『花咲さん……綺麗なお名前ですね』

 初めてここを訪れたとき、そう言って褒めてくれたのに、それ以来私も彼に名を呼ばれたことはほとんどない。
 “杷子”と、耳元で囁かれたらどんなに幸せだろう? 日々そんな妄想をしては悶絶している。

 ハイトーンピンクの和住さんが私に声をかけ、シャンプー台へと移動した。
 フルフラットに倒れる座席が心地よく、高級感あふれる空間だ。快永さん自身がシャンプーをしてくれたら飛び跳ねてよろこぶのに。
 トップスタイリストである彼にそこまでしてもらうなんて、贅沢極まりないとわかってはいるのだけれど。

 シャンプーとトリートメントを終えて座席に戻ると、快永さんはまた違う女性客の髪をブローしていた。
 和住さんが私の髪をブラシで梳いてからドライヤーを当てて軽く乾かしていると、しばらくして快永さんがこちらにやってきた。

「いい感じの色になったよ。春っぽくてかわいい」

 全体的に眺めながら合格だとばかりにウンウンとうなずく彼の姿が鏡越しに見えた。
 社交辞令だとわかっていても、かわいいという言葉を聞けば自動的に顔が熱くなってくる。
 
「ほら。どう?」

 落ち着いたオレンジブラウンに変化した私のサイドの髪を、彼がふわりと掬うように持ち上げる。

「さすが快永さんですね。素敵です」
「ありがとう。気に入ってもらえてよかった」

 彼はにこりと微笑み、染めたばかりの髪をブローし始めた。
 私にとっては至福の時間で、彼の長くて美しい指が耳に当たっただけでとろけそうになるくらいうれしい。