「今そういうのよせよ!とにかく沙奈を…っ」

幸い、1億なんて金はうちにとって用意するのは造作もないこと。

さっさと払って。そしたら沙奈は無事で帰ってくる。

ーー少し前に話題になった誘拐事件。

確か身代金と引き換えに人質は無事帰ってきた、と報道されていた。

もし犯人が一緒なら、身代金さえ払えば沙奈は無事に帰ってくる、と思ったのだ。

沙奈はきっとすぐに帰ってくる。

帰ってきた時。
こんなふうに亀裂が入った家族の姿を見せたくなくて、取り繕うのに僕は必死だった。

それから犯人からまた電話がかかってきて。

金の受け渡し場所と、時間を伝えてきた。

娘の安否が確認出来ない状況で、父も母も精神がかなり疲弊している様子だった為、僕が行こうかと提案したが、結局父が行くことになった。

「じゃあ、行ってくる」

約束の時間。

大金を詰め込んだバッグを片手にそう言って家を出ていった。

信じていた。

きっと30分後には、父に連れられ沙奈が家に帰ってくると。

でも、帰ってきたのは父だけだった。

「金は…?」

「置いてきた」

「じゃあなんで…」

犯人の要望通りの行動をした。

なのに、沙奈を返してくれない。

これじゃ取引になってないじゃないか……。

僕たちは一方的な犯人の指示で動かされただけ。

金など払ったところで犯人に沙奈を返すつもりは最初からなかったのかもしれない。

少し前にあった誘拐事件とは犯人が違っていたのかもしれない。

ありとあらゆる憶測が脳内を駆け巡った。

「もう、警察に連絡しましょう……」

疲れ果てたような母の声を僕は直ぐに「それはやめよう」と遮った。