”そんな気分じゃないんだ”


何かあったの?

私が又、鳴海を傷つけた…?

長い沈黙を掻き消すように、高橋さんが言った。


「旦那様も疲れている時があるんですよ。旦那様の事は私に任せて、奥様だけでも行って来て下さい」

「……」

「綾香、そうしてくれないか?」

「…分かった」


私がそう答えたのは。意外だった高橋さんの言葉と、鳴海が何かの感情を必死に抑えようとしていたのが、凄く伝わって来たから…。


「じゃあ、奥様、お気を付けて」


深々と頭を下げる高橋さんの姿が、何だか寂しかった。

高橋さんの姿と鳴海の態度は私の気持ちを不安にさせる。

それは以前、鳴海が女を作っていた、あの感じとは別の物だった…。


パパの穏やかな声なんてすっかり忘れて、私は実家へとたどり着く。


でも、チャイムを鳴らしてドアが開いた瞬間…。

懐かしい匂いがしたんだ。

ママの料理の懐かしい匂いが。


「入りなさい」


そこには今迄見た事がないくらい幸せそうな、パパの笑顔があった。


「…ママ、帰って来てるたの?」


パパは何も言わないで、私の足は家の中へと急いだ。