からこんな寒い日になぜ半袖? という目で見られながら、廊下を歩く奈子。
 もうすぐ昇降口に着くところで、後ろから声をかけられた。


 彗「……ネコ?」
 奈子「! ……す、彗先輩……」


 振り向くと、体操着姿の彗が。
 半袖の奈子を見て目を丸くしている。


 彗「……なんで半袖?」
 奈子「ちょ、ちょっと事情が……」
 寒くて口が震えているため、うまく喋れない。

 彗「寒くないの?」
 奈子「寒いです、けど大丈夫……です」
 彗「…………」


 バッと自分のジャージを脱いで半袖になる彗。


 奈子(えっ?)

 彗「ん」


 脱いだジャージを奈子に差し出してくる。


 彗「これ着て」
 奈子「ええっ? で、でも、そしたら彗先輩が……」
 彗「俺は保健室に行くからいい」
 奈子「! 体調が悪いんですか?」
 彗「いや。体育館に行く途中でめんどくさくなったから寝ようと思って」
 奈子「…………」
 彗「だからこれ着ていいよ」


 彗は奈子の手にジャージを押しつけてきた。
 迷いつつ、とりあえず受け取る。


 奈子「でも……」

 奈子(これを着たら、さらに女の子たちから嫌われちゃうんじゃ……)

 彗「大丈夫だよ。違う学年のジャージでも平気だから」
 体操着には、各学年ごとに色の違うラインが入っている。

 奈子(心配してるのはそこじゃないんです……!)

 奈子「えっと」
 彗「…………」
 バサッ
 奈子「!」


 迷っている奈子の手からジャージを取り、無理やり頭から被せる。


 彗「いいから早く着て。風邪ひく」
 奈子「…………」

 奈子(じ、自分のとは違う香りが!!)


 覚悟を決めて袖を通したけれど、背の高い彗のジャージはかなりブカブカだ。
 奈子がちゃんと着たのを確認して、彗はニコッと微笑む。


 奈子「!!」

 奈子(これ以上女の子たちに嫌われたくないけど、そのためにこんなに優しくしてくれる人の好意を無下にしたくない)

 奈子「ありがとうございます」
 彗「うん」
 奈子「洗って明日返しますね」
 彗「いいよ。今日の午後も使うから、終わったら保健室に持ってきて」
 奈子「わかりました」

 奈子(できるだけ汚さないようにしなくちゃ!)


 そこでチャイムがなり、慌てる奈子。
 

 奈子「あっ、あの、じゃあ失礼します!」


 バタバタと走っていく奈子の後ろ姿を見送ったあと、保健室に向かう彗。


 ○保健室

 サボり常習の彗が保健室に入ると、ぽっちゃりとした保健教諭が彗を見てギョッとした。


 先生「宇月くん、なんで半袖!?」
 彗「貸した」
 先生「今日は半袖じゃまだ寒いでしょ!」


 先生がブランケットを肩からかけてくれるのを、彗はボーーッとしながら受け入れている。


 先生「どうかしたの?」
 彗「んーー……なんかイラッとする」
 先生「私に!?」
 彗「違うよ」
 先生「?」


 保健室の窓から見える校庭を横目で見る彗。
 そこでは奈子のクラスの子たちが体育の授業をしていた。
 奈子と瑠美だけみんなの輪から少し離れたところにいるのが見える。


 彗「俺のネコに手を出してるのは誰だ……?」


 彗は、少しだけダークな顔でポソッと呟いた。
 


○校庭。

 体育の授業。
 準備運動をするために背の順で男女2列ずつに並んでいる。
 遅れてきた奈子に、女子たちの視線が集中する。

 2年生の色、青色のラインが入ったジャージ。
 胸元の名前には『宇月』と刺繍がバッチリ入っている。


 女子たち(彗先輩のジャージ!?!?)
 奈子(ううっ。すごい目で見られてる……!)


 ギロッと奈子を睨む子、ショックで青ざめる子と様々だが、瑠美だけはあいかわらず目を輝かせて奈子のジャージを見つめている。


 先生「遅いぞ、白井」
 奈子「すみません」
 先生「とりあえず1番後ろに並べ」


 先生の指示通り、奈子は女子の1番後ろに並んだ。
 奈子の前にいるクラスで1番大きい子の身長は168cm。奈子は155cm。
 ここに並ぶと、先生の姿がまったく見えなくなった。


 奈子(声もあんまり聞こえないなぁ)


 この授業で何をやるのかを説明しているらしいが、何を言っているのかまったくわからない。
 隙間から先生を見ようと体をピョコピョコ動かしていると、前の女子が突然ドンッと奈子の胸元を突き飛ばした。


 奈子(えっ)


 危うく尻もちをつきそうになったが、なんとか持ち前の運動神経と体幹の良さでこらえる。


 奈子(あぶないっ。彗先輩のジャージを汚しちゃうところだった)
 奈子(でも……もしかして、今わざと突き飛ばされた?)


 チラッとその女の子を見ると、「チッ」と舌打ちしていた。


 奈子(舌打ち! やっぱり!)
 奈子(この子、彗先輩のファンなのかな? 私が先輩のジャージを着てるの、嫌だよね?)


 自分の着ているブカブカのジャージを改めて見る。
 腕の長さも違いすぎて、ジャージから手が出てこない。


 奈子(うう……ごめんなさい。でも、授業をサボるわけにはいかないし)
 ※真面目

 奈子(今日だけは許してください)


 ○校庭から校舎へ向かう道。

 体育の授業が終わり、校舎へ向かう奈子と瑠美。
 クラスメイトの誰かに呼び止められるかと思ったけど、誰にも声をかけられなかった。


 奈子「はぁ……空気が重かった」
 瑠美「そりゃあ彗先輩のジャージ着てたらみんなビックリするよ! 貸してくれたの?」
 奈子「うん。偶然会って」
 瑠美「いいなぁ〜〜。……ちょっと触ってもいいかな?」
 奈子「え?」


 瑠美は、まるで高価な物に触るかのように指の先だけで優しくチョンと触った。


 瑠美「きゃあ〜〜っ! 触っちゃった! 彗先輩のジャージ!」
 奈子「あははっ。何その触り方」
 瑠美「だって〜〜」


 きゃっきゃと盛り上がる2人。
 みんなが奈子に冷たい視線を向ける中、瑠美だけはこうして変わらず接してくれていることを奈子は嬉しく思っていた。


 奈子(瑠美が友達でよかった)


 ○学校の廊下。

 上履きに履き替え、更衣室に向かおうとする瑠美に声をかける奈子。
 お昼休み中なのでそこまで急がなくても次の授業に遅れる心配はない。


 奈子「瑠美。私、このジャージを彗先輩に返してから更衣室行くね」
 瑠美「わかった〜」

 奈子(彗先輩、まだ保健室にいるかな?)

 女1「ちょっと!」
 奈子「!」


 名前は呼ばれてないけれど、なんとなく自分のことかと思った奈子は声のした後ろを振り返った。
 そこには、ジャージ姿のクラスメイト数人と2年の先輩数人が腕を組んで立っていた。


 奈子「…………」


 女の先輩の後ろに隠れてニヤニヤしているクラスメイトたち。
 彼女たちが先輩を呼んだこと、そして奈子の着ているジャージについて報告したんだと、奈子はすぐに察した。


 女1「ねえ、そのジャージ、彗くんのだよね?」
 奈子「…………はい」
 女2「なんであんたが着てるわけ?」
 奈子「……貸してくれて……」
 女3「なんでジャージを貸すってことになるんだよ」
 奈子「私のジャージが、濡れて着れなかったから……です」


 先輩たちの威圧あるオーラが怖くて、声が小さくなってしまう。
 お昼休みで外に出ようと昇降口付近に集まってきた人たちが、チラチラと奈子たちを遠目に見ている。


 女1「はあ!? 何それ。ジャージを借りたくて嘘ついたんじゃないの!?」
 女2「ああ。やりそう〜。彗くんに近づくために必死になってんの?」
 奈子「ち、違います」


 女子たちはジリジリと奈子との距離を縮めてくる。
 奈子も少しずつ後ろに下がっているけれど、足が震えているせいかあまり距離をあけることができない。


 奈子(こ……怖い……)


 奈子が彗のジャージをギュッと握りしめたとき、すぐ後ろにあった保健室のドアがガラッと開いた。
 中から半袖ジャージ姿の彗が出てくる。


 奈子(!!)
 女子たち「彗くんっ」
 女子たち「きゃあ〜〜っ」


 さっきまでとはコロッと変わり、顔を赤らめて彗を見つめる女子たち。
 彗はそんな女子たちを一通り見たあと、自分のすぐ近くに立っている奈子を見た。
 

 彗「…………」


 奈子の涙目に気づいた彗は、奈子を後ろから抱きしめる。


 奈子を含むその場にいる全員「!?」
 彗「……俺のネコをいじめたの、あんたたち?」
 女子たち「!!」

 奈子(俺の!?)

 女1「い、いじめてないわ。ちょっと話してただけで」
 女たち「そうそう」
 みんなコクコクと頷いている。


 話してはいけないとされている彗と話せた嬉しさと、その内容が自分たちの嫌がらせに関することで気まずいという複雑な感情の女子たち。
 奈子は後ろからハグされているという状況で頭が真っ白になっていた。


 彗「ふーーん。じゃあ、ネコのジャージを濡らしたヤツって誰?」
 女2「な、なんのこと?」
 彗「さっき聞こえた。ジャージ濡らされたからなかったって。誰がやったの?」


 女の先輩たちがチラッと1年生女子に視線を向ける。
 1年女子たちはみんな慌てて首を横に振った。


 女たち「私たちも知らないですっ!!」
 彗「ネコ。誰がやったの?」
 奈子「!」


 彗の質問が奈子に向いて、1年女子たちの顔色がさらに青くなる。
 誰がジャージにあんなことをしたのか奈子にはわからないけど、ここにいるクラスメイトが女子トイレに置いてあると教えてくれたことだけは覚えている。


 奈子(もしかして、この子たちが……?)


 奈子に『お願い言わないで』という目を向けているこの子たちが、おそらく犯人なのだろう。
 しかし実際にその現場を見たわけではないし、元々奈子は誰がやったとか彗に話すつもりはなかった。


 奈子「……わかりません」
 女子たち「!」


 1年女子たちが安心したようにパァッと顔を輝かせる。
 そんな様子を見て、彗の目がさらに細められた。


 彗「そっか。じゃあ仕方ないね。でも……」

 彗「俺のネコに何か嫌がらせや文句を言うヤツがいたら、俺……絶対に許さないから」
 奈子「!」
 女子たち「!!!」


 怒鳴るでも睨むでもなく、真顔のまま静かに呟いた彗の闇のオーラに、その場にいた女子たちが全員恐怖で硬直した。
 賑やかだった昇降口が、一気にシーーンと静まり返る。


 女たち「うっ……」


 目に涙を溜めた女子たちは、わああ〜〜と泣きながらその場を去っていった。
 後ろからハグされたままポツンと取り残される奈子と彗。


 奈子「彗先輩……いいんですか?」
 彗「何が?」
 奈子「ファンの子たち泣かしちゃって……」
 彗「知らない。ファンって言われてもあの子たちが勝手に作ってただけだし」
 奈子「…………」

 奈子(ファンクラブに本人は全然関わってないのか……)


 それより……と、奈子がポツリと呟く。
 

 奈子「あの、そろそろ離れてくれませんか?」
 彗「やだ」


 奈子の頭の上に顔を乗せて、いまだにくっついている彗。


 奈子「彗先輩……寒いだけですよね?」
 彗「うん」
 

 半袖の彗が、少しだけカタカタ震えていることに奈子は気づいていた。
 

 奈子(まったく……本人にとってはただのカイロ代わりだったとしても、先輩のファンにとっては衝撃の光景だって全然わかってないんだから)

 奈子(寒いからだって気づいたから今は平気でいられるけど、私だって最初はビックリしたし)


 私のことをネコって呼ぶくせに、気まぐれでマイペースなところは彗先輩のほうが猫みたいだ。
 奈子はクスッと笑いながら、彗先輩を見上げた。


 彗「……!」


 初めて奈子に笑いかけてもらった彗は、その笑顔を見て心臓が大きく跳ねたような気がしたけど……まだよくわかっていなかった。


 彗「……?」
 自分の胸に手をあてて「?」となる彗。
  


 ○学校。自分のクラス。

 奈子に近づいたりはしないけど、睨んだり聞こえるように悪口を言ってくることはなくなった女子たち。
 少し気まずそうにチラチラと奈子を見てくる。

 彗が「俺のネコに何か嫌がらせや文句を言うヤツがいたら、俺……絶対に許さないから」と言ったことはすぐに学校中に広まり、奈子を敵視してはいけないのだと判断されたらしい。


 瑠美「みんな、あからさまに態度が変わったね〜」
 奈子「う、うん」
 瑠美「まずは謝ってきなさいよって感じだけどね!」
 奈子「あはは……」


 奈子のジャージが水で濡らされて女子トイレにあったこと、彗のジャージを借りたことに文句を言ってきたこと、それを知った瑠美は不機嫌そうに言った。


 奈子(もう嫌がらせはされなそうだけど、仲良くもしてくれないみたいだな)


 友達をたくさん作りたいと思っていた奈子だけど、そこまでのショックはなかった。
 クラスメイトに嫌がらせをするような子たちと仲良くなりたいとも思わないし、何より自分には瑠美という素敵な友達がいると改めて思えたからだ。

 奈子は自分の席の前に座っている瑠美をチラッと見た。


 奈子(でも私には瑠美がいてくれるから大丈夫)
 ふふっと微笑む。

 瑠美「それにしても、私も彗先輩のかっこいいブチギレシーンを見たかったなぁ〜。一緒に保健室行けばよかった」
 
 奈子(ブチギレ!?)

 奈子「そんなキレてないよ。怒鳴ったりとかじゃないし」
 瑠美「でも、見てた子がすっごい迫力あったって言ってたよ」
 奈子「まあ迫力は……あったかもしれないけど……」


 奈子の机にやや乗り出し、奈子に顔を近づける瑠美。
 他の子には聞かれないように、さっきよりも小さい声で尋ねてきた。


 瑠美「彗先輩って、奈子のこと好きなのかな?」
 奈子「えっ!?」

 奈子(私を好き!?)

 奈子「ないないない!」
 瑠美「だって、好きでもない女の子のこと、そんな風に言ったりする?」

 奈子(それはたぶん、餌付けされたからじゃないかな……)


 奈子は初めて彗に会った日とこの前お店に来てくれたことを思い出す。
 お腹を空かせた彗にオムライスをあげたことで、自分と自分のオムライスを気に入ってもらえたらしいのだ。


 奈子「彗先輩は私のこと女としては見てないよ」

 奈子(さっきもカイロ扱いだったし)

 瑠美「え〜〜そうかな〜〜」


 あまり納得のいってなさそうな瑠美。
 そのときチャイムが鳴り、みんな自分の席に着く。


 奈子(あの彗先輩が私を好きだなんて、ありえないよ)


 ○奈子の母の定食屋。夕方。

 夕方から営業開始の定食屋(昼間は事前注文のお弁当販売のみ)
 オープンと同時に店にやってきた彗。


 母「いらっしゃ……あら?」
 彗「…………」


 まだ忙しい時間帯の前なので、店に出てきていなかった奈子。
 彗が来たことで母に呼ばれる。(2階にある自分の部屋にいた)


 母「なこーーっ! 来てーーっ」

 彗(……やっぱりネコって聞こえる)

 奈子「どうしたの?」
 階段を下りながら。

 母「彗くんが来てるのよ」
 奈子「えっ?」


 パタパタ……と急いで階段を下りて彗の前に出る奈子。
 彗はすでにカウンターに座っていた。


 奈子「彗先輩……」
 彗「ネコ。オムライス」
 奈子「! またですか? 2日連続で食べたのに……」
 彗「朝と昼は食べてない」
 奈子「そうですけど……」

 奈子(飽きないのかな?)


 驚く気持ちとともに、そこまで自分のオムライスを気に入ってくれたのかと嬉しくなる奈子。
 戸惑いながらもオムライスを作る。


 奈子「…………」
 彗「…………」


 調理している奈子をジッと見ている彗。
 奈子は彗に見えない場所で、オムライスにケチャップで『ありがとう』とメッセージを書いた。
 それを彗に差し出す。


 奈子「お待たせしました」
 彗「…………」
 オムライスを凝視。

 彗「……何これ」
 奈子「今日ジャージを貸してもらったお礼です」
 彗「お礼……」


 フッと笑う彗。
 その笑顔を間近で見て、ドキッとする奈子。


 彗「どういたしまして」


 少し微笑んだ顔で言われて、頬が赤らむ奈子。
 そのとき、お店のドアがガラガラッと開いて高校生の男の子が入ってきた。
 その男の子は、奈子と同じ中学の同級生だ。


 男「あ。奈子だ」
 奈子「ノブ!」
 彗「!」


 奈子に名前を呼ばれた男の子をジッと見る彗。
 そんな視線に気づいていないノブは、ニコニコしながらカウンターまで歩いてきた。


 ノブ「なんか俺の母ちゃんが昼に弁当頼んだらしくて、それを取りにきた。体調が悪くなって取りにこれなかったんだってさ」
 奈子「そうなんだ」


 裏に行っていた母が戻ってくる。


 母「あっ! ノブくん! 来てくれたんだね」
 ノブ「はい。昼に来れなくてすいません」
 母「いいのよ。お母さんの体調は大丈夫?」
 ノブ「はい。熱があるみたいで、この弁当は俺が食っていいって言ってました」


 ニカッと笑って嬉しそうにするノブ。
 そんなノブを見て、クスッと笑う奈子と母……を無表情(少し不機嫌そう)に見ている彗。


 母「ありがとう。お母さんによろしくね」
 ノブ「はい」
 お会計をしてノブにお弁当を渡す。


 ノブ「じゃあな。奈子」
 奈子「うん。バイバイ」


 ノブが店から出て行くのをカウンターの中から見送ったあと、ものすごくジトッとした目でこちらを見ている彗と目が合う。
 ギョッとする奈子。


 奈子(えっ? 何?)

 彗「今の誰?」
 奈子「同じ中学の友達……です」
 彗「名前で呼び合ってるの?」
 奈子「中学の子はだいたい……」
 彗「ふーーん」


 いつも通りの無表情だけど、どこかトゲがあるような言い方だ。
 奈子は不思議そうに彗を見つめた。


 奈子(どうしたんだろう?)

 奈子「そういえば、今日は早いですね」
 彗「……この前は律の部活が終わるのを待ってたから」
 奈子「そうだったんですね」
 彗「…………」


 ムスッとしながらも、彗はパクパクとオムライスを食べている。
 いつも通り綺麗に食べ終わった彗は、1000円札をカウンターに置いてガタッと立ち上がった。


 彗「ごちそうさま」
 奈子「あっ、お釣り!」
 彗「いらない」

 奈子(そういうわけには……!)


 スタスタと足早に出ていってしまった彗を見て、奈子はお金を掴んで急いであとを追いかけた。


 ○店の外


 奈子「彗先輩っ」


 少し先に行っていた彗に追いつき、その袖を引っ張る。
 彗はゆっくりと振り返った。


 彗「何?」
 奈子「お釣りです」
 彗「いらないってば」
 奈子「そういうわけにはいかないです」


 無理やり彗の手に小銭を握らせると、奈子はふぅ……と息を吐いた。


 奈子「……では、ありがとうございました」


 そう言って店に戻ろうとした奈子の腕を、彗がグッと掴む。


 奈子(え……?)

 彗「…………」
 奈子「彗先輩?」
 彗「……ごめん。俺、イライラしてた」
 奈子「?」


 彗はそう言うなり、奈子の腕を離した。
 不機嫌そうだったオーラは消えて、今は気まずそうな空気を感じる。


 奈子「何かあったんですか?」
 彗「……さっきの男がネコのこと『奈子』って呼んでたから、ちょっとイラッとした」
 奈子「ノブのことですか?」
 彗「うん」

 奈子(なんでそんなことでイラッとしたんだろう?)

 奈子「……じゃあ、先輩もネコじゃなくて奈子って呼びますか?」

 奈子(というか、私はずっと奈子ですって言ってるんだけど)


 あまり深く考えずに出した提案。
 彗は少し考えたあとに、真っ直ぐに奈子を見つめながら口を開いた。


 彗「……奈子」
 奈子「…………!」


 初めて彗から奈子と呼ばれ、心臓が驚くほど大きくドキッと跳ねる。
 同級生の男子からもずっと呼ばれ続けていた名前なのに、彗に呼ばれただけで心が乱されている。

 なぜか、名前を呼んだ彗のほうも少し驚いているように見えた。
 しばらく黙ったまま見つめ合う2人。


 母「なこーーっ? どこ行ったのーー?」


 店から母の叫ぶ声が聞こえて、ハッとする2人。


 奈子「あっ、あの、もう戻らなきゃ。しっ、失礼しますっ」


 赤い顔を隠すように、下を向いて走り出す奈子。
 その場にポツンと残された彗の頬も、赤くなっていた。
 ドキドキドキ……と鼓動も速くなっている。


 彗「……なんだこれ」


 戸惑った顔で、そうポツリと呟いた。
 

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