4、騙されてない?お父さまは心配です!

 我が伯爵家は、ご先祖様が異世界人らしいです。
 異世界人は、その名の通り、別の世界出身の人です。わたくしたちの世界には、たまに異世界からの迷い人がやってくるのです。

 異世界人は、その異世界知識でこの世界の文化の発展に貢献することが多く、歓迎されています。功績をあげた有名人も多いのです。
 ご先祖様も例外ではなく、食文化や衛生観念の向上に貢献し、爵位をさずかったのだとか。
 
 自分の家である伯爵家のお屋敷に送り届けられてから、わたくしは日記帳をいそいそと開きました。忘れても大丈夫なように、本日の出来事を日記に書いておこうと思ったのです。
 
 日記帳は、薄紫の蝶々をモチーフにした可憐な見た目をしています。
 最新ページには押し花のしおりが挟まれていました。この花はカランコエですね。星の形をしていて、愛らしいお花です。
 

 伯爵家にあるわたくしのお部屋は、王族のお姫様にも引けを取らないような立派なお部屋で、居心地がとてもよいです。
 家族のことは、すんなりと思い出せました。

 わたくし、お父様に溺愛されているのですわ。わたくしだけでなく、お兄様もですが。
 お父様はご自分が子供のころ、聖女様の息子だからとプレッシャーを感じたり窮屈な思いをすることが多かったようで。その反動のように、ご自分の子供には甘々なのです。
 
 
「王子様が、変でした……っと」
 暖炉でオレンジ色の炎がほわほわと揺れて、あたたかなお部屋の中、わたくしはぼんやりと日記帳に本日の出来事を書き留めます。
「なんと、わたくしは悪役令嬢だったのです……っと」
 
 ネコのぬいぐるみ、ナイトくんが椅子の近くでぺこぺこと起き上がったり倒れたりしています。
 何をしているのかしら。ひとり遊び……?

「王子様は、わたくしに指輪をプレゼントしてくださいました……わたくしのことは、好きではないらしいですが」 
 
 何かあったとき、お相手にご迷惑をおかけしないためにお名前は伏せつつ、自分にはわかるように。
 そう意識してつづる日記は、まるで荒唐無稽な作り話みたい。妄想日記みたいで、他人にみられたら恥ずかしいかもしれません。

 ふと思いついてページをパラパラと軽くさかのぼってみると、わたくしの筆跡で過去の日々がつづられているのですが。
「うーん……、昔の日記を読んでもまるで他人のようで、自分の体験という感覚がありませんわね」  

 ナイトくんがイタズラをして騒ぎを起こしてしまい、王子様に助けていただいたこと。
 
 貴族の子弟を集めた王立学園に通っていること。

 王子様にお花をいただいて、押し花をしおりにしたこと。
 
 わたくしの日記は、王子様のことでいっぱいです。
 自分の文字だとは思うのですが、思い出せない日記は、眺めているとだんだん不安になってくるような……。

「お嬢様〜、ナイトくんが動かなくなっていますよ」
 
 そばかすの愛らしいメイド、アンがテーブルにホットミルクを置いてくれて、ふわっとミルクの匂いがあたりに漂うと、わたくしは救われたような気持ちになりました。
 
「ナイトくんは、おやすみの時間なのですわ……」
 チラッと見ると、ナイトくんはただのぬいぐるみになっていました。わたくしの聖女の力は弱くて、長続きしないのです。
「アン。ミルクをありがとう。いただきます」
 
 真っ白なミルクは、素朴でまろやかな口あたり。
 味は、自然な甘み。
 のどごしは柔らかで、体に良いものを摂取したって感覚があって、安心するのです。

 ――眠くなってきましたし、覚書きに似た日記もある程度書けましたので、もう寝ましょうか。
 
 わたくしがそう決意したところで、コン、コンとお部屋の扉がノックされました。
「はあい」
 
 防寒用とおしゃれを兼ねたストールをまとって応えると、夜更けにたずねていらしたのは、お父様でした。
 
「メモリア、王子殿下にずいぶんと目をかけていただいているようじゃないか」
 『美食伯』という二つ名を持つお父様は、おばあさまやわたくしと同じ黒髪で、まだ白髪もあまり混ざっていません。少しぽっちゃり体型で、見るからに善人って感じのお顔立ちです。
 
 眉間に小じわが少しだけ増えたのは、毎日忙しくて責任の重いお仕事を頑張っていらっしゃるから。
 忙しい中でも、日々あれこれと気を揉んでくださるから。
 お母様を数年前に亡くして、寂しい中、お兄様とわたくしにたくさんたくさん気配りをしてくださる……そんな良いお父様なのですわ。
 
「我が家に婚約の申し込みがきたんだよ? そ、……その指輪は……いただいたのかい。は、はやっ……はやいな。予想以上に手がはやい! くっ、第二王子め……」

 わたくしはお父様の視線を追いかけて自分の指を見て、もじもじしました。
「ええ、お父様。殿下がわたくしにくださいました」
「ぐぬぬ!」
 
 お父様は形容しがたい呻き声のような鳴き声のような音を喉からこぼして、天を仰いだのでした。

「そ、そ、それでメモリアは? 嬉しいのかい? ああっ、その顔。嬉しいのだね? うわぁ……パパの天使が、そう……そうかぁ」
 
 お父様は複雑そうな顔でわたくしの顔を見て、眉を上げたり下げたりなさっています。
 わたくし、そんなに嬉しそうな顔をしましたでしょうか? は、恥ずかしいですわ。
 
「お相手も王子殿下だものなぁ、名誉だよなぁ。でも……でもなぁ」

 でもなぁ、……のあと、部屋にはなんとも言えない沈黙が降りて、わたくしは続く言葉にまつげを伏せました。

 お父様。
 わたくし、よくわからないまま指輪をいただいたのです。
 わたくし、記憶が一部なくなっているのです。
 わたくしと王子様は、特に愛し合っているわけではないのです。
 ただ、ざまぁを回避するためなのですって――、

 たくさんの言葉が胸の中でぐるぐると渦巻いて、喉のあたりでぐぅっと詰まってしまいました。
 
「王子殿下は本気なのかな? 遊びではないかな? 前から思ってたけど、気軽にメモリアを呼びつけすぎじゃないかな。我が家を舐めて、パパのメモリアちゃんを傷つけたら許さないぞ」
「わたくし、そんなに呼びつけられていたのですか?」
「何を言ってるんだいメモリア」
「あ、いえ……」
 
 わたくしの記憶が欠落していると教えたら、きっとお父様は物凄く心配してくださるのでしょう。
 ただでさえ、心労の多いお立場なのに。
 心配はさせられませんわ。

「大丈夫ですわ、お父様」

 わたくしは、このお父様の愛情にたっぷり漬かって育ったのです。
 子供のころから、お父様はわたくしに「頑張らなくていいんだ」「のびのびと育ってくれたらそれでいいんだ」と繰り返していました。
 ご自分が周囲に期待されたり、求められたりするのが苦しかったから、自分の子供はそういった苦しみと無縁にしたかったのだとよく語っていました。

 わたくしは、お父様が大好きなのです。