「葉月ちゃん」、と名前を呼ばれる。
「あんまり考えすぎちゃだめだよ?」
鈴木さんの黒い瞳。
そして窓の外の遠くをみつめたまま、鈴木さんが掠れた声で言った。
「地位や名誉なんてどれだけ高く築き上げたって、一瞬でなくなってしまうんだ。…ほんの一瞬でね」
「それも、思わぬタイミングで」と、鼻で笑う。
「君の好きにしたらいいよ」
その笑顔は、作り物みたいに完璧だった。
完璧すぎて、怖ささえ感じてしまうほどに。
「そう、ですね…」
何を考えているのかわからない。
読めないけれど、きっと悪い人ではないのだろうと、私は心のどこかで感じた。
「そういえば。この間の傘、ありがとう。返すよ」
と、鈴木さんから差し出された私の折りたたみ傘は、まるで新品のように綺麗に整えられている。
「葉月ちゃんって、好きな人いるの?」
二人で図書館を出たところで、鈴木さんがこちらを振り返り顔を覗き込むようにしていった。
えっ、と私は固まってしまう。
咄嗟に頭に浮かんだ柳の顔。
「あ、いるんだ」と、私の表情の変化を見抜いた鈴木さんがにやりと笑った。