「十玖子さんを怒らせたくないって」

壱世の眉間にシワが寄る。

「なんだかんだで選挙でも世話になったから、少し頭が上がらないだけだ。弱点というほどではない」
口を尖らせて拗ねたように言う壱世に胡桃はクスッと笑う。

「十玖子さんを大事に思ってるのもわかりましたよ」
「え?」

「テーブルマナーで私の印象を悪くしたくないって、私のためでもあるし、嬉しそうな十玖子さんがガッカリするのも嫌なんだろうなって思いました。私のことも助けてくれようとしたし、優しいですね、壱世さん」

そう言って笑った胡桃を、壱世はしばらくジッと見た。

そして、頬を無言で〝ムニッ〟と引っ張るように緩くつねった。

「へ? 何するんですか!」

「いや、かわいいなと思って」

突然の『かわいい』に胡桃は一瞬で耳が熱くなり、顔が赤くなったのが自分でもわかった。

「な、何言って……って、かわいいと思ってつねるって何なんですか! 子どもじゃないんだから」

「キスしたら引っ(ぱた)かれるだろ?」
そう言って顔を近づける。
「当たり前じゃないですか! からかわないでください!」

慌てる胡桃を見た壱世は、「クックッ」と眉を下げておかしそうに笑った。
その楽しそうな表情に、胡桃の心臓がまた速いリズムを刻む。

「じゃ、じゃあ、えーっとひとまず本物の婚約者の方が戻ってくるまでは婚約者を続けさせていただきます」
胡桃は気を取り直すように前を向いて座り直した。

「よろしく」