その日のリセは、使い物にならなかった。

 何をしても、何を聞いても、全く頭に入ってこない。クルトの、あの言葉が頭にこびりついていて。
 そんなリセを気遣ってか、クルトも無闇に話しかけたりはしなかった。
 ただ二人、傍にいるだけ────



 帰りの馬車で、珍しくクルトが口を開いた。

「リセはどう思う」

 リセは、クルトの言葉で我に返った。顔を上げれば、彼の視線がリセを射抜く。

「ぼうっとしていて申し訳ありません……どう、とは?」
「俺との、婚約について」

 彼の口から、ずばり告げられた。
 セリオンの余計なお世話は大きな引き金となり、リセの『お世話役』という建前の立場にヒビを入れる。

「気づいているだろう。エスメラルダと俺が、リセを囲い込もうとしている事に」

『婚約』について、面と向かって意見を求められたのは初めてで。心臓が、固く跳ねた。

「リセ、俺と婚約しないか」
「私……」
「エスメラルダと、ディアマンテのためにも」

 クルトにまで、そう言われるなんて。
 なぜか胸がズキリと痛んだ。彼が自分に向ける感情は、決して国のためだけでは無いと分かっているはずなのに。

『望まれたら応じなさい。エスメラルダ王国のためにも』

 父の言葉が頭に響いて。彼との婚約が『国のため』だなんて、そんなこと……

 しかし、リセにはずっと何の縁談も無かった。
 これは待ちに待った縁談で、相手はあのクルトだ。素晴らしいお相手ではないか。なによりも、これは国と国とを結ぶ、この上無く大切な縁談だ。



「……謹んで、お受け致します」

 ディアマンテ王国王子であるクルトからの婚約申込みを、断るなどという選択肢はなかった。

 肩にのしかかる婚約の重みを感じながら、リセはただただ頭を下げたのだった。