星見の塔で特別な思い出を作ってからすぐの、春の日。
私はウィリアムの視察のお仕事に付き添い、王都に新しくオープンする予定のカフェを訪ねた。
「こ、このカフェを考案した人物は……天才か?」
私の婚約者、ウィリアムはそう仰り、切れ長の緑の瞳を輝かせている。
木製看板に飾り文字で記された店名は『LE CAFÉ DES CHATS』――猫カフェ、という。
外装は壁に猫の足跡マークが描かれた可愛い雰囲気のお店。
店内は広くて、なんと猫がいっぱいいる。放し飼い状態だ。
お店のお客さんは、普通のカフェと同じように、このカフェで軽食やお茶を楽しむことができる。
さらに、放し飼いの猫を鑑賞したり、触ったりもできる。餌を与えることもできるし、気に入った猫を家族に迎えることもできちゃう……という猫好きにはたまらないお店なのである!
しかも、このお店の店長さんは、有名な料理店で修業していたパティシエで、お菓子に自信ありという。……最高では?
「この白い毛並みの猫はメイメイに似てるなぁ!」
ウィリアムは一匹の白猫がお気に召されたご様子だ。
ソファの上に置かれた円形の猫用ベッドで丸くなる白猫は小さくて、店長のお兄さんによると「捨てられていた猫」らしい。
ウィリアムは猫ベッドの隣にそーっとそーっと座って、じーっと白猫を見ている。
「王太子殿下とシュアファルカ伯爵令嬢をおもてなしできて光栄でございます。このお店は、捨てられていた猫やワケアリで飼い主さんが手放すことになった猫を集めておりまして……」
店長のお兄さんはそう言って、香り高い紅茶を運んでくれた。
ソファの近くにあるテーブルの上に紅茶のカップとミルクポット、ぷるんとした苺のブランマンジェの皿が順に並ぶ。
アーモンドエッセンスで香り付けされた苺のブランマンジェは、赤と白のコントラストが鮮やかだ。味ももちろん甘くて美味しい! ぷるっぷるで、後味も爽やか!
「シュアファルカ伯爵令嬢が以前、学会に発表された魔法理論……料理業界でも食材を冷やしたり、冷菓のバリエーションが豊富になったりと、大いに恩恵を受けたんですよ。素晴らしい技術です」
「ふふっ、私の魔法理論でこんなにおいしいお菓子を作っていただけるなんて、研究した甲斐がありますね」
お菓子と紅茶に舌鼓を打っていると、ウィリアムはササッと侍従から書類を受け取り、サインを済ませた。
「営業を許可する。ぜひ頑張ってもらいたい。それと、アシュリー嬢の魔法理論については私も素晴らしいと思っているんだ」
あっ、目が据わっている。謎のスイッチが入ってしまっている気が。
「アシュリー嬢……私の婚約者の理論の素晴らしいところは、空気中の水分を利用するところと太陽の光を魔力変換するところ、そしてなにより、魔法使いだけではなく魔法が使用できない民でもその技術を活かせるようにと道具の形で魔法効果を再現できるという点だよね。そう、天才なのだアシュリー嬢……私の婚約者は。うん。実は私の婚約者なのだ。君はもちろん知っているね? 国民全員が知っていることだから、言うまでもないね。だが言いたくなるのが男心でもある。君はわかってくれるね。さて話を戻すが、食材や料理に活かすのはもちろんなのだが、それだけでこの技術は終わらない。考えてもみてくれ、これから暑い夏が来る。毎年、暑気のせいで体調を崩す者も多いだろう? そんな時にこの技術だ。例えば、携行して部分的に空気を冷却できる首飾りやマントができたら。あるいは、冬のシーズンにはその逆で部分的に空気を暖める道具を作るのだ。国家事業にする価値がある構想だと私は考えているわけで……アシュリー嬢……私の婚約者はまさに天使。地上の人々の暮らしを何倍も快適にするために天が遣わした特別な存在に違いない。かといって天に帰ってしまったら大変なので私はたまに心配になってしまうのだが……こんな男心を、君はわかってくれるだろう? そして、わかったならばもう私の目の前で彼女と親密に会話を弾ませたりしないだろうね? 彼女の話で盛り上がるなら、彼女とではなく私とするべきじゃないかな。ファン同士、というやつだ。やはり君も男性なので、私の婚約者とあまり楽しそうに話しこまれると私は心配になってしまう、という事情もある。それに、単純に私が同志と一緒に彼女の話で盛り上がりたいという気持ちもあるのだ。一石二鳥だね。きっと無限に話が楽しめるのではないかと……ああっ、猫が起きた。すまない、私がうるさくて起こしてしまったのだろうか」
どうやって息継ぎしているのかわからないくらい喋るウィリアムに、店長のお兄さんは「はい」とか「なるほど」とか相槌を打っている。
ちなみに最後の方で、白猫が起きてウィリアムの謎スイッチが切れてくれた。よかった。
「みゃぁん」
白猫は愛らしく鳴いてベッドから出てくる。
そして、ウィリアムの膝に前足を置いた。ぽふっと。
「っ……、可愛いなあ。メイメイを思い出すなあ」
「あまり思い出さないでください。ちょっと恥ずかしいです」
思えば、猫の姿で撫でまわされたり、顔をほおずりされたり、すーっと猫吸いされたり。
着替えを見てしまったり、ひとりごとや寝言をきいたり、寝顔を見たり。
猫で護衛していた頃の記憶は、絶妙に羞恥心とかイケナイことをしてしまった感覚をもたらすのだ。
「今度、また猫になってほしいな。それか、私を猫にしてほしい……あっ、二人で猫になって冒険するのはどうだい。夢が広がるなぁ」
「ま、前向きに検討します」
「楽しみが増えたね」
ウィリアムは白猫を抱っこして、よしよしとご機嫌で撫でた。
白猫は大人しくて、されるがままだ。人懐こい。
私もそーっと手を伸ばしてみたけど、真っ白な毛がふわっとして、触り心地が素晴らしい。
「わぁ、ふわっふわ。もふもふ……喜んでくれてるみたい」
やわらかで、あったかい。
ごろごろと喉を鳴らしていて、気持ちよさそうに目を細めていて、かわいーい!
「……この子、引き取って二人で飼おうか?」
ウィリアムが問いかけてくる。
「君がいやだったら、やめておくよ」
いやがることはしたくない――そんな気持ちが伝わってくる眼差しで、慎重に探るように言ってくるので、私はくすぐったい気分になった。
「私が一緒に名前を考えてもいいですか?」
「もちろんだ! 一緒に考えよう」
引き取ってもいいんだね、と喜ぶウィリアムの顔を見ていると私も嬉しくなってくる――この王太子殿下は、私を嬉しくさせる天才だ。
* * *
車窓の景色が、ゆっくり穏やかに後ろへと流れていく。
帰りの馬車の中、向かい合う席に座った私たちは、白猫が入った籠を膝に乗せて、名前を一緒に考えた。
「リア」
「シュリー」
「ムー」
「アリー」
お互いに考え付く名前は、相手の名前をもじったものばかり。
ウィリアムの緑の目が私を見て笑う。私も自然と笑みがこぼれた。
「ウィリアム。お城に帰ったら、猫といっぱい遊びましょうね。私、猫じゃらしをいただいてきました」
言葉が途切れたのは、彼が自然な仕草でこちらに上半身を寄せて、私の唇にキスを落としたから。
小鳥が挨拶するみたいな不意打ちのキスは一瞬で、どきりとした。
ウィリアムの大きな手が、私の右頬をそっと包み込むようにする。
そして、彼は私の左耳へと顔を寄せ、囁いた。
「三匹で城中を走り回ったら楽しいだろうなぁ」
この国の王太子殿下は真面目で、優秀で、人から批難されるようなことはしない。
でも今は悪戯っ子みたいな眼をしてる。
「お城が大混乱になりますよ」
「冗談だよ、ははっ」
甘えてるんだ。じゃれているんだ。
そう思うと、胸がきゅんとして、あたたかくなる。
「みゃーあ」
可愛らしく、無邪気に、猫が鳴く。
いたいけで小さく無垢な命を抱えながら、私たちはもう一度、どちらからともなく体温を寄せ合い、幸せなキスをした。
慈しみと情熱をやわらかに伝え合うキスは、恋人同士の特別感でじんわりと心を満たしてくれる。
ゆら、ゆら、揺れながら、時どき道路の小石を踏んでがたごと言いながら進む馬車の中。
二人と一匹の時間は、穏やかにゆったり、ゆっくり、過ぎていく。
Happy End!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
SSを読んでくださってありがとうございます。
4/22にこの作品のコミカライズ単話版が発売されます。
https://spira.jp/comic/1697/
よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ぺこり
朱音ゆうひより
私はウィリアムの視察のお仕事に付き添い、王都に新しくオープンする予定のカフェを訪ねた。
「こ、このカフェを考案した人物は……天才か?」
私の婚約者、ウィリアムはそう仰り、切れ長の緑の瞳を輝かせている。
木製看板に飾り文字で記された店名は『LE CAFÉ DES CHATS』――猫カフェ、という。
外装は壁に猫の足跡マークが描かれた可愛い雰囲気のお店。
店内は広くて、なんと猫がいっぱいいる。放し飼い状態だ。
お店のお客さんは、普通のカフェと同じように、このカフェで軽食やお茶を楽しむことができる。
さらに、放し飼いの猫を鑑賞したり、触ったりもできる。餌を与えることもできるし、気に入った猫を家族に迎えることもできちゃう……という猫好きにはたまらないお店なのである!
しかも、このお店の店長さんは、有名な料理店で修業していたパティシエで、お菓子に自信ありという。……最高では?
「この白い毛並みの猫はメイメイに似てるなぁ!」
ウィリアムは一匹の白猫がお気に召されたご様子だ。
ソファの上に置かれた円形の猫用ベッドで丸くなる白猫は小さくて、店長のお兄さんによると「捨てられていた猫」らしい。
ウィリアムは猫ベッドの隣にそーっとそーっと座って、じーっと白猫を見ている。
「王太子殿下とシュアファルカ伯爵令嬢をおもてなしできて光栄でございます。このお店は、捨てられていた猫やワケアリで飼い主さんが手放すことになった猫を集めておりまして……」
店長のお兄さんはそう言って、香り高い紅茶を運んでくれた。
ソファの近くにあるテーブルの上に紅茶のカップとミルクポット、ぷるんとした苺のブランマンジェの皿が順に並ぶ。
アーモンドエッセンスで香り付けされた苺のブランマンジェは、赤と白のコントラストが鮮やかだ。味ももちろん甘くて美味しい! ぷるっぷるで、後味も爽やか!
「シュアファルカ伯爵令嬢が以前、学会に発表された魔法理論……料理業界でも食材を冷やしたり、冷菓のバリエーションが豊富になったりと、大いに恩恵を受けたんですよ。素晴らしい技術です」
「ふふっ、私の魔法理論でこんなにおいしいお菓子を作っていただけるなんて、研究した甲斐がありますね」
お菓子と紅茶に舌鼓を打っていると、ウィリアムはササッと侍従から書類を受け取り、サインを済ませた。
「営業を許可する。ぜひ頑張ってもらいたい。それと、アシュリー嬢の魔法理論については私も素晴らしいと思っているんだ」
あっ、目が据わっている。謎のスイッチが入ってしまっている気が。
「アシュリー嬢……私の婚約者の理論の素晴らしいところは、空気中の水分を利用するところと太陽の光を魔力変換するところ、そしてなにより、魔法使いだけではなく魔法が使用できない民でもその技術を活かせるようにと道具の形で魔法効果を再現できるという点だよね。そう、天才なのだアシュリー嬢……私の婚約者は。うん。実は私の婚約者なのだ。君はもちろん知っているね? 国民全員が知っていることだから、言うまでもないね。だが言いたくなるのが男心でもある。君はわかってくれるね。さて話を戻すが、食材や料理に活かすのはもちろんなのだが、それだけでこの技術は終わらない。考えてもみてくれ、これから暑い夏が来る。毎年、暑気のせいで体調を崩す者も多いだろう? そんな時にこの技術だ。例えば、携行して部分的に空気を冷却できる首飾りやマントができたら。あるいは、冬のシーズンにはその逆で部分的に空気を暖める道具を作るのだ。国家事業にする価値がある構想だと私は考えているわけで……アシュリー嬢……私の婚約者はまさに天使。地上の人々の暮らしを何倍も快適にするために天が遣わした特別な存在に違いない。かといって天に帰ってしまったら大変なので私はたまに心配になってしまうのだが……こんな男心を、君はわかってくれるだろう? そして、わかったならばもう私の目の前で彼女と親密に会話を弾ませたりしないだろうね? 彼女の話で盛り上がるなら、彼女とではなく私とするべきじゃないかな。ファン同士、というやつだ。やはり君も男性なので、私の婚約者とあまり楽しそうに話しこまれると私は心配になってしまう、という事情もある。それに、単純に私が同志と一緒に彼女の話で盛り上がりたいという気持ちもあるのだ。一石二鳥だね。きっと無限に話が楽しめるのではないかと……ああっ、猫が起きた。すまない、私がうるさくて起こしてしまったのだろうか」
どうやって息継ぎしているのかわからないくらい喋るウィリアムに、店長のお兄さんは「はい」とか「なるほど」とか相槌を打っている。
ちなみに最後の方で、白猫が起きてウィリアムの謎スイッチが切れてくれた。よかった。
「みゃぁん」
白猫は愛らしく鳴いてベッドから出てくる。
そして、ウィリアムの膝に前足を置いた。ぽふっと。
「っ……、可愛いなあ。メイメイを思い出すなあ」
「あまり思い出さないでください。ちょっと恥ずかしいです」
思えば、猫の姿で撫でまわされたり、顔をほおずりされたり、すーっと猫吸いされたり。
着替えを見てしまったり、ひとりごとや寝言をきいたり、寝顔を見たり。
猫で護衛していた頃の記憶は、絶妙に羞恥心とかイケナイことをしてしまった感覚をもたらすのだ。
「今度、また猫になってほしいな。それか、私を猫にしてほしい……あっ、二人で猫になって冒険するのはどうだい。夢が広がるなぁ」
「ま、前向きに検討します」
「楽しみが増えたね」
ウィリアムは白猫を抱っこして、よしよしとご機嫌で撫でた。
白猫は大人しくて、されるがままだ。人懐こい。
私もそーっと手を伸ばしてみたけど、真っ白な毛がふわっとして、触り心地が素晴らしい。
「わぁ、ふわっふわ。もふもふ……喜んでくれてるみたい」
やわらかで、あったかい。
ごろごろと喉を鳴らしていて、気持ちよさそうに目を細めていて、かわいーい!
「……この子、引き取って二人で飼おうか?」
ウィリアムが問いかけてくる。
「君がいやだったら、やめておくよ」
いやがることはしたくない――そんな気持ちが伝わってくる眼差しで、慎重に探るように言ってくるので、私はくすぐったい気分になった。
「私が一緒に名前を考えてもいいですか?」
「もちろんだ! 一緒に考えよう」
引き取ってもいいんだね、と喜ぶウィリアムの顔を見ていると私も嬉しくなってくる――この王太子殿下は、私を嬉しくさせる天才だ。
* * *
車窓の景色が、ゆっくり穏やかに後ろへと流れていく。
帰りの馬車の中、向かい合う席に座った私たちは、白猫が入った籠を膝に乗せて、名前を一緒に考えた。
「リア」
「シュリー」
「ムー」
「アリー」
お互いに考え付く名前は、相手の名前をもじったものばかり。
ウィリアムの緑の目が私を見て笑う。私も自然と笑みがこぼれた。
「ウィリアム。お城に帰ったら、猫といっぱい遊びましょうね。私、猫じゃらしをいただいてきました」
言葉が途切れたのは、彼が自然な仕草でこちらに上半身を寄せて、私の唇にキスを落としたから。
小鳥が挨拶するみたいな不意打ちのキスは一瞬で、どきりとした。
ウィリアムの大きな手が、私の右頬をそっと包み込むようにする。
そして、彼は私の左耳へと顔を寄せ、囁いた。
「三匹で城中を走り回ったら楽しいだろうなぁ」
この国の王太子殿下は真面目で、優秀で、人から批難されるようなことはしない。
でも今は悪戯っ子みたいな眼をしてる。
「お城が大混乱になりますよ」
「冗談だよ、ははっ」
甘えてるんだ。じゃれているんだ。
そう思うと、胸がきゅんとして、あたたかくなる。
「みゃーあ」
可愛らしく、無邪気に、猫が鳴く。
いたいけで小さく無垢な命を抱えながら、私たちはもう一度、どちらからともなく体温を寄せ合い、幸せなキスをした。
慈しみと情熱をやわらかに伝え合うキスは、恋人同士の特別感でじんわりと心を満たしてくれる。
ゆら、ゆら、揺れながら、時どき道路の小石を踏んでがたごと言いながら進む馬車の中。
二人と一匹の時間は、穏やかにゆったり、ゆっくり、過ぎていく。
Happy End!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
SSを読んでくださってありがとうございます。
4/22にこの作品のコミカライズ単話版が発売されます。
https://spira.jp/comic/1697/
よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾ぺこり
朱音ゆうひより