暑い。
死にたくなるような夏だった。
蝉が鳴く中、僕らは海の上にいた。
風が、全く吹いていなかった。
そこはきっと風速0mの世界。

ヨットは、風が吹かねば動けない。
ヨットは弱いね、なんて。
僕らだって

誰かに押されて生きているのに。

音が消えることなく襲いかかる。
ゴーっと耳に吸い込まれるのは海風。

空白に寄せる風の音。
色付いた唇に指を。


「ねえ、僕と付き合ってよ」
「ーーーーー」
「馬鹿なこと言わないでよ」
「ーーーーーーー」
「だからそんなこと、」
「ねえ、死なないでよ」




ヨットの上にいた。
ヨットの上にいるけど動いていない。
風が吹かない。

ねえ、聞こえてる?

空に向かって問いかける。
神崎さなえは2年前に死んだ。
死にたくなる夏にあいつは死んだ。
死にたいと感じたのは僕だけじゃなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そこまで書いて手が止まる。
服部零はさなえが死んだと同時に小説家を目指した。
ずっと前から夢見たことだけど現実は甘くない。
ノンフィクションとフィクションの間の作品。
自分にとってそれは、さなえを忘れないためのものだ。


青か、黒か、それとも紺なのか。
表すには日本語が足りないような気がする空に
酒を重ねる。
チューハイと書かれた缶はどことなくぬるい。
あの夜もこうだったっけ。
ああ、あれは夜じゃなかったか。
そんなことを思いながら缶を飲み干す。

「ねえ、れい。」
「んーなに」
「私は、好きだよ」
「なにが?」
「うーん、酒?かな」
「ああ、僕もだよ。」

あの夜は馬鹿だった。
ヨットに乗った帰りにうちに寄ろうなんて。

「ねえ、このまま泊まってもいい?」
「いいけど、」
「そ、」

その夜、僕らは体を重ねた。
さなえには男がいるのに。
僕にも女がいるのに。
こんなの不倫だろ。
その言葉を喉奥に押し込む。


目が覚めても現実は変わらなかった。
さなえは上裸で寝ているし、僕は真っ裸で寝ている。
はぁ、少しでも期待した自分が馬鹿だった。
バレたらどうしようなんて考える間もなく
さなえの唇を喰った。
甘い?そんなわけない。
寝起きの唇が甘いヤツなんて居ない。
だいたいみんな漫画の読みすぎだ。

さなえはまだ寝ているらしい。
喰われたくちびるは無防備にあいている。
そして急に、彼女のことが心配になった。

「今、何時?」
「うおっびっくりした、」
「ごめんごめん」
そう言って彼女はくすくすと笑った。
「もうすぐ8:00だよ」
「そっかー、やっちゃったね、」
分かりきったことを言わないで欲しい。
「まあしょうがないよ。」
不可抗力だったんだ。
酒と、あのさなえの僕を見る目。
さなえが酒、と誤魔化した事は僕だって気づいている。
「そろそろ帰るよ」
「うん」
「じゃあ、また。」
またなんてあるんだろうか。
僕は何故か気になって仕方なかった。
引き止める訳にもいかずベットで見送る。
こんなことならいっそ、朝なんて来なきゃいいのに。

僕の記憶はそこまでだ。